ANA国内線【PR】
阿仏「うたゝね」を詠む
  阿仏「うたゝね」を詠む        木津直人


彼のこころが冷めてゆく。
  ものおもふ月に階段にじみつつ

あんなに愛しあったのに。
  夢うつゝとも朝礼の鰯雲

西山の紅葉を見てきました。私は十九です。
  あくがるゝ心を止めて遠紅葉

久しぶりの彼の手紙、彼の訪問!
  帰りても秋の戦ぎのしとねかな

彼の奥様が亡くなり、もういちど彼に会う。そして、それきり。
  かのところ進入禁止秋遍路

心がこわれてゆく。
  師走にもなりぬ灯りし駅見えぬ

ある夜、私は髪をきりおとす。
  春の床のどやかなるに鋏置く

深夜、私は西の山をめざし、ひそかに門を出る。
  たゞ今も出でぬべきかは春の闇

雨が激しく降りだす。泥にまみれて、夢と現実の区別もつかない。めざす尼寺は見つからない。
  ほのぼのと春のボタンが落ちてゐて

夜明け、私は桂の里人たちに見つけられる。
「どうしたの、あなたは! 誰かから逃げて来たの? 口論をして来たの? いったいどうしてこんな雨のなかを、この山の中にやって来たの! どこから来て、どこに行こうとしているの。ああひどい姿で!」
私は答える。
「諍いも口論もしていません。ただ思うことあって深夜に出て来たのですが、雨もひどくなり山道にも迷って、来た方もわからず行く先も見えず、死ぬような気持ちがして、ここにたどりついたばかりです。どうか私を法華山寺へ連れていってください」
彼女たちは私の手を引いて歩きだす。
  松風のあらあらしきも柳絮らと

私は出家する。尼君たちは皆親切だ。朝夕の勤めを欠かさず、生きることの罪をきよめ、仏の道を歩むことを、今の私は喜びとする。それにしても私はなんと思いきったことをしたことだろう。
  男子整列もの狂をしき春の爪

それでも私の心は迷いつづける。なつかしい彼のことで――。私はこれまでのこと、つまりこの日記をひそかに書きはじめる。
  ものをのみ思ふ機械か夕霞む

何気ない用事をよそおい、彼に手紙を出してみる。やがて返ってきたのは、冷ややかな社交辞令だけ。
  十字架が雨のなごりに目借時

私は病に伏し、東山の五条に移される。そのとき偶然彼の車とすれ違う。そしてそれが最後となった。
  春服や命あやうきものに風

夏。私は恢復し、自邸に戻される。そして秋。
  十六夜の光を待てる登山小屋

私の心は虚ろ。
  棹売りのはかなく過ぎて秋の虹

私は養父のすすめに従い、遠江にむけて旅立つことになった。涙があふれる。
  くだるべき日に紅葉の鼓笛隊

洲俣(すのまた)という所。長良川の渡しで男たちが言い争っている。誰かが川に落ちる。水しぶき。何と恐ろしい、だが何とわくわくする体験だろう!
  野も山もはるばると行け秋の旅

鳴海の浦の干潟にならぶ、塩煮の釜のおもしろさ。浜名の浦のひろがり。私の心は癒されてゆく。
  大きなる川より秋の和音かな

養父の家での暮らしがはじまる。でも私の心は京の空にある。気まぐれで、そのくせ思いこむと後先もわからず飛びだして、失敗ばかりしている、こんな私のことを彼はどう思っているのだろう。
  こゝかしこ初霜おりて点眼す

乳母が重病とのしらせに、私は帰り支度をはじめる。春まで待つようにと、周囲の者たちは諭すのだが、私の決心は変わらない。やがて供の者が集められる。それにしても、私のこの厄介な性格はどうにかならないものだろうか。
  霜月や現在地なぜ表示せぬ

不破の関守が怖い目をして見ている。だがここから京は、もう遠くはないのだ。
  このたびは耳すましけり軒氷柱

比叡山の雲になつかしさがこみあげる。私は乳母のもとに駆けつける。
  燻製に雨ふりいでゝ枯野めく

私のこの日記を、いつか誰かが読むことがあるだろうか。
  そのゝちは身を朝礼の冬空に


(笠間書院版・次田香澄・渡辺静子校注『うたゝね・竹むきが記』を用い、各二十四節の冒頭か、それに近い言葉を句のなかに折りこみました。たとえば第一節は「ものおもふ事のなぐさむにはあらねども、」と始まる、その「ものおもふ」を。)

                  * * *


「うたゝね」の作者、のちの「十六夜日記」の作者である阿仏(あぶつ・阿仏尼・安嘉門院四条)は下級貴族の娘で、女房として仕えるうちに高位の男性と関係をもち、失恋します。このとき阿仏十八~九歳(一説では三十歳前後)、鎌倉時代中期、西暦1243年前後の出来事と考えられます。


阿仏の一族は衣笠一帯に住み、出仕先もその域内にあったと考えられます。彼女が尼寺へ向かった経路は定かではありませんが、西へ進んで嵐山で桂川を渡り、法輪寺の前を過ぎて南下、そこで桂の里人に助けられたようです。その後たどり着いた尼寺も、法華山寺、善妙寺など諸説ありますが、現在の松尾大社のあたりの寺の一つであったようです。
 とくに桂の里人との出会いはこの作品の白眉ともいえるので、原文を紹介してみます。
『これや桂の里の人ならんと見ゆるに、ただ歩みに歩みよりて、「これはなに人ぞ。あな心憂(う)。御前(まへ)は人の手をにげ出で給ふか。また口論(くちろん)などをし給ひたりけるにか。なにゆへかゝる大雨にふられて、この山なかへは出で給ひぬるぞ。いづくよりいづくをさしておはするぞ。あやし、あやし」とさへづる。なにといふ心にか、舌をたびたび鳴らして、「あないとほし、あないとほし」とくりかへし言ふぞうれしかりける。しきりに身の有様をたづぬれば、「これは人を恨むるにもあらず。また口論とかやをもせず。たゞ思ふことありて、この山の奥にたづぬべきことありて、夜ぶかく出でつれど、雨もおびたゝたしく、山路さへまどひて、来しかたもおぼえず行くさきもえしらず、死ぬべき心地さへすれば、こゝに寄りゐたる也。おなじくはそのあたりまでみち引き給ひてんや」といへば、いよいよいとほしがりて、手を引(ひ)かへてみちびく情のふかさぞ、仏の御しるべにやとまで嬉しくありがたかりける。』
「うたゝね」は源氏物語や伊勢物語などを手本とした、実験的な物語作品でもあるようですが、虚構では描きにくい、いきいきした部分が含まれるために、仮に阿仏本人による再構成があったとしても、彼女の青春の実体験が元になっていると考えられています。


