森鴎外の『雁』の地を訪ねて

                          平成二十二年十二月十八日

 今回からの吟行は小説に描かれた場所を辿ることになった。手始めに選んだのは題名がいまの季節にふさわしい森鴎外の「雁」。まずは文庫本を買って読み直す。冒頭に出てくるのが鉄門の前の岡田の住んでいた下宿屋、玉の住んでいた無縁坂、そして不忍池。この三点はほとんど一直線上にある。この三つをキーワードにして吟行することにした。
 主人公の岡田が東京大学医学部の学生なのでまず東大構内から見ることにした。
 十一時にJR御茶ノ水駅の聖橋口に集合。東大病院行きのバスは普段の日は十分ごとにあるが、土曜日とあって一時間に二本しかない。丁度八名なので二台のタクシーに分乗した。ひとり分の料金はバス代と変わらない。
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 病院前で降りるとすぐ脇にエルウン・フォン・べルツとユリウス・カール・スクリバの胸像がある。岡田が通訳としてドイツに赴く時に推薦してくれたのが内科医のベルツである。外科医のスクリバのほうは明治二十四年に大津で襲われたロシア皇太子の治療や明治二十八年の日清戦争の講和会議に出席して狙撃された李鴻章の治療をしている。現実と虚構の世界が交錯して当時の社会情勢がにわかにクローズアップしてくる。

        東大の校内巡視車冬休み    上田 禎子
        本郷三丁目冬青空の真つ四角  芹沢  芹
        銅像の髭に集まる冬日かな  尾崎じゅん木
        霜晴や明治の人の髭の濃き   浜岡 紀子

 病院の横に鉄門があり、ここから無縁坂が始まる。真向かいにあった下宿屋のあたりは何やら建築中であった。
 無縁坂の由来は大火の多かった江戸で身元の分からない遺体を坂の途中の寺に投げ入れたことによるとの説もあるがはっきりしない。暖かな初冬の日差しが降りそそいでいるが、南側の旧岩崎邸の高い煉瓦塀とその上にはみ出している木のせいで坂の半分は日陰になっている。年月を重ね風合いを増した煉瓦塀を描いている人たちがいた。
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綿虫や鉄門青く塗られあり  川村研治
枇杷の花岩崎邸の高き塀   辻田 明
坂上の雲輝きぬ枯木立    辻田 明

 坂の北側の玉の住んでいた辺りは昭和四十年頃までは格子戸のある木造の住宅があったそうだが今は赤茶色の化粧タイルが美しいマンションになっていた。
 坂の下のほうにある講安寺は寺には珍しい土蔵作りで、ひっそりとした佇まいだった。門の前の松飾りが瑞瑞しい。 玉の飼っていた紅雀を呑みこんだ蛇を岡田が包丁で二つに切断するところは、この小説の中で最も生々しい場面だが今は冬眠中とはいえこの高い塀と舗装された道路、マンションに囲まれたこの一帯に蛇の出そうな雰囲気は見当たらない。

        無縁坂下りて年を惜しみけり     上田  禎子
        黙礼し霜月の坂行き合へる      尾崎じゅん木
        スカイツリー半分見えて霜日和   尾崎じゅん木
        坂に立ち耳そばだてる雁渡し    浜岡  紀子
        青空と鴨に近づく無縁坂       武井  伸子
        冬木の芽坂の半ばに残る寺     芹沢   芹
        冬の坂下駄の音さえ恋いしかり   芹沢   芹
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 坂を下りきるとそこはもう不忍池。江戸時代は今の二倍の広さがあったそうだ。天海僧正の発案で寛永寺が建てられ、琵琶湖に見立てた池に弁天島が設けられた。蓮はこの頃からのものという。池の周りは時代により競馬場が出来たり、博覧会が開かれたりした。野球場構想もあったとか。現在は上野動物園の一部、ボート池、蓮池と三つに分かれている。毎年冬になると数種類の鴨が飛来して散策の目を楽しませてくれる。今日も昼時とあって大勢の人が集まっており、犬を散歩させている人やお弁当をひろげている人など様々だ。雁はいつの頃からか来なくなっている。

        正面に胸のよごれてゐたる鴨   岩淵喜代子
        鴨に生まれ金色の目をたまはりし 川村 研治
        水鳥の歌の光の満ちあふれ    川村 研治
        百合鷗翔てば失念してしまふ   上田 禎子
        百合鷗皆南向く杭の上      辻田  明
        つつき合ふ鴨大勢は楽しいか   芹沢  芹
        空の鳥水にゐる鳥冬ぬくし    浜岡 紀子
        私からわたしがぬけて鴨の群   浜岡 紀子

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 夏には生い茂っていた蓮もすっかり枯れて折れ曲がり小さくなっていた。 

 明治のはじめの頃の池の周囲は葦もかなり茂った寂しい場所だったのではないだろうか。十羽余りと記されている雁の一羽に運悪く岡田の投げた石が当たり、それがもとで玉は二度と岡田に会う機会を逸する。

 小春日和の中を行きかう人々の間にあってはそのような情景を思い浮かべるのは難しい。



           蓮枯れてさまざまの人集ひくる     武井 伸子
           枯蓮を鳴らして鴨の通りけり      武井 伸子
           やはらかき黄金となりぬ蓮の骨    武井 伸子
           不忍池の枯野のやうに見えるとき   上田 禎子
           立冬の風や水面を窪ませて     岩淵喜代子
           ゆく船は水を吐きつつ十二月     岩淵喜代子

 一通り吟行をした後で句会場のホテルに行く。落ち着いた雰囲気の一階のイタリアンレストランで食事をしながらの句会。レストランには前もって俳句の会であることを話しておいたのでたっぷりと時間を使わせてもらった。
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 時代はいつも光と影を人々の上に投げかけてくる。光と影の織り成す葛藤は岡田や玉をのみ込んで、人口が当時の約二十倍に膨らんだ東京の街では何もかもが見えにくくなっている。

        はにかみは顔に現る冬木の芽    辻田  明
        遠き日の恋や石塀底冷えす    尾崎じゅん木
        玉といふ明治の女浮寝鳥      川村 研治
        待つといふ姿勢は低くゆりかもめ  岩淵喜代子
 
 百年前に書かれた小説を頭の隅に置きながら目の前にある風景を句にするのに少し戸惑いを覚えたのは私一人ではないかもしれない。個人的には本を読み返す機会にもなったし、今まで知らなかった無縁坂を歩くことが出来て感謝している。
                      
                              文・写真       浜岡紀子      
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# by basyou-ninin | 2011-01-05 10:30 | 吟行

出羽三山の旅


平成22年10月2日ー4日
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1日目(10月2日)
10月2日の朝、東京駅を発ち、新潟で羽越本線に乗り換えてから吟行が始まった。12時過ぎに、JRの鶴岡駅に着きワゴン車に迎えられた。目的は第52回奥の細道羽黒山全国俳句大会に選者として出られる岩淵代表について参加すること、それにもう1日余分に泊まり、少しでも山岳信仰の出羽三山に詣でることだった。もっとも私達が訪ねたのは、羽黒山、湯殿山で、月山は眺めただけであったが。出羽三山は言うまでもなく「奥の細道」の中に書かれている。芭蕉は3句ほど句を詠んでいる。俳人としては知らない人はいないと思うので説明は省略。
藤沢周平記念館に先ず寄る。記念館には周平の作品が展示され、手書きの題名が多いのに気がつく。本人のものかどうかなと、そばの原稿用紙と見くらべてみたけれど分からない。映像で鶴岡や庄内の景色を見せているのが周平の世界を近寄せる。周平の作品に救われたという八王子から来た男性に、周平のお墓の写真を見せてもらう。墓石には小菅家とある。本名は小菅留治で周平のお墓はこの庄内ではなく、この男性の住んでいる八王子にあることを知った。そういえば、周平は北多摩の療養所にいたことがあり、その縁だろうか。周平の句集も置いてあり1冊買う。

