渡良瀬遊水地 野焼き吟行 2014.3.17
渡良瀬に春を告げる行事、葦焼きが3月17日に行われた。 良質の葦を育て、害虫を駆除するために、また希少植物の生態系維持ためにも昭和30年代に始まった渡良瀬遊水地の葦焼きだが、2011年は震災直後で中止となり、2012年は福島第1原子力発電所事故の影響で葦を焼いた後の放射性物質飛散の心配から取り止めとなった。 昨年は国などの放射性物質の検査で安全性に問題ないとされ3年ぶりの葦焼きとなった。 渡良瀬遊水地は栃木・群馬・茨城・埼玉4県に跨っている。遊水地の広さは山手線の内側の南半分とほぼ同じ3300ヘクタールでその半分の1500ヘクタール弱が本州最大級の葦の湿地帯である。 貴重な猛禽類のチョウヒやオオタカを頂点として生態系ピラミットが構成され大変貴重な場所となっている。 平成24年7月ラムサール条約に登録された遊水地である。 しかしながら、この渡良瀬遊水地の建設には、悲惨な歴史がある。 明治10年の頃、足尾銅山からの鉱毒のため渡良瀬川の流域の村々では作物が枯れるという被害がでた。 被害者は抗議行動を起こした。川俣事件である。 また田中正造の直訴事件等も起きている。 明治政府は、この解決のために足尾銅山の操業を止めその代わりに、毒の水を溜める「渡良瀬遊水地」の建設を行うことにしたのである。 その犠牲になったのが、強制立ち退きを余儀なくされた旧谷中村の住民であった。 住民は長年さまざまな苦労を重ねたが、結局大正6年に谷中村は名実共に滅亡したのである。 その村の跡が、「渡良瀬遊水地」なのである。 現在もこの地に谷中村遺跡として雷電神社跡、村役場跡、小学校跡、延命院墓地跡等がある。 この日は天候に恵まれ、予定の時間に葦焼きが始まった。 私たちが現地に着いたときは第1回目の火入れが既に行われ、遠方の葦原は、勢いよく炎を上げていた。 それにも増して黒煙の立ち上がる姿は、怪獣を思わせる様である。思わず、唾をのみ込んだ。 こんな大規模な野焼を見るのは、初めてなのである。 草焼きの煙の中に人走る 宮本郁江 はるばると来て葭焼の煙の中 武井伸子 2回目の火入れは、私たちが見ている大土手に近い所で、野焼守りが一抱えの葦に種火を点け火入れをした。 乾いた葦はパチパチと音を立て燃え上がり、大きな火柱となった。 風に煽られ、あっという間に炎は20メートル位嘗め尽くした。 声も出ず、ただただ炎の先を、見詰めるばかりである。 腰に鎌を差して野火守走りけり 佐々木靖子 石垣に草焼きの火の躓きぬ 牧野洋子 大土手には溢れるばかりの人である。 カメラマンの姿も多く見られ、それぞれがシャッターチャンスを狙っていた。 カメラマンも興奮していたのでしょうか。結構荒だった言葉を周りの人に、投げかけていたカメラマンも居たようだ。 少し下火になり、子供の何か叫ぶ声が土手の下で聞こえた。 私たちも土手から下へ降りた。 少し遅れて来た友の姿が土手の上に見えた。 手を振ると、友も土手から下へ降りてきた。これで全員揃った。 葦の燃えた跡は蒼黒い色と化し、白い煙がところどころに立ち上り、末黒野となっていた。 煙に紛れて雲雀の声がした。目の前の柳には、既に緑色の芽がではじめていた。 末黒野の立木にとまる烏二羽 中島外男 消防自動車が数台来ている。 葦焼きの火の消える最後まで見届けるのであろう。 葦簀農家の男衆が手に鎌を持って安堵した表情で歩いている姿にも出合った。 今年は葦焼きの面積を、例年の4割程度少なくしたが、風が強く予定した葦原より少し多く焼いたようだ。 まだ、葦原の先の方は、煙が立ち、赤い炎は見えていたが、眼前は大半が末黒野と化したので、私たちは帰る事にした。 周りに居た人達も何事もなかったような素振りで三々五々帰り始めていた。 揚雲雀野火の終わりを告げにけり 高田まさ江 野火終りさみしき顔となりてゐし あべあつこ 足元に黒い虫が這っているのかと思い、足を止めた。腰を屈めそれを見ると動かない。虫ではないとホッとした。 が土手にも道にも、黒い羽のような燃え滓が散らばっていたのである。少し気味が悪かった。 土手を挟んで、遊水地の反対側は住宅街である。よく見ると、それぞれの住宅の窓はきちっと閉ざされていた。放射性物質の飛散を少しでもシャットアウトしたい住民の気持ちの現れかも知れないと、思った。 何だか体中の力が抜け、お昼も過ぎているのに空腹であることも、気にならず、タクシーに乗り込んだ。 栃木駅に着くとまず昼食をとった。 相談したわけでもないのに、全員ハンバーグ定食と甘いデザート。とても美味しかった。 昼食後、蔵の街まで足を伸ばした。 巴波川の船着き場から都賀舟に乗りこんだ。 それぞれが菅傘を被り舟の客となる。 そう長くない川の距離を往復した。 船頭は長い棹を持ち慣れた手つきで舟を操る。 その都度、川の名前や例幣使街道のことや、川の側の蔵づくりの屋敷の話等分りやすく語ってくれた。 巴波川の片側には大きな蔵屋敷が立ち並び、それを見ながらの舟遊びは、江戸時代に遡った錯覚に襲われた。なんとも風情な気分である。 巴波川野焼の芥流れ着く 及川希子 羽のごと遠き野焼の灰が降る 岩淵喜代子 川の行く手には、残り鴨が数羽、羽繕いをしている。 川を覗き込むと、たくさんの大きな鯉が泳ぎ、人懐こく舟に寄ってきた。 船頭から鯉の餌を買い、鯉に餌を撒いた。 その川面をよく見ていると黒い滓のようなものが浮いていた、船頭は葦焼きの燃え滓だと言う。びっくりした。こんな所まで風に乗って飛んできたのである。 葦の燃え滓は川ばかりでなく、道路の至る所にも落ちていた。 足元にふわふわと寄る黒い葦の滓を目で追いながら、駅舎に急いだ。 文/牧野洋子 写真/あべあつこ・武井伸子
by basyou-ninin
| 2014-03-17 10:00
| 俳句
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