                 (地図:新詳高等地図 帝国書院1972年)
 

後半は旅のなかで阿仏が次第に元気をとりもどしてゆく様が描かれます。
「洲俣(すのまた)の渡し」は長良川を越える交通の要衝で、現在の墨俣町。本来の東海道は南の鈴鹿越えを取りますが、鎌倉中期のこの頃はこの美濃路のルートが東海道の本道に指定されていました。
 浜名湖の湖口は砂州でつながっており、阿仏はその風景を「おもしろき所なりける」と楽しんでいます。のちに戦国時代の地震と津波でこの砂州は切られ、浜名湖は海とつながります。
 彼女の目的地である養父の任地が、遠江のどこであったかは不明ですが、浜名湖を越えたあたりですから、現在の浜松市かも知れません。
 阿仏はその後還俗と再出家をし、奈良や、京都の松尾周辺の寺とかかわりを持ちながら、出会った男性との間の子を困窮のなかに育て、のち藤原為家の妻となってからは歌名をあげます。
 阿仏の墓とされるものは鎌倉と京都にあります。

(参考:田渕句美子「阿仏尼とその時代」臨川書店)







# by basyou-ninin | 2008-09-01 10:00
夏季合宿 会津吟行
             夏季合宿 会津吟行     2008.6.19~21

 1日目 
東京駅から1時間余り、東北新幹線の新白河駅で下車。ここから送迎バスで30分。山道を幾曲がりもして、緑滴る山中に分け入り、バスは福島羽鳥湖高原、レジーナの森に着く。
総勢6名、ににん合宿のはじまりだ。

宿泊施設とおぼしき方向に、半球体のドームが現れた。橅の森の中に建つコテージだ。たった今、宇宙船が不時着したかのようにも見える。
コテージに入り、ほっと一息。ベッドに寝転ぶと、天窓の硝子に木々の葉が揺れているのが見える。

                     
早速、敷地内の湖畔やハーブ園を散策。曇天ではあったが、空は夕刻まで持ちこたえた。
夕食までに、嘱目十句、席題十句。
 
コテージに番号ふられ落し文            岩淵喜代子
河童忌や部屋のひとりは茶を淹れる        岩淵喜代子
雨音をかたしと思ふパリー祭            岩淵喜代子
白川の関さみだれを分かつかな          長嶺千晶
覗くたび谷底揺るる緑雨かな            長嶺千晶
夏の森抜け来て髪を梳る               長嶺千晶
コテージの丸き天窓緑雨打つ            平林恵子
地より湧く森の匂ひよ六月よ             平林恵子
赤松の幹まで濡れず明易し             平林恵子
駅弁の鮭の厚切り信長忌              芹沢 芹
しんとして岩場の鎖夏つばめ            芹沢 芹
水無月の大樹何かを落しつつ            芹沢 芹
蜻蛉に白磁のやうな一ところ            上田禎子
ぐみの火色みづうみ冷んやりと           上田禎子
百合揺れて老眼鏡にかけ替える          上田禎子
夏ぐみの透きとほりゆく雨の午後          武井伸子
まくなぎや頭を傾けてやりすごす          武井伸子
横顔のほぐれてきたる青鬼灯            武井伸子
 
夕食前に句会。夕食後、降り出した小雨の中、湖の噴水レーザーショーや温泉を楽しむ。
夜は嘱目十句。

2日目 
明け方、鳥の声が天窓から降ってくる。郭公、時鳥、老鶯などの声。
朝食後に句会。

郭公や櫛通りよき朝の髪                平林恵子
灯を消して森の奥処の地虫聞く            平林恵子
ほととぎす旅の枕に頭を馴らす            岩淵喜代子
眠れない夜は噴水の丈を見て            岩淵喜代子
静けさは涼しさに似て山の宿             芹沢 芹
噴水に真昼の高さありにけり             芹沢 芹
高原に朝のはじまる夏薊                長嶺千晶
そこからは闇溜りなり立葵               武井伸子
分け入れば六月の森沈みこむ            武井伸子
夏つばめ夕べの空に紛れけり            上田禎子
蛇苺雨を呼ぶ風匂ひけり               上田禎子

午後からは、「大内宿・塔のへつり」バスツアーに参加。
バスは山を越え、緑の谷に沿い、青田へと降りてゆく。

途中、羽鳥湖、大内湖などダム湖を巡る。ダム湖で記念写真。


前日とはうって変わって、光線はすでに真夏。入道雲も湧き出している。  
茅葺屋根の宿場町、大内宿に着く。
江戸時代の街道の面影を残す一本道は、炎天下、花々を咲かせ、水路を巡らせていた。しきりに夏燕が飛び交う。
宿場が尽きたところから山道となる。少し登って、街道を見下ろすあたりで、思いがけず蜩をきく。
        