机上にはペンと文鎮つばきの実武井 伸子
周平の文字やはらかし秋灯し  望月 遥
秋の蚊を連れ文豪の四畳半  浜田はるみ
灯下親し刀の鍔を文鎮に    長嶺千晶
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庄内神社にお詣りし、「涼しさやほの三か月の羽黒山」と芭蕉が詠んだ羽黒山へ向かう。刈田、稔田の混じる庄内平野を抜けていでは文化記念館へ

掛け稲架の海坂藩はこのあたり 上田禎子
ななかまど今日月山のよく見えて芹沢 芹
月山の宙を燕の帰るらむ   岩淵喜代子
月山も鳥海山も澄む日なり   長嶺千晶
花芒神の山へと靡くなり    長嶺千晶
棒掛けの人影に似る曼珠沙華  望月 遥

記念館から五重塔へ鳥居をくぐり石段を降り始める。周囲は350年から500年の杉木立。祓川の瀬音を聞きつつ五重塔へ向かう。ひっきりなしに通る人々の間で石段を修理している。修理し終わったしるしに小さな苗木?を立てておく。これだけの参拝者がいるのだから階段もさぞ傷むことであろう。石段には文様が33あり薄れているが、盃、瓢箪、天狗、山、瓜などを見つけた。爺杉に感嘆し、失われてしまった婆杉を思う。五重塔でばったを捕まえる。雪の中の塔も大変美しいそうである。

石段の絵文字をさがす雁のころ 望月 遥
石段に人湧くごとし秋日和   上田禎子
五重塔秋の翳りの中に立つ   望月 遥
かりんの実五重の塔にひと転げ 芹沢 芹
神杉の六百本に雁渡る     牧野洋子
神杉のただ中に覚め露けしや 武井 伸子
山がけの道に這ひ出す蝸牛  武井 伸子 

いでは会館に戻り、羽黒山三山神社へ。三神合祭殿の茅葺屋根の厚さに驚く。中に入ると天狗の面などが掛けてある。三神合祭殿の中に案内され、「金併の拝戴」を受けて厳かな気持になる。

初鴨を眠らせ水の昏れんとす  長嶺千晶
ふいに背を鈴に祓わる菊日和  上田禎子
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巫女さんに付き添われ宿舎である斎館へ。部屋からは遥かに鶴岡市街、庄内平野、島海山が見え、夕日が木の間に透けている。
夕食は山菜ばかりでなくて、かれいの塩焼きやはたはたのしょっつる鍋もある。あけびの実や種、もってのほかの酢のもの、いたどりの胡麻和えなどと普段食べられないものをいただく。満腹してこの後の前夜祭が心配になる。

枝豆を禰宜と食べゐる羽黒山 岩淵喜代子
色鳥や斎館にある勅使の間  岩淵喜代子
宿坊の刻ゆるやかにつづれさせ 芹沢 芹
鳥海山やもつてのほかの菊なます望月 遥

夕食のあと、斎館で行われる前夜祭の大会に参加。嘱目の2句を出す。ににんから入選者続出。会場にはトリカブトや姥百合の実などが生けられていた。
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終わってから部屋へ。同宿の地元の女性からいろいろと羽黒山の話を聞く。1度は泊まりたかったのだが、近くで泊まる機会がなく、ようやくとのこと。同年輩か少し年上かもしれない。とてももの知り。鶴岡に嫁して50年とか。羽黒山のことから湯の浜温泉のどこに泊まるか、女将さんはどんな人とか、勇壮な炎の八朔祭りの様子、歴史博物館、冬の気候、道路、防雪柵、陸松島、方言など、秋の夜長に飽きずに聞いた。お殿さまの、維新の時の開墾のことも。地元に住んでいるお殿さまは少ないそうで、そのお1人だそうである。鶴岡は言葉使いで士族生まれということがすぐ分かるそうだ。話す言葉の語尾がなう?のう?と優しくひびく。

2日目(10月3日)
朝食は精料理。いんげんの胡麻和えなどとても美味しかった。朝食後、急遽、歴史博物館へ。廃仏棄釈にあった沢山の仏像、芭蕉の書状、山伏関連のもの、とても見きれず、いつかまた訪ねなくてはと思った。

いよいよ奥の細道羽黒山全国俳句大会へ。
会場はいでは文化会館。兼題と題詠のここでもににんは好成績を納めた。兼題2句は当季雑詠、当日の出句は2句で、題は鶺鴒、新米、そして嘱目句。
子供の部もあり、表彰を受けた小学生や中学生は、選者の岩淵喜代子氏と細谷亮々氏と握手し壇上を降りていった。
大会終了後、湯の浜温泉へ。修行者は出羽三山での後ここで憩うのだそうだ。日本海に面し、夕日の名所だ。夜は海の幸の夕食に女将の湯の浜音頭と踊り、地酒のどぶろくも飲み楽しい宴であった。

流木の影となるまで茶立虫  岩淵喜代子
鳥は目で追へぬ速さや秋の浜 岩淵喜代子

3日目(10月4日)
翌朝は曇り。旅館の外には朝市。朝食の後に、海月で人気の加茂水族館へ出かける。朝早いのにもう団体とぶつかる。先に地下の海月を見に。不思議な世界である。もう見とれるほか仕方がなかった。係の方が水槽の中へホースを入れて塵のような糞などをとっている。夢のようではあるが、やはり生きものと妙に感心。儚い夢のような海月の後に、1階に戻ると巨大な章魚が水槽の壁に張り付いていて、1匹ならず2匹も。あまり動かず。でも、ある人が寄ると動いた。きっと好かれているにちがいないとみんなに笑われる。
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芭蕉が「かたられぬ湯殿にぬらす袂かな」と詠んだ湯殿山へ向かう。途中から雨になり、湯殿山の参籠所で傘を借りてから神社へ。ご神体へお参りする前に裸足になり、ご神湯が流れるご神体を上って御滝の上に詣でまた同じ道を帰ってきた。ご神湯は触れるた足をひっこめるような熱さのところもあり、飲んでみたら、少し塩からかった。思わず塩守りを買ってしまった。周囲の山々は紅葉が始まりつつあり、10日もすれば初雪もありそうだとのこと。昼食は参籠所で精進料理をいただく。
緑色のお蕎麦が食べるのにもったいないほど美しい。山菜料理にいろいろと説明を伺いながら舌鼓を打った。
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大雨の中、湯殿山注連寺へ向かう。途中土砂崩れのあったところを通る。即身仏のお寺として知られている。森敦の「月山」の舞台でもあるが、正直にいえば、人間であるのでとても怖い。天井の絵がよかった。

見えざるが故の神の座木の実降る芹沢 芹
湯殿山霧に沈みて語らざる  浜田はるみ
沢駆けの行者に山の霧すさぶ  芹沢 芹

なお、大会のににんの仲間たちの結果は次のようである。
第52回羽黒山全国俳句大会前夜祭
選者 岩淵喜代子選 
特選
神杉の底まで秋の澄みにけり  長嶺千晶
佳作
案内する巫女の袴に秋夕焼け  牧野洋子
松浦俊介選
秀逸
案内する巫女の袴に秋夕焼け  牧野洋子
細谷喨々選
佳作
どの道も山へとつづく稲の波  武井伸子
阿部月山子選
秀逸
神杉の底まで秋の澄みにけり  長嶺千晶
三井量光選
秀逸
金秋の垂直に落つ須賀の滝   望月 遥

全国大会 
席題 新米、鶺鴒、嘱目
岩淵喜代子選
特選
せきれいや陸松島を遥かより  望月 遥
秀逸
橡の実の落ちしところで光りけり 武井伸子
細谷喨々選
秀逸
ふしくれの手の中にある今年米 牧野洋子
佳作
鶺鴒の一閃夕日こぼしけり   武井伸子
本大会
岩淵喜代子選
佳作
雀らに野の末枯れの始まりぬ  長嶺千晶
濡れながら生れし仔牛や星流る 武井伸子

