平成二十二年十二月十八日
今回からの吟行は小説に描かれた場所を辿ることになった。手始めに選んだのは題名がいまの季節にふさわしい森鴎外の「雁」。まずは文庫本を買って読み直す。冒頭に出てくるのが鉄門の前の岡田の住んでいた下宿屋、玉の住んでいた無縁坂、そして不忍池。この三点はほとんど一直線上にある。この三つをキーワードにして吟行することにした。 主人公の岡田が東京大学医学部の学生なのでまず東大構内から見ることにした。 十一時にJR御茶ノ水駅の聖橋口に集合。東大病院行きのバスは普段の日は十分ごとにあるが、土曜日とあって一時間に二本しかない。丁度八名なので二台のタクシーに分乗した。ひとり分の料金はバス代と変わらない。 病院前で降りるとすぐ脇にエルウン・フォン・べルツとユリウス・カール・スクリバの胸像がある。岡田が通訳としてドイツに赴く時に推薦してくれたのが内科医のベルツである。外科医のスクリバのほうは明治二十四年に大津で襲われたロシア皇太子の治療や明治二十八年の日清戦争の講和会議に出席して狙撃された李鴻章の治療をしている。現実と虚構の世界が交錯して当時の社会情勢がにわかにクローズアップしてくる。 東大の校内巡視車冬休み 上田 禎子 本郷三丁目冬青空の真つ四角 芹沢 芹 銅像の髭に集まる冬日かな 尾崎じゅん木 霜晴や明治の人の髭の濃き 浜岡 紀子 病院の横に鉄門があり、ここから無縁坂が始まる。真向かいにあった下宿屋のあたりは何やら建築中であった。 無縁坂の由来は大火の多かった江戸で身元の分からない遺体を坂の途中の寺に投げ入れたことによるとの説もあるがはっきりしない。暖かな初冬の日差しが降りそそいでいるが、南側の旧岩崎邸の高い煉瓦塀とその上にはみ出している木のせいで坂の半分は日陰になっている。年月を重ね風合いを増した煉瓦塀を描いている人たちがいた。 綿虫や鉄門青く塗られあり 川村研治 枇杷の花岩崎邸の高き塀 辻田 明 坂上の雲輝きぬ枯木立 辻田 明 坂の北側の玉の住んでいた辺りは昭和四十年頃までは格子戸のある木造の住宅があったそうだが今は赤茶色の化粧タイルが美しいマンションになっていた。 坂の下のほうにある講安寺は寺には珍しい土蔵作りで、ひっそりとした佇まいだった。門の前の松飾りが瑞瑞しい。 玉の飼っていた紅雀を呑みこんだ蛇を岡田が包丁で二つに切断するところは、この小説の中で最も生々しい場面だが今は冬眠中とはいえこの高い塀と舗装された道路、マンションに囲まれたこの一帯に蛇の出そうな雰囲気は見当たらない。 無縁坂下りて年を惜しみけり 上田 禎子 黙礼し霜月の坂行き合へる 尾崎じゅん木 スカイツリー半分見えて霜日和 尾崎じゅん木 坂に立ち耳そばだてる雁渡し 浜岡 紀子 青空と鴨に近づく無縁坂 武井 伸子 冬木の芽坂の半ばに残る寺 芹沢 芹 冬の坂下駄の音さえ恋いしかり 芹沢 芹 坂を下りきるとそこはもう不忍池。江戸時代は今の二倍の広さがあったそうだ。天海僧正の発案で寛永寺が建てられ、琵琶湖に見立てた池に弁天島が設けられた。蓮はこの頃からのものという。池の周りは時代により競馬場が出来たり、博覧会が開かれたりした。野球場構想もあったとか。現在は上野動物園の一部、ボート池、蓮池と三つに分かれている。毎年冬になると数種類の鴨が飛来して散策の目を楽しませてくれる。今日も昼時とあって大勢の人が集まっており、犬を散歩させている人やお弁当をひろげている人など様々だ。雁はいつの頃からか来なくなっている。 正面に胸のよごれてゐたる鴨 岩淵喜代子 鴨に生まれ金色の目をたまはりし 川村 研治 水鳥の歌の光の満ちあふれ 川村 研治 百合鷗翔てば失念してしまふ 上田 禎子 百合鷗皆南向く杭の上 辻田 明 つつき合ふ鴨大勢は楽しいか 芹沢 芹 空の鳥水にゐる鳥冬ぬくし 浜岡 紀子 私からわたしがぬけて鴨の群 浜岡 紀子 夏には生い茂っていた蓮もすっかり枯れて折れ曲がり小さくなっていた。 明治のはじめの頃の池の周囲は葦もかなり茂った寂しい場所だったのではないだろうか。十羽余りと記されている雁の一羽に運悪く岡田の投げた石が当たり、それがもとで玉は二度と岡田に会う機会を逸する。 小春日和の中を行きかう人々の間にあってはそのような情景を思い浮かべるのは難しい。 蓮枯れてさまざまの人集ひくる 武井 伸子 枯蓮を鳴らして鴨の通りけり 武井 伸子 やはらかき黄金となりぬ蓮の骨 武井 伸子 不忍池の枯野のやうに見えるとき 上田 禎子 立冬の風や水面を窪ませて 岩淵喜代子 ゆく船は水を吐きつつ十二月 岩淵喜代子 一通り吟行をした後で句会場のホテルに行く。落ち着いた雰囲気の一階のイタリアンレストランで食事をしながらの句会。レストランには前もって俳句の会であることを話しておいたのでたっぷりと時間を使わせてもらった。 時代はいつも光と影を人々の上に投げかけてくる。光と影の織り成す葛藤は岡田や玉をのみ込んで、人口が当時の約二十倍に膨らんだ東京の街では何もかもが見えにくくなっている。 はにかみは顔に現る冬木の芽 辻田 明 遠き日の恋や石塀底冷えす 尾崎じゅん木 玉といふ明治の女浮寝鳥 川村 研治 待つといふ姿勢は低くゆりかもめ 岩淵喜代子 百年前に書かれた小説を頭の隅に置きながら目の前にある風景を句にするのに少し戸惑いを覚えたのは私一人ではないかもしれない。個人的には本を読み返す機会にもなったし、今まで知らなかった無縁坂を歩くことが出来て感謝している。 文・写真 浜岡紀子
by basyou-ninin
| 2011-01-05 10:30
| 吟行
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