ルピナスの馬の尾のごと揺れにけり        上田禎子
集落の忽と現れカンナの緋              平林恵子
梅雨蜩大内宿を一望す                平林恵子
古町や軒端に薪を積んで夏             平林恵子   
白く乾き炎昼の旧街道                 芹沢 芹
万緑の底に村あり暮しあり              芹沢 芹
黒南風や山の農協鮭を売り              武井伸子
一村を水音めぐる蝸牛                 武井伸子
湖の大きな無音虫送り                 岩淵喜代子
蜂飼ひて大内宿の大通り               岩淵喜代子
  
 「塔のへつり」の「へつり」とは、川が歳月をかけて、浸食を繰り返してできあがった崖のこと。
崖下のまみどりの淵は、白い花びらを浮かべ、とろりと静まっていた。
歩くと、吊橋がぎしぎし揺れた。

鮎の串塔のへつりへ川隔て               上田禎子
またたびの花の会津路喉かわく            上田禎子
洞窟の菩薩や夏の灯の涼し               芹沢 芹
手に取りて買ひそびれたるさくらんぼ         長嶺千晶
またたびの白葉ひらひら炎暑くる            長嶺千晶
白南風や眼下に展け宿場町               長嶺千晶
黒揚羽羽音あるとも思へけり              岩淵喜代子
 
突然の真夏日となったツアー。
嘱目二十句。夕食ののち、句会。
夜はぐったりとなって眠る。

3日目 
明け方、ドーム型の屋根にぱらぱらと音がする。夜の間に降った雨が木々の葉に溜り、風が来ると雨雫を降らせる。青時雨。

朝食のあと、全員で敷地内の湿原へ行ってみる。
木道をたどると、野菖蒲、野萓草、夏薊、山法師、睡蓮、河骨などがつぎつぎに現れた。
睡蓮の水面は、光の水泡を散らしている。
東屋に腰を下ろし、湿原を見渡す。
水面に緑の木々と夏雲が映り、気持のいい風が吹き渡っていく。
       

       
河骨に平らな水のめぐりたる               武井伸子
避暑たのし白樺に触れ橅にふれ             芹沢 芹              
河鹿笛別れの時刻来てゐたり               平林恵子
湖岸の灯鎖のやうに夏の夜                上田禎子
首伸べて黄菅の群るる風の中               長嶺千晶
睡蓮の白ばかりなる目覚かな               長嶺千晶
よしきりの声に溺れて帰り来し               岩淵喜代子
湖へゆく道染める桜の実                  岩淵喜代子

数えてみると、いつの間にか六十五句を作っていた。一仕事なした後の充実感がある。 
帰りの新幹線の中、クーラーの涼しさが身に沁みた。         

                     文・写真/武井伸子



# by basyou-ninin | 2008-06-19 10:00
府中競馬場吟行
                                        平成20年5月19日
たまには俳句らしくないところへと競馬場へ吟行することにした。
折りしも五月。京都では「賀茂の競馬」が五月五日に行われる。神事であり、太鼓や鐘が鳴らされたり、勝敗を扇の色で判断したりと、優雅な行事である。

同じ競べ馬でも、現代の競馬はその優雅さとは遠く、射幸の対象としてである。ただ、英国では、女王陛下のスポーツであり、日本も天皇賞をもうけてあり、明治天皇も行幸したことがあるくらいであるから、本来は正統なスポーツであり、娯楽の対象である。ということで行ってみた。案内もなくほとんど競馬場は始めての女性達である。

JR府中本町の改札を抜け、一面に馬の写真が出ているスポーツ新聞を始めて買う。新聞などに印をするための赤と青のボールペンを立ち売りしている。買わなかったが、馬券に使う小さなペンをくれた。西門までの歩道橋には、競馬の浮世絵や名馬の疾走の写真が掛けてある。西門を入るとすぐに鹿児島名物が売られ、さつま揚げも好きなのが買える。一瞬買おうかなと立ち止まるが、恥ずかしくてやめた。そこから出ると、広大な競馬場が目に跳びこんでくる。

左手には巨大な観客席(フジビュースタンド)、右には手前から青々とした芝生、高い柵、芝のトラック、土のトラック。さらに向こうは内馬場。遥か遠くに緑の山々。スタンドの真向かいには、巨大なスクリーン。
早目に着いたので、お弁当でもとスタンドの中に入る。インフォメーションがあり、出走表をもらう。広々としたフード街の京樽でお弁当と漬物を買って再び外に出る。スタンドの席も空いていたのだが、青い芝に誘われてトラックの手前の芝生に日焼けしてはいけないと背を向けて座る。

夏帽を目深に馬場の監視員       彩女
五月光競馬を見ずに芝に寝て     禎子
寝転べば五月の芝生押し返す    恵子
ぎっしりと白詰草が馬場の縁      彩女
桃色の舌や馬くる野の泉         伸子

一時に正門で待ち合わせ、そこから直ぐに投票所(馬券売り場)へ。といっても初体験である。馬券はマークシートで、必要事項は塗りつぶすと聞いてはいた。馬券を置いてあるカウンターの一つに行く。たまたまそこにいた青年に迷惑をかけることになる。なんだ、このおばさんたちは!と思ったかもしれないが、親切に教えてくれる。横からおじさんも口をだす。そこへ案内係りのおねえさんが来て説明してくれ、印をしたシートを機械にお金と共に入れる。選んだ馬は名前がよさそうな感じということしか判断基準はない。シート一枚だけの人、二枚の人といた。そして競馬を見に外へでた。

誘導馬しづしづと去り夏日差し     禎子
騎手の帽浮き並びたる南風      千晶
ファンファーレ薫風起こし馬駆くる  千晶
いっせいにゲート開きぬ青葉風    喜代子
かけぬける馬のたてがみ草の絮    彩女
青芝へ影落しつつ馬駆ける      伸子
日盛りの馬の過ぎたる土けむり     喜代子
蹄鉄のきらりきらりと薄暑光    伸子
喚声に揺れるスタンド青葉風        禎子
青芝に瞬間の過ぐ競馬かな     千晶
五月晴白馬にしめるような艶       恵子
砂煙うしろに残し夏競馬         禎子
勝馬の涼しく水を飲みにけり       千晶
 