今回の旅は奥の細道羽黒山全国俳句大会に選者になられた岩淵代表のもとに七名のものが参加し、お山の霊気を浴びて素晴らしい時を過ごすことができた。過去を抜け出て生まれ変わったような清々しさを得て帰った感じである。そして大会の主催者の出羽三山神社のならびに、いでは文化会館の方々に大変温かいもてなしを受けた。
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(上田禎子記)
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# by basyou-ninin | 2011-01-03 15:04 | 俳句

小野竹喬展と北の丸公園桜吟行

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芭蕉にちなむ吟行燦燦の今回は、東京国立近代美術館の、小野竹喬展の鑑賞である。お目あては、竹喬の「奥の細道抄絵」と題した作品群である。最晩年である八七歳の折の作品で、芭蕉に深く傾倒していた竹喬の真髄が伝わってくる。
小野竹喬(1889~1979)は日本画家として風景画に新しい表現を模索したことで知られている。竹内栖鳳に師事し、この「奥の細道抄絵」を描きあげた昭和五一年には文化勲章を受章している。もともと一七歳のころから俳句に親しみ、松瀬青々のもとで句作に励んでいたという。竹喬が芭蕉について述べたつぎの言葉が印象深い。これが「奥の細道抄絵」を描く動機でもあった。
「私は若い頃から、芭蕉の文章なり、句から感受するものはまっとうな人間性であった。
芭蕉の真剣さは、私の心の奥深く沁み入るようにはいって来るのであった。私はいつかこの真剣さに取り組んでみたいと思うようになっていた。」
 『奥の細道』は、オリジナルな自然から芭蕉というフィルターを通して作りあげられたフィクションであり、さらにその『奥の細道』を踏まえ、現場に足を運んではいるものの、「奥の細道抄絵」は、竹喬の創作である。さらに、その絵から啓発されて、俳句を作ると一体どういうことになるのだろうか。

目玉焼きのやうな太陽夏隣   上田禎子
これは竹喬の「奥の細道抄絵・暑き日を海に入れたり最上川」から詠まれた。他にも、竹喬の風景画の中へ没入して、皆さまざまに句作したが、それぞれに一句として独立した景色を持つことに目を瞠る。

耕して空へ至れる隠岐の国  尾崎じゅん木
青空へ畑積み上げて鳥の恋    武井伸子
木の根開くわづかに水の動く音 尾崎じゅん木
ぽつかりと木の根開きたる春の雪  武井伸子

 前二句は竹喬の「南島四季のうち春秋」からの作であろうか。後二句は「宿雪」よりと思われる。絵を離れても風景が立ちあがってくる。

一木を春夕焼けの揺らしをり  岩淵喜代子
もの売りの婆に被さる花の山   武井伸子
潮風に黒牛引かれゆく遅日  尾崎じゅん木
はつなつの風や白帆の躍りだす  長嶺千晶

さらに、画面から、一歩距離を置いたアプローチで詠まれた句もある。

蝌蚪生まれては竹喬の茜雲   岩淵喜代子
竹喬の空と雲あり花万朶     上田禎子
セザンヌの絵に似て島の冬の丘  牧野洋子
画面より立ち上がる波鳥雲に   芹沢 芹

 直接自然からではなく、絵画作品などの二次的、三次的なものから想を得て句作するのは、季感をどこに求めるかが難しい。
おだやかな竹喬の画風に癒されて、花の千鳥ケ淵へと吟行の歩を進める。
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鳥騒ぐ千鳥ケ淵のさくら冷え   牧野洋子
ひと揺すりして花冷の紙袋    芹沢 芹
シスターの足首ほそき絮蒲公英 岩淵喜代子
花に逢ふ硝子のビルを抜けだして 長嶺千晶
花の下時計持たねば時忘る    上田禎子

 折しも桜は満開となり、蘇枋や海棠も競うように花をつけていた。北の丸公園内の武道館では、日大の入学式があるという。新入生の父兄が会場の前で二時間並ばされて待たされていた。今どきは、一人の新入生に対して、二人以上の父兄が入学式に出席するという。お濠端でもたくさんの新入生が桜を背景に父母に写真を撮られていた。人も花も、あふれんばかりにごったがえしている。その昔、若者の自由の象徴だった、ビートルズが来日した記念の武道館も、変わらないのは、屋根の上の金の宝珠の飾りだけなのだろうか。

突つき合ふひとかたまりの新入生 武井伸子
鴨ばかり数へて春を惜しみけり  芹沢 芹
足早に九段の坂の花の冷え    牧野洋子
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 四月八日はお釈迦様の生誕、花祭だったので、帰りがけに文京区の護国寺まで足を伸ばして、甘茶仏を拝もうということになった。

あかがねの身の濡れ通し甘茶仏  芹沢 芹
大寺や黄花の中の甘茶仏     牧野洋子

 護国寺は、徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって建立された、真言宗の格式の高い寺である。明治以降は、墓地の半分は皇族墓地とされ本堂をはじめ数々の重要文化財がある。
 句会を終えて、四時ごろ寺につくと、山門の前に花御堂が飾ってあり、中に小さな誕生仏が祀られ、甘茶をかけられるようになっていた。しかし、花御堂の花がすべて造花だったのは興ざめである。これは閉門間近なので山門の外に置かれる、簡便なものだったらしい。本堂まで上がっていくと、本物の花で作られた花御堂が片づけられた跡があった。
都会の、それも格式の高い寺には、閉門の時間が厳然とあるのである。境内の枝垂れ桜が花吹雪となって一斉に散りかかってきたのは桜吟行の終わりにふさわしいものだった。

花みちて花散りて身ひとつかな 尾崎じゅん木

(長嶺千晶 記)
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# by basyou-ninin | 2010-04-08 00:07

「芭蕉 <奥の細道>からの贈りもの」展と日比谷公園吟行

 「芭蕉 <奥の細道>からの贈りもの」展と日比谷公園吟行   2009.10.17

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昨年秋の吟行は、東京・丸の内の出光美術館で開催された「芭蕉 <奥の細道>からの贈りもの」展を鑑賞、その後、近くの日比谷公園を歩いた。
松尾芭蕉(1644~94)が、生涯のうちに残した懐紙や短冊、弟子たちへの書状などを一堂に展示。
出光コレクションから真跡26点のほか、山形県内の各所蔵先、早稲田大学図書館、大垣市立図書館などから50余点の作品が集められた。
俳句は勿論、書においても、傑出した美しい書跡を見せていた芭蕉。
芭蕉の書風は、俳風の変化に呼応するかのように三段階に変化していったという。

第1期は「深川草庵の芭蕉」の頃で、延宝末・天和期から貞享前期(1680~85年頃)。
漢詩文調の超俗的な俳諧を書き記すのに、装飾的な書風を用い、華やかな印象を与える。
第2期は「漂白の詩人」として旅を続けた貞享後期から元禄4年前後(1687~91年頃)。
まるで「古筆」のようだと賞される書風で、平明な内容の句にふさわしい筆致と連綿の美しいバランスが見られる。
第3期は「軽み」を志向した元禄4年以降、元禄7年の没年まで(1691~94年)。
連綿がより軽快に、枯淡・洒脱な味わいを見せる。

左は「野をよこに」発句切入画 芭蕉筆 許六画

墨文字のときどき濃くて霜日和        岩淵喜代子
秋扇大師流てふ線と撥ね           辻田 明
火焔のごと撥ねる書ありて冬隣       武井伸子
芭蕉句のはるかなりけり秋の風       五十嵐孝子
芭蕉展色なき風にたたずみて        五十嵐孝子
秋一日お濠のもとの芭蕉展         小塩正子
行く秋や芭蕉を求め人の群れ        前田可寿子
堂々と書をしたためて冬支度         四宮暁子
美しき字を書く人を恋ふる秋         四宮暁子
 
翌日が最終日とあってか、かなりの賑わいを見せていた会場。
誰もが知っている句を、作者である芭蕉の筆跡で読むのだから、魅入られたように熱い視線を注ぐ人が多かった。
ことに出羽三山発句短冊の前には人だかりがして、肩越しの鑑賞。
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                 出羽三山発句短冊 松尾芭蕉

涼風やほの三か月の羽黒山      桃青
雲の峯いくつ崩れて月の山       桃青
かたられぬゆどのにぬらす袂かな   桃青

併設展は「仙崖」で、その句と絵はユーモアたっぷりの洒脱な味わいだった。

仙崖の座禅の蛙柳散る          辻田 明
仙崖に恋の句ありぬ秋の蘭        芹沢 芹
恋をする僧もありけり色鳥来        武井伸子

出光美術館を出て、近くの日比谷公園へ。
有楽門から入ろうとしたら、入口の交番近くに、思いがけず十月桜が咲いていた。

楽器置く十月桜咲く下に          岩淵喜代子
真中より切株朽ちる神の留守       岩淵喜代子
交番を横目に十月桜かな         望月 遥
冬近し石垣割りて木の根出づ       望月 遥
考える猫に秋風心字池          上田禎子
十月桜仰ぐ唇しんとして           芹沢 芹
 
江戸時代の日比谷見附跡、野面積みの石垣を見て、石垣の周囲にあったという壕を残した心字池へ。
そこからは皆、てんでに公園内の散策を楽しんだ。
ペリカン噴水のある花壇には、薔薇が咲きはじめていた。
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このあたりには猫が多く生息しているようで、日溜りに次々と姿を現した。
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青い実をたわわに実らせた鈴懸の大木や、咲きこぼれる金木犀、黄葉には少し早い銀杏並木など、都心の真ん中の見事な樹木に秋の気配。
樹木の外側には、日比谷のビル群がぐるりと取り巻いている。
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石垣に佇む鳩や秋深し           新木孝介
銀杏のほのかに匂ふ木陰かな        新木孝介
曇天の噴水かなし秋深し          新木孝介
水匂ふ遠くのバラを思ふ時         上田禎子
からつぽの野外ステージ銀杏の実      上田禎子
すずかけの青実や耳に飾りたし        望月 遥
落葉踏む音して猫のちりぢりに        武井伸子
小鳥来るむかし陸軍連兵場          前田可寿子
秋深し素通りしたる見附跡          前田可寿子
銀杏を拾ふ彼方を水流れ          芹沢 芹
散らばつて秋の雀や秋の庭         山田紗也
大木に寄りかかりたる秋思かな       山田紗也
コスモスの風を忘れし真昼かな       山田紗也
黄落や渇きし雀足許に            青木華子
金木犀どこにあるのと問いかけて      五十嵐孝子
紅葉狩集いし公園の騒音や         小塩正子
道の端金木犀のこぼれをり         小塩正子
ハロウインのかぼちやの中のがらんどう   四宮暁子

園内には南太平洋の島でお金として使われていた石の貨幣や南極の石などが置かれていた。

石貨てふ石の穴から覗く秋        前田可寿子
鳥渡る大きな石貨据えられて       青木華子
南極の石に手を触れ秋惜しむ       青木華子
神無月遊んでみたき壺の中        辻田 明
 
芭蕉の筆蹟にはじまり、秋の公園をめぐる吟行の句会場は、巣鴨のレトロな喫茶店。
いかにも昭和っぽい雰囲気の喫茶店で、この日の句会は終えた。
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                   文・写真/武井 伸子


 
    
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# by basyou-ninin | 2009-10-17 10:00

飛島・酒田・象潟吟行

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 7月3日から5日にかけて、ジェイアールの「大人の休日」の定額乗り放題のチケットを使って、青葉木菟の声を聞きにゆこうと、女五人の二泊三日の風狂の旅が始まった。まずは、飛島という山形県沖に浮かぶ島へ向かう。新幹線で新潟へ出て、乗り継いで酒田へ。酒田の港から船でおよそ一時間半の行程である。
     梅 雨晴や割引切符握りしめ   上田禎子
 車中が長いので、帳面回しをしながら、ウォーミングアップをする。前の人の五七五の句に、その心を汲みながら、五七五の句を付けて、歌仙のように巻いてゆく。折しも、車窓には、米どころ新潟平野の、一面の青田波が美しく、平野にすぐ山が迫っている風景に心を奪われる。さらに沖には、うっすらと、佐渡が横たわり、炎天の波のきらめきの中に、奇岩がそびえたつ珍しい風景が続く。

  婆ひとり腰に手をあて青田風   武井伸子
   夏草や鉄路の錆にしがみつき   牧野洋子
  立葵海見るときは山を背に   岩淵喜代子

 飛島へ渡る定期船は平日は一日一便である。トビシマカンゾウなどの珍しい植物の宝庫で、 沖合には海猫の塒になっている小島がある。 海猫の数の方が島民より多いかもしれない。  
     
    定期船海猫の高鳴き嗤ふごと   長嶺千晶 
    花となるパセリや飛島診療所  岩淵喜代子
   海猫や島に一つの理髪店     上田禎子

 ここは、齋藤慎爾氏の故郷で、船着き場の公園に氏の「梟や闇のはじめは白に似て」の句碑が建っている。船着き場は飛魚を焼く匂いがあふれ、これをだしの素にするという。夫が釣ってきた飛魚を捌いて焼くのは妻の仕事である。沖には、鳥海山が浮かびあがり、この平家の落人の裔の漁業の島を、見守っているようだ。

     敷網の飛魚外し妻へ投ぐ       上田禎子
     飛魚を焼く七輪に女の輪       長嶺千晶
     運ばれてきたる鮑の月色に    岩淵喜代子
     消灯は九時なり島の立葵     岩淵喜代子
     落人の島は眠りに夏の月       武井伸子
     一島の眠りこけたる青葉木菟    武井伸子

 食べきれないほどの、鮑、荒布等々の海の幸を夕食にいただき、句会をどうしようか、などと言っているうちに、宴会は九時までに終わらせてくださいと島内放送が流れる。旅の疲れもあって、みな早々と九時に寝てしまう。青葉木菟の声は定かではなかった。

      たぶの木に椨の闇あり青葉木菟  岩淵喜代子
       椨の森浅黄斑蝶の透きとほる    長嶺千晶
      桜の実踏みつつ一山巡りたる     武井伸子
      昼顔の伸びゆく飛島小学校      武井伸子

 翌朝は五時起床。港へ漁を終えた舟が帰ってくるのを見てから朝食後、椨の原生林を散策する。海岸のすぐ後ろは切り立った崖になり、その上には野菜畑が広がって、青菜の色がみずみずしい。入江には臨海学校の生徒たちが、水着姿で点呼されていた。今、島の人口は二七〇名ほどだという。自転車組と徒歩組に分かれて、ほぼ島を半周したのち、句会。さらに定期船を待って酒田へ。酒田の宿の食事が、また見事で、圧巻は岩牡蠣だった。これは夏季が旬という生牡蠣で、一口では食べきれない大きさと、味のまろやかさは、滋養そのものである。結局、三日の旅行で二キロも太ってしまった。後悔先に立たずである。 

   鐙屋の帳場に家訓蚊遣香    上田禎子
   柿の花蔵の扉の半開き      牧野洋子
   おばしまに青水無月の風吹けり 牧野洋子

 酒田には、西鶴の『日本永代蔵』にも記述がある鐙屋という昔の廻船問屋や、「本間様にはおよびはせが、せめてなりたや殿様に」と唄われ、殿様に貸し付けをするほど財力のあった豪商として名高い、本間家の旧居が保存されている。今は美術館ととなっている本間家の別荘も見学した。別荘は宮様もお泊りになったとか、庭園を吹いてくる涼風も心地よい。美術館には、伝芭蕉筆という書きつけや、肖像画があり、酒田が、芭蕉の「おくの細道」の旧跡であったことが偲ばれる。長山重行という武士の家と淵庵不玉という医者の家に芭蕉は泊まっているので、そこを尋ねようと、汗を拭きつつ歩いたが、長山家の跡は、焼き肉のファミリーレストランに、不玉の家の跡は、酒田市役所になっていて、「ここ」と矢印をした棒グイが立っていただけだった。
暑き日を海に入れたり最上川  芭蕉
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 せめて、最上川を見ようと日和山公園にむかう。ここは文学の散歩道として、たくさんの句碑が並ぶ。隣には映画「おくりびと」のロケに使われた建物もあり、今、酒田はちょっとした観光ブームである。公園から俯瞰した、最上川の河川敷には、造船所がひろがり、殺伐とした風景になっている。
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  象潟や雨に西施がねぶの花    芭蕉
 西施の面影を求めて、象潟に降り立つ。折から、一面に空は晴れわたり、 観光の為に植えられた合歓の若木 がところどころに花をつけている。芭蕉が泊まった蚶満寺へ。芭蕉像もまた新しいものである。象潟は地震によって隆起してしまい、九十九島と名付けられた。潟に浮かぶはずの小島は、青田の上の小山になってしまっていた。「象潟はうらむがごとし」とは、美女にたとえた芭蕉の弁だが、この変わりようは、まさに「うらむがごとし」であった。風狂の女五人旅は、ここに極まったのであった。