結果は後でもということで、地下道をくぐり内馬場へ。出たところが豪華なバラ園。家族連れで賑わう遊園地もあり、ポピー、矢車草などのお花畑など心憎い演出である。競馬よりもそちらの方に心を奪われた。

馬たちに瞳のくろぐろとばらの門   喜代子
耳立てて馬立ち止まる大南風      伸子
薔薇の園他人事に聞くファンファーレ  恵子
咲き誇る薔薇の湿りをてのひらに    千晶
白日傘たたみつまらなさうな顔     彩女
馬に馬つづくゆくなりバラ赤く    喜代子
紅の薔薇錆びやすし競馬場       彩女
バラ園のかたわらに止め乳母車     恵子
現れて眼も青き雨蛙         喜代子

二時間半はすぐに経ってしまい、句会をすることにして、再びスタンドの中へ。二階の喫茶室でコーヒーを飲みつつ、夕立を眺めつつ。夕立は帰るころにはやんでいた。

青芝をもえたたせ雨競馬場       恵子

受付のコピー機は馬券しかとってくれず、結局府中本町駅へ出る。近くのスーパーの中で句の用紙をコピー、句会をし吟行は終わった。なお、馬券の結果は・・・・・・。
                                               

                           文・写真上田禎子
# by basyou-ninin | 2008-05-19 10:00 | 吟行
「死者の書」の二上山へ

 彼の人の眠りは、徐かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。
 した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。


 
 折口信夫「死者の書」の冒頭はこうして始まる。この小説は歴史と幻想に綾どって創作されている。これを読んだ私の魂は、あたかもこの小説の主人公中将姫(南家郎女)のように、刑死者大津皇子(滋賀津彦)の亡魂に呼ばれて幻想に彷徨い、とうとう二上山に導かれてしまった。

 さて、二上山を最初に訪れたのは、「死者の書」に出会って約1ヶ月後の2008年3月8日である。「死者の書」では彼岸の中日、つまり春分の日がキーデーとなっている。中将姫はある春分の日、二上山の雄岳・雌岳の間に太陽が沈む瞬間に、そこへ眠る大津皇子の幻を見る。春分の日を目前にしたこの旅で、私は、ちょうど夕日が二上山へ沈んでいくところに遭遇した。二上山を訪れる前日、近鉄奈良駅から大和八木へ向かう車窓である。

  

 夕日を見、中将姫の心になりきった私は、翌朝、まず當麻寺へ向かった。ここには當麻曼荼羅にまつわる中将姫伝説がある。中将姫は、藤原四家の中で当時最も力のあった南家の藤原豊成の娘として生まれながら、継母に疎まれ、山へ捨てられるなど大変な苦労をした。16歳になると自ら望んで出家し、17歳のときに當麻曼荼羅を一晩のうちに織り上げ、29歳で西方浄土に召されたという。この姫の存在自体が架空かもしれないというのが歴史の面白さであるが、折口はこの伝説に想を得、全く違った動機で中将姫に曼荼羅を織らせている。恋に恋するお年頃である処女中将姫は、成仏できないでいる大津皇子の魂に導かれ、二上山の麓のこの當麻寺まで奈良から雨の中を徒歩で辿り着く。

   春の山満身創痍の女を抱く あきこ

 翌夜、天若御子と化した大津皇子が中将姫を訪れる・・・。

(十三章)
 つた つた つた。
 又、ひたと止む。
 この狹い廬の中を、何時まで歩く、跫音だらう。
 つた。
 郎女は刹那、思ひ出して帳臺の中で、身を固くした。次にわぢ/\と戦きが出て來た。
 天若御子――。
 ようべ、當麻語部嫗の聞した物語り。あゝ其お方の、來て窺ふ夜なのか。

(中略)
 白い骨、譬へば白玉の竝んだ骨の指、其が何時までも目に殘つて居た。帷帳は元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな氣がする。
 悲しさとも、懷しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、白々とした掌をあげて、姫をさし招いたと覺えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。
 長い渚を歩いて行く。郎女の髮は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ亂れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の中道である。浪は兩方から打つて來る。どこまでも/\、海の道は續く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて來る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と氣がつく。姫は身を屈めて、白玉を拾ふ。拾うても/\、玉は皆、掌に置くと、粉の如く碎けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ續ける。玉は水隠れて、見えぬ樣になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬はうとする。掬んでも/\、水のやうに手股から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶ/\竝んで見える。忙しく拾はうとする姫の俯いた背を越して、流れる浪が泡立つてとほる。
 姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく、裳もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現し身。
 ずん/\とさがつて行く。水底に水漬く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹の白い珊瑚の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、搖れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。


 きわどいシーンが美しい。夢から覚めた中将姫は、中日に二上山に見た俤びと、白玉の指を持つその人を恋慕うようになる。

 其は黄金の髮である。髮の中から匂ひ出た莊嚴な顏。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩・胸・顯はな肌。――冷え/″\とした白い肌。をゝ おいとほしい。(中略)おいとほしい。お寒からうに――。(十五章)

 此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩うてあげたい(十八章)


 葬られている彼の人は着物も朽ちて寒かろう。彼の人を包む着物を作って差し上げたい、その一心で姫は曼荼羅を織り上げる(注:筆者の独断的解釈)。

 當麻寺の門前通りは、他の観光地の寺ならば土産物屋になっていそうな建物が、今でも普通のしもた屋である。その不思議な時空間をまっすぐ行くと、美しい三重塔を擁する當麻寺に出る。そしてその向こうに二上山を望むことができる。大津皇子はその二上山に眠っている・・・。



  

  うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む 大伯皇女



 大津皇子は、天武天皇の第三皇子で、母は天智天皇の皇女大田皇女である。謀反を密告され24歳で処刑される。自分の生んだ草壁皇子を皇太子にと願う鵜野讃良皇后(持統天皇。大田皇女は同母姉)の意向があったとされている。先に挙げた歌は、仲の良かった姉大伯皇女が、大津皇子の墓移転の際に詠んだものであり、この地区の至るところで紹介されている。「死者の書」では、自分が二上山に葬られていることを、姉が墓の前で詠んだこの歌で知ることになっている。『懐風藻』によると、大津皇子は優れた詩人であるばかりでなく、身体逞しく容姿に優れ、学問を好み、漢籍の知識が深く、武芸を好んだ、人柄も闊達にして謙虚、という抜群の男性とされている。
 「死者の書」においては、処刑される直前に目を合わせた藤原氏の娘、耳面刀自に未練を残し、その後裔である中将姫を招き寄せてしまう大津皇子だが、妻である山辺皇女が後を追って自刃している。また、万葉集には石川郎女との素敵な相聞歌が残されている。

  あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに     大津皇子 
  吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを  石川郎女

 この世に様々な未練を残したまま処刑された大津皇子・・・。私は大津皇子の魂を慰めるべく、山道を歩いている。横を流れるせせらぎの音が心地よい。水のある山道はいいものだ。大津皇子に想いを馳せ、ここが二上山だと言い聞かせながら、この山道を歩く。
ふっと尾根に出た。そこは馬ノ背と呼ばれるところで、道が二手に分かれている。左が雌岳、右が雄岳へ向かう道である。一瞬迷ったが、まず低い方の雌岳(474m)へ登ることにする。
 雌岳の山頂はきれいに整備された公園である。日時計があり、老夫婦や子供連れ、仲間で来ている人たちもいる。登ってきたままの向きの先には葛城山、その先が金剛山。後ろは信貴山。東は大和盆地、西は河内の平野を見下ろす。大和盆地は霞みの中にあり、その向こうに笠置山地の山々が浮かんでいる。


   下萌えやふはりふはりと人の恋  あきこ
   
 さあ、大津皇子に逢いに行かねば。眺望のある雌岳で、持参のパンとりんごを食べ、雄岳(517m)との鞍部へ下りる。雄岳は眺望がなく、閑散としていた。神社があり、その横に樹で囲まれた小さいがひんやりとした異様な空間もあり、長居したい所ではない。木々の間から、金剛山を眺められるのがわずかな救いとなっている。
 大津皇子の墓は頂上にはなく、ほんの少し下にある。鳥居があり、墓石があり、門が閉じられ、宮内庁管轄であることを示す看板がある。鳥居の向こうは鬱蒼とした樹々で小山のようになっており、小さな古墳のようでもある。
 ここは河内と大和を見下ろせる場所。「死者の書」では、大津皇子の墓を二上山へ移すにあたり、鵜野讃良皇后に「罪人よ。吾子よ。吾子の為了せなんだ荒らび心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に來向ふのを、待ち押へ、塞へ防いで居ろ。」と言わせている。
 両手を合わせた。縁あってここに来たことを想った。今では多くの人が二上山を訪れる。大津皇子ももう寂しくはないだろう。その御霊も慰められていることだろう。安心して成仏してください。と祈った。

   満たされし恋も悲恋も山笑ふ  あきこ

 最初の訪問から5週間あまり後の4月13日。私は再び二上山を訪れた。そこは満開の桜で春が満ち溢れていた。きっと大津皇子も、心安らかに眠っているに違いない。



   春満ちて死者も眠たくなりしとや あきこ


                          文・写真 四宮暁子

# by basyou-ninin | 2008-04-13 20:49 | 吟行
谷中吟行
            谷中吟行     2008年2月16日(土)

月見寺
快晴に恵まれたこの日、JR日暮里駅北口に集合、月見寺とも呼ばれる長久山本行寺へ向かいました。
  
春探すやうのんびりと行く列車      四宮暁子
春光の谷中通りのせんべいや       山田紗也
鈴鳴らし歩く恋猫谷中かな         山田紗也
せんべいの香る小路や猫の恋      上河内岳夫
ダンサーのひと時春の光浴び       上河内岳夫

春遅々と寺に花小屋門番所        平林恵子
ほつほつと真珠のごとき辛夷の芽     山田紗也

二十世日桓上人は俳号を一瓢といい、多くの俳人たちと交流をもっていました。そのなかに、小林一茶がいました。一茶はしばしば当寺を訪れ、文政6年(1824)には、「青い田の露をさかなやひとり酒」などの句を詠みました。

山門を入ると、竹の群生、白雲木などの樹木や草々の庭に、句碑が点在していました。
これは一茶と一瓢の句を並べた句碑です。

                       「一茶留錫の處」

              刀禰の帆が寝ても見ゆるぞ青田原    一茶

              菜の花としりつゝのむやつるべから    一瓢

さらに、一茶の句碑もありました。

                     陽炎や道潅どのの物見塚

一茶の碑名残り金柑二タ三粒       平林恵子 
猫の手のくるりと丸し枇杷の花       牧野洋子
紅梅の蕾やはらか猫のゐて        四宮暁子
観音の頬に日の差す春北風        上田禎子

境内には紅梅が咲き始めていました。

                                  (写真・四宮暁子)

山頭火の句碑も春光を浴びて立っていました。

                  ほつと月がある東京に来てゐる

朝倉彫塑館
月見寺から朝倉彫塑館へ真っ青な空のもと、谷中の街を歩きました。
朝倉彫塑館の木造部分は耐震強度基準に達していなかったとかで、残念ながら立入が制限されていました。洋館のアトリエ棟は従来どおり見学ができました。庭には白梅が咲き、春光に池の水が揺らめいていました。
朝倉文夫の彫像の数々、天上までの書棚をもつ書斎、朝陽の間、さらに風の吹き渡る屋上からの眺めを堪能しました。