    花合歓や象潟の島数へをり     牧野洋子
    振り返る舟繋ぐ石に蟋蟀       牧野洋子
    象潟は松籟響く青田かな       長嶺千晶
                                   (長嶺千晶記)

 
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# by basyou-ninin | 2009-07-03 16:41

深川吟行

                                        六月二十日
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第十二回の関口芭蕉庵に続いて、再び芭蕉を訪ねることにした。俳人にとっては深川は一度は訪れなければならない聖地である。ここに芭蕉は庵を結び、三十一歳(一六七四)から五十一歳(一六九四)で亡くなるまで住んだ。三回ほど庵は建て替えられたが、その間に俳諧が完成された。
今回は芭蕉庵界隈を巡ったが、現代の深川に江戸の面影はあまり見ることができない。深川の町よりも清澄庭園の方へ気持ちが傾いてしまった。ともかくも地下鉄の森下駅で待ち合わせて、行きやすい道順で巡る。朝は怪しかったお天気も次第によくなってきていた。

まずは要津寺を訪れたが、住宅街の分かりにくい場所にあり、少し探し廻る。入口のすぐ右手に雪中庵関係の石碑群が並んでいる。天明期に雪中庵三世、大島蓼太が、この寺の門前に芭蕉庵を再興した。

嵐雪の寺の空なる花石榴    長嶺千晶
玄関に目高の泳ぐ鉢のあり   上田禎子

a0090198_9354183.jpg要津寺から十五分ほど歩いて芭蕉記念館へ。深川は平らなところとつくづく思った。自転車が家々の前に置かれている。坂の多い街に住んでいるとこんなところが珍しい。道々さまざまな草花が植えられ、5,6寸にも伸びた稲がそよいでいるプランターがいくつも並べられ、さながらミニ植田だ。
江東区芭蕉記念館は隅田川からその「笠」の屋根を見ることができる。館には芭蕉の短冊、書簡、蕪村や杉風が描いた芭蕉の像などが展示され、また、当時の歩くときに身に付けていた、衣服、笠、脚絆、手甲なども見本としてあり、当時の旅の様子を偲ぶこともできる。蛸壺も置いてある。

夏帽子ぞろぞろ芭蕉記念館   山田紗也
青芭蕉記念館とは暗きもの  岩淵喜代子
冷房を知らぬ芭蕉の茶人帽   芹沢 芹
蛸壺で人と逢いきし昼寝覚    上田禎子

記念館を出て分館である上記の写真の芭蕉庵史跡展望庭園へ。清州橋から新大橋まで眺められる。庭園の小さな池に金魚がいて、日差しをさけ暗い穴に潜み、人声に一匹でてきたら次々にでてきて八匹くらい。また、すぐに隠れてしまふ。たまに出てくる。しばらくみんな覗き込んでいた。

江東は橋多き町心太       辻田 明
端坐する翁の像や夏燕     望月 遥
橋一つ二つと数へ夏の雲    芹沢 芹
炎帝に仕へ航跡真白なる    長嶺千晶

展望庭園の石段を降りると、その前の家に木賊があおあおと横一列に並んでいた。たしか季語は冬でなかったかなとみんなで言い合う。そばに小さな正木稲荷神社があり、賽銭箱の前に江戸名所図会が飾られていた。それからすぐに芭蕉庵跡といわれている芭蕉稲荷神社がり、三坪ほどで狭い。「古池や」の句やこの庵の由来の説明書きがある。その中に箱庭があり、年配の人が説明する。

三十年経し箱庭に坐りこむ   松浦 健
箱庭の中の日月水の音     芹沢 芹
鴨足草芭蕉稲荷の石蛙     望月 遥
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萬年橋のたもとに大きな欅が緑陰を作っている。もう、この頃は日差しが強くなり暑い。そういえば、今日は夏至と思いだす。

満潮の紫陽花色の小名木川  岩淵喜代子 
芭蕉が禅を学んだ仏頂和尚の寄寓していた臨川寺へ。入口の左手には「芭蕉墨直しの碑」「芭蕉由緒の碑」「玄武仏碑」などあり。いづれも復元されたものである。深川は関東大震災、東京大空襲などで多くのものが失われた。ちょうどお昼時となり、句会場所の清澄庭園に行く。句会までばらばらになり池を眺めたりして昼食をとる。

紫陽花の奥に答のあるごとし   松浦 健 
蛇眠る人はこの世を過ぎゆくも  松浦 健
手を伸べて亀と遊べる黒日傘   長嶺千晶
青鷺の喉に揺れゐる水かげろふ 武井伸子
梅雨蝶の水の面より湧き出づる  武井伸子
四阿は風の交はる夏燕      辻田 明
一瞬にさざ波光る通し鴨     辻田 明
菖蒲田の畦をくづせる水の嵩   望月 遥
水鶏笛悼みの音を秘めゐたり   望月 遥
飛石の少し濡れをり花くちなし  山田紗也
青鷺を眺む男の耳飾り      上田禎子
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涼亭で一時から句会である。人数の割には広々とそして本当に涼風が通る。

釣殿の水陽炎に酔ふごとし    松浦 健
背水の陣のごとくに泉殿    岩淵喜代子
釣殿に極楽よりの風きたる    芹沢 芹
水かげろふ軒に宿して泉殿    武井伸子
釣殿にぐるりと青き風のあり   山田紗也
涼亭のガラス障子の透きとおり  上田禎子
芥さへ波のきらめき泉殿     長嶺千晶
三方を水寄せてくる夏座敷    武井伸子
こころとは体の何処に水羊羹   辻田 明

まだまだ見るところがあったのだが、またの機会になった。 
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                         文・写真上田禎子

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# by basyou-ninin | 2009-06-20 08:55 | 俳句

関口芭蕉庵

関口芭蕉庵吟行           2009年4月18日
今回は関口芭蕉庵とその界隈である。芭蕉が延宝五年(三十四歳)から同八年(三十七歳)まで神田上水の改修工事に携わり、この地にある竜隠庵(りゅうげあん)に住んだので、関口芭蕉庵と呼んで大正十五年に東京府の指定史蹟に編入された。現在は神田上水はなく、江戸川のみである。
関口芭蕉庵は、神田川(江戸川)沿いにあり、江戸川橋から西へ約一キロの新江戸川公園との間にある。コースは江戸川橋から歩き、水神社、新江戸川公園とまわり最後に芭蕉庵へ。普通は順序だてて辿ったコースどおりに書くのだが、ここでは、目的の関口芭蕉庵から書こうと思う。以下芭蕉庵とよぶことにする。
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芭蕉庵の正門は桜祭り以外は閉ぢてをり、この日は屋根に猫が眠っていた。句会の後に、四時間後だったが、まだそこにいたのと驚いた。庵には横の胸突坂の通用門から入ることになっている。芭蕉庵は「目白崖下にあり」と「江戸名所図絵」に記されているように、崖を背にしてをり、門の中すぐに芭蕉庵という建物があり、庭には句碑、芭蕉塚、芭蕉堂、瓢箪池などが木々や草花とともにうまく配置されている。吟行の材料には事欠かない。和室が句会場で、この芭蕉像がある。障子の光が柔らかい。
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春惜しむ座して小さき芭蕉像    芹沢 芹
聞こゆるは水音ばかり著我の花   芹沢 芹
明るさの中の静けさ著我咲けり   芹沢 芹
牡丹や水音のして芭蕉庵      上田禎子
白山吹ひょうたん池に小さき橋   上田禎子

芭蕉の「古池の」句碑のそばを抜け、さみだれ塚へ。碑の表面には「芭蕉翁之墓」とあり、芭蕉の句「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の真蹟を埋めている。翁はさみだれの松を背景とする、一面の青々とした早稲田田圃を琵琶湖に見立て、その風光を愛したために、後の俳人たちが墓とした。芭蕉翁関東七墓の一つ。
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句碑までのプロムナードや蕗の風  牧野洋子
木洩れ日やさみだれ塚へ春帽子   上田禎子

地獄の釜の蓋という名前に似合わないスミレのような薄紫の草花にみんな足を止める。

磴ごとに地獄の釜の蓋ふさぐ    松浦 健
聞きてよりいよよ地獄の釜の蓋  岩淵喜代子
立ちどまる地獄の釜の蓋の前    望月 遥

さみだれ塚の上の芭蕉堂へ。そばに古木の大銀杏があり、幹から太い気根、「垂乳根」が文字通りさがり、その奇妙さに目をみはる。そして竹林へ。竹の下一面に著我が咲いていた。

竹皮を脱ぐと叫びてゐたりけり   松浦 健
竹落葉芭蕉の頃の空の青      芹沢 芹
筍の獣のごとき皮光る       辻田 明
垂乳根の一つは太し囀れり     牧野洋子
雲流れ筍のごぼと突き出して    牧野洋子
筍の伸びきってゐる鬼門かな    望月 遥

神田川に沿って
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有楽町線の江戸川橋から歩く。川沿いは公園で桜が植えられてをり、お花見でも有名だ。

さくらしべ降るたび水のうごきけり岩淵喜代子
桜蕊ふるふる街の音が降る    岩淵喜代子
葉桜の空があそび場雀たち     松浦 健
おほかたは風の吹くまま花は葉に  山田紗也
葉桜の彩の深まる神田川      辻田 明

行く道は若葉若葉である。途中には「芭蕉が詠んだ植物たち」の案内板があり、それには梅、椿、桜、藤、竹、芭蕉、椎、萩、木槿、楓、茶、柿、と十二種が地図つきで書かれてている。さまざまな人々とすれ違う。同じように句帳を持った人たちも。なんとなくお互いに目をそらしたり。犬や猫をよく見かけた。
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花は葉に杖つくたびに鈴が鳴る 上田禎子
貴婦人のやうな犬行き風光る  辻田 明
春眠の猫梁にをり時計塔     武井伸子
春風にくるりくるりと猫の首    武井伸子
猫のゐるベンチに春の落葉かな 山田紗也

ふと誰かが立ち止まる。蚊母樹(いすのき)という珍しい名前に。茶色い瓢の実に。青い葉に膨れた部分があり、それを虫瘤(虫癭)といい、秋になると瓢の実になる。あおあおとした実を手に取ったり、また、乾いた実を吹く人もいてしばらく、そのまわりで大騒ぎをする。

ひょんの実の青葉のかげに膨らめる 松浦 健
戯れにひょんの笛吹く花の頃    山田紗也

神田上水取り入口に使用されていたものが復元された大洗堰跡に着く。周辺は、細長い石組の池になっていて、座るのにちょうどいい形に石が配置されているので、しばし休憩。
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蝌蚪はみな尾のあるかぎり尾を振れり 岩淵喜代子
それらしき手足みゆるか蝌蚪の水  望月 遥
重ねたる波紋の中のあめんぼう   望月 遥
おたまじゃくし大洗堰にみな屈む  上田禎子

椿山荘の中のおそばを食べに寄った人も。結婚式も多かったようである。足をのばして新江戸川公園で春の日を眩しみつつ昼食をとる。

山桜より淡き色五穀米       牧野洋子
花嫁のベールはためく鳥曇     武井伸子
シスターの帽子目深くチューリップ 武井伸子
窓際のプリムラ午後の喫茶店    山田紗也
春深し鳴かぬ亀の子捕えたる    辻田 明
椿落ち赤き波紋の広がりぬ     辻田 明
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                      文・写真上田禎子
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# by basyou-ninin | 2009-04-18 07:33 | 俳句

田遊び吟行

                     田遊び吟行       2009.2.11

2月11日、板橋区の徳丸北野神社に出かけた。
毎年、同日に行われる北野神社の田遊びは、五穀豊穣、子孫繁栄を祈願する行事。
国の重要無形文化財に指定されている。新年の季語だ。
同社に伝わる縁起『武蔵国豊嶋郡徳丸郷天神宮紀』によると、995年に、京都の北野神社から天満宮を勧請した際に、その奉祝行事として「田阿曽美之祭(たあそびのまつり)」を行ったことが始まりと伝えられている。
神社本殿前に「もがり」と呼ばれる聖域を設け、中央に置かれた太鼓の皮を田んぼにみたてる。一年間の稲作作業を物真似の所作で演じ、今年の豊作を予祝し、子孫繁栄を願う。
 
開始時間の午後6時よりも早めに神社に到着。
境内の紅梅が満開だった。
別殿をのぞいてみると、田遊びに使う餅で作った鍬や小道具などが用意されていた。
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日が暮れるにつれて、舞台となる「もがり」が裸電球の灯りに浮き上がる。
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拝殿で行われていた祭典式がすむと、もがりには、田遊びを主導する大稲本、補佐役の小稲本、それに鍬取りが次々と上ってくる。十数人がもがりの上に勢ぞろい。
もがり下には演者の履物がびっしりと。
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静かにゆるやかに唱え言葉と所作がはじまる。
 よう、よなんぞうどの、よう
 町々をかぞえ候、かぞえ候、
 東の方に 一万町 一万町
 南の方に 一万町 一万町
と東西南北に中の町を加えて、五万町の田んぼが広がっている様を歌い上げる。
 
唱導の始め静かに春灯              芹沢 芹
かがり火の爆ぜて田遊び始まりぬ       芹沢 芹
田遊びのもがりの注連の少し揺れ       上田禎子
田遊びに聴く遠き世の節回し           上田禎子
夜焚火に口承の唄つづきをり           四宮暁子
田遊びや注連をゆらして神来たる        武井伸子
田遊びややる気なさげな人もおり        上河内岳夫
田遊びに江戸の時間の流れこみ        上河内岳夫

境内で焚かれているドラム缶の篝火が、炎を夜空へ舞い上げる。
この火はどんど火でもある。
境内には二本の大欅がたっていて、もがりを見下ろしている。

田遊びの山場となりて火を囃す         青木華子
田遊びを見下ろす欅大樹あり           大河内岳夫
どんど火にあほられてゐる夜の大樹      武井伸子
田遊びの闇焼くための火を造り         岩淵喜代子
田遊びや餅でつくりし鍬負ひて          岩淵喜代子
田遊びのもがりの後ろ火屑とぶ         上田禎子

もがりでは、餅で作った鍬を担いで、田んぼの土をおこし、また田をならす所作を行う。
そのとき舞台上の田んぼは、中央にでんと据えられた太鼓である。
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牛の面をつけた牛役も登場。
大稲本と小稲本にひかれて田をならす所作を行う。
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ゆったりとした調子の歌が途絶えることなく続く。歌いながら、種がまかれる。
もがりを照らす照明に、蒔かれた種がきらきらと零れ落ちる。