錻力やのブリキ冬日を溜めてをり      木佐梨乃 
頬杖は夢見るかたち風光る         長嶺千晶         
墓守の嗤ひに応へ春鴉            長嶺千晶
蔵書棚背文字に兆す春の色         長嶺千晶
うららかやブロンズの猫眠りをり       上河内岳夫
ブロンズの猫伸びをする春北風       武井伸子
歪みたる硝子の向かう梅の花        武井伸子       

入口脇には檀の実が残っていました。

                                  (写真・四宮暁子)
彫刻の男見降ろす白椿            山田紗也
屋上に文夫の胸像鳥帰る          上田禎子        
彩墨の八仙ならび日脚伸ぶ         木佐梨乃
昭和初期女の裸体冬陽差す         木佐梨乃    
椿東風犬の塑像に手ずれ生れ       平林恵子

子規庵
次なる吟行地は根岸の子規庵。細い路地に入ってからは、ぐるぐる迷いながら辿り着きました。途中、漱石が辿った子規庵への行程図の看板などをしげしげと眺めたり、路地散策を楽しみました。
木造平屋建ての子規庵は、ひっそりと建っていました。

春小路明治のころに迷ひけり        四宮暁子
糸瓜なき春の子規庵訪ふてみる      四宮暁子
来てみれば子規の糸瓜は枯れてをり    岩淵喜代子
春浅しへちまの棚にへちまなし       牧野洋子

子規庵は、正岡子規が明治27(1894)年から移り住み、34歳11ヶ月で病死するまでの約8年間を過ごした住まい。 昭和20年4月の東京空襲で消失。しかし、弟子の寒川鼠骨などの尽力で昭和26年には、ほぼ原型どおりに復元されました。

糸瓜棚に糸瓜はありませんでしたが、縁側に枯糸瓜が置いてあり、振ってみるとからからと乾いた音がしました。庭には光と風が満ち、燦燦と差し込む日差しが、子規の座机に及んでいました。伸ばせなくなった左足を立てるために四角く刳り貫いた子規の机。左足を立てて子規と同じ格好をしてみたのでした。

以下は子規の自筆で、句碑に刻まれている規絶筆三句です。
   をとゝひのへちまの水もとらざりき
   糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
   痰一斗糸瓜の水も間にあはず

六畳は寝るによき部屋鳥帰る        岩淵喜代子
セーターに子規の日差しの重かりき    岩淵喜代子
子規の間へ届く日差やあたたかし     長嶺千晶     
陽炎の中に六畳一間かな          牧野洋子              
座机のくりぬかれてる春浅し         牧野洋子
春陽や子規庵といふ小宇宙         上河内岳夫

立て膝に句をひねりだす冬うらら      木佐理乃
子規のやうに膝立ててみる日永し      武井伸子
春光や終焉の間の半ばまで         武井伸子
如月のへちまの秀とは縷のごとし      平林恵子
枯へちま振れば中より春の音        上田禎子
春落葉子規の使ひし井戸に積む      上田禎子

羽二重団子
句会場は芋坂の羽二重団子でした。
数々の文学作品に登場し、子規も漱石も愛したという団子を味わいながらの句会となりました。

それぞれに羽二重団子鳴雪忌        岩淵喜代子
                    
                    文・写真/武井伸子





# by basyou-ninin | 2008-02-23 02:51
芭蕉・嵐雪をたずねて
洞雲寺・本教寺吟行(池袋界隈吟行)               平成19年10月3日
旧暦の10月12日は芭蕉忌、13日は嵐雪忌である。新暦では11月21日、22日なので、早くはあったが、二人に縁のある寺を訪ねることにした。
先ずは芭蕉ゆかりの洞雲寺をめざし、地下鉄有楽町線要町駅から祥雲寺坂を上って行く。総勢13人である。

鳥渡る雲の字のある寺ばかり          健二

洞雲寺の手前にある祥雲寺に寄ってみる。

色鳥やお稲荷さんの小さきこと         洋子

祥雲寺から洞雲寺へ廻った。

洞雲寺には木造の芭蕉像があるということだった。入口から本堂まで30メートルもないような小さなお寺である。

深秋の梅花仏とも呼ばれたる          喜代子

芭蕉を真ん中に左に梅花仏、右に玄武仏とある。これは後に見る位牌と同じである。芭蕉像を見るために来たので、岩淵代表が頼むと、作務衣の僧がお堂の戸を開けてくれた。本堂は暗くて仏様のお顔は分からない。

手をつきし畳の冷えや阿弥陀仏         千晶

芭蕉像を見たいと頼むと、どこからか取り出してきて、座っている目の前に置いてくれた。

芭蕉像軽し茸のなほ軽し             喜代子
露けしや耳も目もある芭蕉像           昌子
やや寒の胸に入れたき芭蕉像          遥

お位牌もあるはずで拝見したいと頼む。少し分からないような様子であったが、奥に行って持ってきて、芭蕉像の隣に置いた。この池袋にある洞雲寺は、もとは関口芭蕉庵の近くにあり、明治になってここに移されたとのこと。関東大震災にも無傷で、この大戦中に焼夷弾が寺の前に落ちたときも焼けずにすんだそうである。どこかひなびた懐かしいl感じを残しているのはそのせいなのだろう。

寺を出てさらなる寺へひやひやと        昌子
廃屋にシャツ干されたる雁渡し          伸子

洞雲寺を出て、一旦、要町駅に戻り、嵐雪のお墓のある本教寺の東池袋まで地下鉄に乗る。東池袋駅から本教寺の裏門まで2-3分である。

裏門のそばの家の2階で雀がさわがしい。どうやら雀の昼餉時で、餌台のあたりを飛び交っている。境内の水道とポンプ井戸は江戸時代からの湧き水で、職人さんが昼食のために手を洗っていた。

乱れ萩手押しポンプのきしきしと        和代

蕉門十哲の一人、服部嵐雪のお墓をたずねて本堂の脇から表門の方へ行く。門の手前に見つかった。遅い萩が茂っている。さっぱりと大小のお墓が並んでいる。芭蕉の死後に江戸の俳諧を其角と二分した人のお墓だが、供花もなく持ってくればよかったと思った。それでも残っているだけでもいいのかもしれない。