田遊びを囲いて闇のきりもなし          岩淵喜代子
天地に田遊びの闇生まれそむ          岩淵喜代子
田の神を称ふ黒足袋床うちて          芹沢 芹
東京に残す田遊びささら鳴る           芹沢 芹
田遊びの扇子ふる手のごつごつと       上田禎子
牛役も着膨れもみな民と民            四宮暁子
着ぶくれの伸ばさるる手に酒わたる       四宮暁子
光りつつ田遊びの種飛びきたる         武井伸子
田遊びや闇に天地の潤みたる          武井伸子
田遊びの夜空に実る稲穂かな          武井伸子
田遊びや振舞い酒の舌に滲み         大河内岳夫

中休みには振舞い酒も出て、馥郁とした酒の香がもがりの周辺に漂った。
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途中、冷たい小雨が降ってきたが、いつの間にかそれも止んでいる。
舞台では、ふたたび田を起こしたのち、早乙女役の男児を太鼓の上に乗せ、夜空へ高く放り投げる。
稲の生育と子供の成長を祈願する所作である。
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田遊びや男の子を高く差し上げて       岩淵喜代子
五月女の頬つるつるに出番待つ        上田禎子
放り上げられし子どもの春たしか        四宮暁子

松明に導かれつつ現れたのは、「ひるまもち」と滑稽な人形の「よねぼう」。
よねぼうはどうやら巨大な男根を付けている模様。
人垣が二手に分かれ、もがりまでの道を踊りながらやってくる。
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その後、「獅子」、「駒」、「太郎次」と「安女」の夫婦、「破魔矢」と続く。
安女は妊婦姿。太郎次と抱き合う仕草をして、腰を振って五穀豊穣を祈る。
これらの演目は、男女の交合が稲の豊作を促すという、古代の感染呪術的な信仰の名残だという。
観客は大喝采。演者と観客との即興のやりとりも楽しい。
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舞台がもがりに戻ると、田の草をとり、田廻り、稲刈りと歌につれて所作が続く。
最後は田遊びの道具一式を太鼓の上に積み上げて、豊作を言祝ぐ。
手打ちをして、終了となる。
 よう、よなんぞうどの、よう
 稲むらつませたもう つみ候 (中略)
 徳丸おとな若い衆は、稲むらにかきをして、
 ねまつて目出度候
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田遊びが終り、駅へと向かう道で、今年は満月に近い月が夜空に出ていた。
昨年は三日月。どちらも美しい月である。
「よう よなんぞうどの よう」という呼びかけの声がいつまでも耳の底に残った。

田遊びやデジカメで追う暴れ馬          上河内岳夫
田遊びの獅子に噛まれてゐたるかな       青木華子
獅子役は校長先生かも知れず           四宮暁子
三日月は空の果(はたて)に御田祭        青木華子
田遊びの終りし冷えののぼり来る         青木華子
田遊びを終へて大きな月仰ぐ            芹沢 芹

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                     文・写真/武井 伸子
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# by basyou-ninin | 2009-02-11 18:00

青梅吟行

吟行燦燦 第十回

  青梅吟行                     

        九月二十日
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 台風一過の一日、青梅吟行の行く先は
釜の淵公園である。岩淵喜代子先生以下、武井伸子、上田禎子、そして案内役の長嶺千晶が、青梅駅改札に十一時に集合した。
 まずは腹ごしらえを兼ねて、青梅市立美術館の喫茶店に立ち寄る。青梅駅からだらだらと道を曲がりながら下ってゆくと、千ヶ瀬バイパスに面して美術館が建っている。小島善太郎の油絵と、現代版画作品を中心としたコレクションで、池田満寿夫の版画などがあり、すでに懐かしい感じがする。建物はたいそう立派である。また、喫茶店は別棟になっているので、外から直接入ることができる。
 道々酔芙蓉の大きな木があり、白い花が野分晴れの青空に映ってとても美しかった。

   隆々と雲のゆくなり白芙蓉    伸子 

 ビーフシチューセット(1,260円)、カレーライスなどでお腹を満たして、いざ出発。この美術館の裏手にはすでに多摩川が流れており、釜の淵公園はその一角にある。
 もともと釜の淵とは、水底が深く、流れがゆるやかなところの意で、ここで多摩川が大きく、ほぼ90度、湾曲している。昨日、台風が過ぎたのにもかかわらず水の色は翠を帯びて美しい。

   秋光に架橋のはがね鮎の竿    禎子
   釣人の腰をあをあを秋の水     伸子
   釣糸を水さらひゆく天高し      千晶

 鋼鉄製の柳淵橋を渡ると、「河原にて白桃剥けば水過ぎゆく 森澄雄」の名句を思い起こさせるような、河原の風情である。河原へ降りてゆくと、鮎釣りの人が七、八名ほど、竿を立てたまま微動だにしない。今は落ち鮎のシーズンで、竿を下ろしておけば、日に十匹は釣れるという。写真のように三十センチにも及ぶ、まるで、ニジマスのような鮎が釣れていた。昔は大岩の影に雌鮎が集まるので、それを追って雄鮎が群れをなし、五十匹以上も集まったものだという。

   錆鮎の目の美しと少女言ふ     禎子
   落鮎の掌にひくひくと脈搏てり    伸子
   落鮎のざらざらとして掌にはねる  禎子

 釣り上げた落ち鮎を触らせてもらった実感の句である。そこここで、鮎を焼く煙が立ち上り、石を積み上げて炉にしては、バーベキューを楽しんでいる家族もあった。

  男きて火熾す河原いわし雲      伸子 
  石三つ寄せて炉となす新酒かな   喜代子

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 河原を楽しんでるのは人間ばかりではない。

  柴犬の浅瀬蹴散らす鱗雲     伸子
  流木を咥えし犬や出水川      千晶

 飼い主のご夫婦に連れられてきた犬が、ご主人が投げた流木を受け止めようと、水にはいっては、咥えてきて、また投げてもらっては、水を蹴散らして、と遊んでもらっていた。最後に流木を流れの中に見つけられずに、しょんぼりと岸へあがってきたのは、見ていてかわいそうなくらいだった。

真ん中に犬坐す夫婦秋深し    千晶                                  子らの声間遠になりて法師蝉   伸子
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 大気の爽やかさは、水辺にまさるものはない。河原から上がって、深い木立の中をはいってゆくと、水引草の紅、曼珠沙華の赤が暗い森の闇に、発光するようだ。

  曼珠沙華川音の中川流れ      喜代子
  ゆっくりと歩めば無音曼珠沙華   喜代子
  曼珠沙華過ぎゆく水をまなうらに  千晶

 木立の中には宮崎家住宅という移築した古民家をがあり、そこは藁屋根のために、毎日、囲炉裏をたいているという。縁先で休ませてもらうのにちょうど良い場所である。その眼下を多摩川が流れてゆくのである。そこには、鮎美橋という鋼鉄製の真白な吊り橋がかかっているのも景観を作っている。古民家の隣には、郷土博物館が建っている。すべて無料で見学できる。


  掌中に石文ぬくむ素秋かな     喜代子

 柳淵橋のたもとには、亜陶(あど)という喫茶店がある。あらかじめ頼んでおいたので、
2階のギャラリーになっている部屋を使わせてくれた。ケーキセット(650円)を皆で取る。ここが、今日の句会場である。お店のご厚意で、ファックスのコピーを使わせていただいたので、十句出しの吟行句と、五句出しの題詠句の二回の句会がほぼ、二時間でできた。題詠の題は次のとおりである。
「時・白・がたがた・落・離」

  離れては寄り合ふカヌーの黄と赤と    喜代子
  野分晴れカヌー落ちゆく水迅し       千晶
  落鮎の顎尖りたる真昼かな         伸子
  流木になるまでの時鳥渡る         禎子
  月射すや水離れたる流木に        千晶
  がたがたの木の椅子に降る水木の実   禎子
  どんぐりの踏みしだかるる白さかな    千晶
  川音の時浸しゆく曼珠沙華         伸子

 折から、カヌーの練習も始まって、川音にも活気がみなぎってきた。四時頃、川を後にして、坂を上りきった、「大柳」のバス停で、二駅ほどバスにのり、青梅駅に到着した。自然に触れ合えた、心やすらぐ吟行会であった。           (長嶺千晶記)
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# by basyou-ninin | 2008-09-20 16:19

阿仏「うたゝね」を詠む

  阿仏「うたゝね」を詠む        木津直人


彼のこころが冷めてゆく。
  ものおもふ月に階段にじみつつ

あんなに愛しあったのに。
  夢うつゝとも朝礼の鰯雲

西山の紅葉を見てきました。私は十九です。
  あくがるゝ心を止めて遠紅葉

久しぶりの彼の手紙、彼の訪問!
  帰りても秋の戦ぎのしとねかな

彼の奥様が亡くなり、もういちど彼に会う。そして、それきり。
  かのところ進入禁止秋遍路

心がこわれてゆく。
  師走にもなりぬ灯りし駅見えぬ

ある夜、私は髪をきりおとす。
  春の床のどやかなるに鋏置く

深夜、私は西の山をめざし、ひそかに門を出る。
  たゞ今も出でぬべきかは春の闇

雨が激しく降りだす。泥にまみれて、夢と現実の区別もつかない。めざす尼寺は見つからない。
  ほのぼのと春のボタンが落ちてゐて

夜明け、私は桂の里人たちに見つけられる。
「どうしたの、あなたは! 誰かから逃げて来たの? 口論をして来たの? いったいどうしてこんな雨のなかを、この山の中にやって来たの! どこから来て、どこに行こうとしているの。ああひどい姿で!」
私は答える。
「諍いも口論もしていません。ただ思うことあって深夜に出て来たのですが、雨もひどくなり山道にも迷って、来た方もわからず行く先も見えず、死ぬような気持ちがして、ここにたどりついたばかりです。どうか私を法華山寺へ連れていってください」
彼女たちは私の手を引いて歩きだす。
  松風のあらあらしきも柳絮らと

私は出家する。尼君たちは皆親切だ。朝夕の勤めを欠かさず、生きることの罪をきよめ、仏の道を歩むことを、今の私は喜びとする。それにしても私はなんと思いきったことをしたことだろう。
  男子整列もの狂をしき春の爪

それでも私の心は迷いつづける。なつかしい彼のことで――。私はこれまでのこと、つまりこの日記をひそかに書きはじめる。
  ものをのみ思ふ機械か夕霞む

何気ない用事をよそおい、彼に手紙を出してみる。やがて返ってきたのは、冷ややかな社交辞令だけ。
  十字架が雨のなごりに目借時

私は病に伏し、東山の五条に移される。そのとき偶然彼の車とすれ違う。そしてそれが最後となった。
  春服や命あやうきものに風

夏。私は恢復し、自邸に戻される。そして秋。
  十六夜の光を待てる登山小屋

私の心は虚ろ。
  棹売りのはかなく過ぎて秋の虹

私は養父のすすめに従い、遠江にむけて旅立つことになった。涙があふれる。
  くだるべき日に紅葉の鼓笛隊

洲俣(すのまた)という所。長良川の渡しで男たちが言い争っている。誰かが川に落ちる。水しぶき。何と恐ろしい、だが何とわくわくする体験だろう!
  野も山もはるばると行け秋の旅

鳴海の浦の干潟にならぶ、塩煮の釜のおもしろさ。浜名の浦のひろがり。私の心は癒されてゆく。
  大きなる川より秋の和音かな

養父の家での暮らしがはじまる。でも私の心は京の空にある。気まぐれで、そのくせ思いこむと後先もわからず飛びだして、失敗ばかりしている、こんな私のことを彼はどう思っているのだろう。
  こゝかしこ初霜おりて点眼す

乳母が重病とのしらせに、私は帰り支度をはじめる。春まで待つようにと、周囲の者たちは諭すのだが、私の決心は変わらない。やがて供の者が集められる。それにしても、私のこの厄介な性格はどうにかならないものだろうか。
  霜月や現在地なぜ表示せぬ

不破の関守が怖い目をして見ている。だがここから京は、もう遠くはないのだ。
  このたびは耳すましけり軒氷柱

比叡山の雲になつかしさがこみあげる。私は乳母のもとに駆けつける。
  燻製に雨ふりいでゝ枯野めく

私のこの日記を、いつか誰かが読むことがあるだろうか。
  そのゝちは身を朝礼の冬空に


(笠間書院版・次田香澄・渡辺静子校注『うたゝね・竹むきが記』を用い、各二十四節の冒頭か、それに近い言葉を句のなかに折りこみました。たとえば第一節は「ものおもふ事のなぐさむにはあらねども、」と始まる、その「ものおもふ」を。)

                  * * *

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「うたゝね」の作者、のちの「十六夜日記」の作者である阿仏(あぶつ・阿仏尼・安嘉門院四条)は下級貴族の娘で、女房として仕えるうちに高位の男性と関係をもち、失恋します。このとき阿仏十八~九歳(一説では三十歳前後)、鎌倉時代中期、西暦1243年前後の出来事と考えられます。

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阿仏の一族は衣笠一帯に住み、出仕先もその域内にあったと考えられます。彼女が尼寺へ向かった経路は定かではありませんが、西へ進んで嵐山で桂川を渡り、法輪寺の前を過ぎて南下、そこで桂の里人に助けられたようです。その後たどり着いた尼寺も、法華山寺、善妙寺など諸説ありますが、現在の松尾大社のあたりの寺の一つであったようです。
 とくに桂の里人との出会いはこの作品の白眉ともいえるので、原文を紹介してみます。
『これや桂の里の人ならんと見ゆるに、ただ歩みに歩みよりて、「これはなに人ぞ。あな心憂(う)。御前(まへ)は人の手をにげ出で給ふか。また口論(くちろん)などをし給ひたりけるにか。なにゆへかゝる大雨にふられて、この山なかへは出で給ひぬるぞ。いづくよりいづくをさしておはするぞ。あやし、あやし」とさへづる。なにといふ心にか、舌をたびたび鳴らして、「あないとほし、あないとほし」とくりかへし言ふぞうれしかりける。しきりに身の有様をたづぬれば、「これは人を恨むるにもあらず。また口論とかやをもせず。たゞ思ふことありて、この山の奥にたづぬべきことありて、夜ぶかく出でつれど、雨もおびたゝたしく、山路さへまどひて、来しかたもおぼえず行くさきもえしらず、死ぬべき心地さへすれば、こゝに寄りゐたる也。おなじくはそのあたりまでみち引き給ひてんや」といへば、いよいよいとほしがりて、手を引(ひ)かへてみちびく情のふかさぞ、仏の御しるべにやとまで嬉しくありがたかりける。』
「うたゝね」は源氏物語や伊勢物語などを手本とした、実験的な物語作品でもあるようですが、虚構では描きにくい、いきいきした部分が含まれるために、仮に阿仏本人による再構成があったとしても、彼女の青春の実体験が元になっていると考えられています。

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                 (地図:新詳高等地図 帝国書院1972年)
 

後半は旅のなかで阿仏が次第に元気をとりもどしてゆく様が描かれます。
「洲俣(すのまた)の渡し」は長良川を越える交通の要衝で、現在の墨俣町。本来の東海道は南の鈴鹿越えを取りますが、鎌倉中期のこの頃はこの美濃路のルートが東海道の本道に指定されていました。
 浜名湖の湖口は砂州でつながっており、阿仏はその風景を「おもしろき所なりける」と楽しんでいます。のちに戦国時代の地震と津波でこの砂州は切られ、浜名湖は海とつながります。
 彼女の目的地である養父の任地が、遠江のどこであったかは不明ですが、浜名湖を越えたあたりですから、現在の浜松市かも知れません。
 阿仏はその後還俗と再出家をし、奈良や、京都の松尾周辺の寺とかかわりを持ちながら、出会った男性との間の子を困窮のなかに育て、のち藤原為家の妻となってからは歌名をあげます。
 阿仏の墓とされるものは鎌倉と京都にあります。

(参考:田渕句美子「阿仏尼とその時代」臨川書店)
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# by basyou-ninin | 2008-09-01 10:00