路地奥に嵐雪の墓鳥渡る            伸子
嵐雪やうすむらさきの秋の水          遥
戒名に雪の一文字秋の蝶            健二
雪中庵嵐雪の墓帰り花              昌子
嵐雪の墓の秋蚊に喰われけり         喜代子
嵐雪の花筒の水澄みにけり           八雪
箒目にかからぬほどの萩の花         かぐや
嵐雪に言の葉かける秋の蝶           洋子
嵐雪の墓へ踏み石草の花            禎子
しじみ蝶二頭の去らぬ嵐雪碑          美智子
嵐雪の辞世のうたや萩さかり          絹子

嵐雪の墓石の後ろ側に下記の辞世の句が刻まれている。

一葉散る 咄一葉散る風の上          嵐雪


お墓近くには青い木瓜の実がたわわに生っていた。

表門をでると、その前がまたお寺である。歩いて行くと姉様かぶりの老女が行商の荷を並べて、近所の人も来ていた。葉唐辛子の佃煮を買い。おむすびなどの昼食にそえた。辛くなく丁度いい味だった。老女は千葉から2時間以上かかって来るそうでる。

担ぎ女や白粉花の辺に下ろし          美智子
行商の秋刀魚の煮付け負けさせて       八雪

帰り道には豆腐屋もあった。

店番も昼寝なりしか新豆腐            かぐや

以上が大体1時間半ほどの吟行であった。

秋風のひとりが戻りみな揃ふ           喜代子

                               写真・文・上田禎子
# by basyou-ninin | 2007-11-02 20:22 | 吟行
近江吟行
近江といえば芭蕉である。三井寺、石山寺、幻住庵、岩間寺、義仲寺と芭蕉ゆかりの寺を訪ね歩いた。

6月25日(月曜日)
今回の一番の目的は三井寺(園城寺)の拝観である。京阪三井寺駅から琵琶湖疏水に沿って歩く。

古い町らしい家並みへ曲がり、大津絵の店で掛け軸、団扇、風呂敷、一筆箋などに鬼、藤娘などの絵を楽しむ。

三井寺ご出身の、柿本多映さんが待っている仁王門を探して、しばらく万緑の生垣に沿って歩く。反対側には団地などがあり窓に傘を干している。
片蔭をひろい大津絵の鬼に会ふ          恭子
枇杷の実を落ちるにまかせゐる真昼       喜代子
仁王門に着きようやくお会いできる。三井寺でお育ちになった柿本さんによると、昔は狸や鼬がいたそうである。森林浴している気分になる。
三井寺の門くぐらばや青葉風           竹野子
遥かより来て親しさや夏蓬             千晶
普通では見ることのできない国宝の光浄院客殿へ案内してくださり、甥御さまの説明を聞く。ときどき蛙の声が混じる。

涼しさや香炉ひとつが違ひ棚           千晶
襖絵の墨の流るる兜虫              喜代子
黴もまた史蹟に生きて武者隠し          恭子
お庭は高い夏の木々に囲まれていて、あちらこちらに今にも落ちそうな泡の塊が池の水面へたれさがっている。お庭も池が広縁の真下まできていて客殿と一体化した構成。

古池や森青蛙卵生む                竹野子
光浄院から境内を案内してくださる、すたすたとゆく柿本さんの足について行くのが結構大変であった。下の写真は閼伽井屋でぼこぼこと千年以上前から湧き続けている。

堆き時の音する涌井かな               紀子
地の声となりて噴きつぐ岩清水            和代
閼伽井屋の真清水が音胸を打つ          恵子
突然孔雀の声が聞こえた。境内で飼っているとのこと。
緑陰に愛を求める孔雀かな            竹野子
有名な三井寺の晩鐘を誰かが撞いてみたけれど、弱い音だったので、柿本さんがお手本を示してくださった。みんな一打ずつ撞いたがそれぞれに強弱があった。名鐘だけあって音色は良かった?ようである。
三井寺の鐘つく夏帽小さく折り            恭子
湖を来て三井晩鐘の深みどり           喜代子

鐘楼から大師堂、三重塔、そして深い木立の中を鶯や三光鳥など鳥の声を聞きつつ観音堂まで行き、そこから琵琶湖を眺める。ただ、口惜しいことに湖畔にマンションがたち、景観を妨げている。

涼しさや天地をとほす杉木立            千晶

鳴き声は眼抜きの竜か青葉闇          竹野子
青梅雨や千年回す摩尼車              和代
男梅雨晴れて女坂を降りにけり         竹野子
観音の目つむりて聞く三光鳥            恭子
手ぬぐいに三井の染め抜き五月雨るる      和代
三井寺を出づればこの世沙羅の花         紀子
三光鳥座れば風が顔にくる            喜代子
山門に虫食いの跡青時雨             禎子
下の写真の観月の舞台からは比良、鈴鹿連峰が望めるそうである。

入口近くの売店まで戻り、しばらく休憩をする。飴氷を飲んだりする。
柿本さんとこちらでお別れをする。尊い仏様などを拝まさせていただき、有り難き午後であった。別所駅まで車を手配してくださり、すっかりお世話になってしまった。

柿本多映さんは「俳句研究」7月号に「現代俳人の貌4」として特集されている方である。代表句の一つは
馬を見よ炎暑の馬の影を見よ          柿本多映
宿泊の石山寺で下車をした。瀬田川に面している宿であった。

瀬田川の一の唐橋夏の雨            恵子
唐橋を遥かに梅雨の傘ひらく          竹野子
夕飯は近江牛、鮎の塩焼き、湯葉のあえものなど地のものが用意され、お腹一杯いただいた。そして句会、寝たのは11時過ぎだったろう。早朝の新幹線からの長い一日であった。
鮎の宿淡海の風を通しけり            恭子
鮎の腸苦きも楽し淡海かな            禎子
一夜さの一幕かべを這ふ百足          竹野子

6月26日(火曜日)
早朝の瀬田川ではボートの練習をしていた。
宿から石山寺へ7-8分の距離である。途中、菩提樹の花が満開であった。

菩提樹の花仏は剣手に持ちて           禎子
石山の石である。周囲の木々の緑が映えて美しい。どこか神秘的な感じもする。天延記念物。

工事中の山門から緑ゆたかな境内に入る。石山寺は紫式部が源氏物語の想を得たところとしても有名である。紫式部展が開かれてをり、見るのを楽しみにしてきたのであった。九時前の境内では夏落葉などを掃いている清掃の人たちに出会う。梅雨茸があちこちに生えている。

本堂、鐘楼、芭蕉庵、式部の像を見て、10時前には展覧会場に着く。早かったが入れてもらう。源氏物語絵巻、屏風、貝合わせ、芭蕉の自画賛などが展示されていた。芭蕉は石山寺に2-3回来ている。写真は芭蕉庵と月見亭でる。

常の目を離れし石山寺涼し            恭子
石山のこれはとばかり青蜥蜴          竹野子
涼やかに胎内仏の佇みぬ             禎子
紫式部見舞ふ蛍が火灯窓             恵子

未央柳反り屋根美しき多宝塔          千晶
夏うぐいす一字写経に切を書く          紀子
梅雨茸の朱の散らばれる恋の道       禎子
極楽のとなり地獄や蜘蛛の糸           竹野子
もとのやうに御籤を畳む濃紫陽花        喜代子
石山寺駅へ戻り、電車で石山へ。こちらになじみのないものには駅の名がややっこしい。バスで幻住庵へ。芭蕉が滞在して「幻住庵記」を書いたところである。小さい鳥居をくぐり、上り道の子供達の短冊を読みつつ庵の下までゆく。幻住庵記の陶板があった。庵まで可愛らしい階段をのぼり、庵へゆくと、訪れている人もいて、庵主は忙しくしていた。庵は二間ほどであった。

老鶯や幻住庵記読み耽り             竹野子
とほきこゑ幻住庵の青葉闇           紀子
幻住庵趾茂りにまかす木立かな         禎子
幻住庵から芭蕉の汲んだ泉へ下りる。道のところどころに俳句が電灯に書かれていて、泉は今でも湧いている。
とくとくの泉に冷やす石工鑿            恵子
もてなしの蚊にあづかりし指の先      紀子
折角来たのだからと幻住庵からタクシーで岩間の寺へ。青田を遠近に見ながら山を上っていく。家々の軒先には玉ねぎが吊るされている。寺は紫陽花が迎えてくれ、芭蕉の「古池の」の句が生まれたという池があった。背景は夏山である。山奥なので人が来ないと思ったが、意外にも来ている。バス停から40分もあるところである。

国分山その奥岩間ほととぎす          竹野子
あぢさゐの鞠の上なる岩間寺          紀子
鳴き切って老鶯消ゆる岩間寺           恭子
岩間寺から唐橋へ向かう。タクシーに待っててもらい、下車して唐橋を眺める。

唐橋から義仲庵へ。実は前日に立ち寄ったのだが、月曜日とて門が閉まっていた。今日は開いていて中はこじんまりとして芭蕉の葉があおあおと靡いている。

義仲寺に名前呼ばれてゐたりけり        喜代子
芭蕉塚蛙の交る真昼かな             千晶
木下闇翁安んじ眠りをり              禎子
蕉翁の文字の傾く半夏生             紀子

義仲庵の受付で其角の「終焉記」を買い、膳所の駅まで徒歩で戻った。
膳所の僧白緒白足袋白日傘           恵子
膳所の駅へ出て吟行は終わった。分かれたあとに唐崎へ回った方もいた。
青梅雨支ふ唐崎の松三代目           恵子
大津をめぐりきて
汗にじむ大津に多し翁の跡            恵子
以上がににんの二日間の吟行であった。念願の近江に来ることができて幸せな時間であった。
夏落葉過去つみ重ねつみ重ね          恭子
                
                         写真・文・上田禎子
 
# by basyou-ninin | 2007-10-20 16:26 | 吟行
蔵の町川越と麋塒の墓を尋ねて
     蔵の町川越と麋塒(びじ)の墓を尋ねる吟行    2007.5.16

埼玉県川越市の蔵町は、平日にもかかわらず、観光地としての賑わいをみせていました。
「小江戸」と呼ばれる川越の蔵造りの街並みは、類焼を防ぐための耐火建築で、江戸の町屋形式を踏襲しているといいます。
街並みは端整な美しさでした。
        
落ちさうな蔵の二階や青柳      草深昌子
消火器が蔵のどこにも五月晴    草深昌子
蔵過ぎて札の辻なる薄暑か      草深昌子
薫風や白犬乗せし人力車       松浦健
十薬や大火いくたび蔵の街      松浦健
夏手袋咥えて脱ぎし蔵の町      尾崎じゅん木
新樹光蔵には蔵の匂ひして      武井伸子 
蔵の鍵外れしままに夏の蝶      武井伸子
軒深き小江戸の町の夏つばめ    望月遥 
川越や雲の峰めく鬼瓦         望月遥
蔵出しの金魚のいない金魚鉢    望月遥
藤の花揺れる小江戸に火灯窓    平林恵子

川越のシンボルともいうべき「時の鐘」。400年も前から、城下町に時を知らせてきました。
       
桜の実聴きもらしたる時の鐘      望月遥
軒に吊る鐘は小さく青葉光      上田禎子
絵の具箱道にひろげし街薄暑    上田禎子
蔵格子遅日の時の鐘透ける     平林恵子
葛桜高さほどよき時の鐘       平林恵子                

高山麋塒の墓は、この街並みの外れ、本応寺(ほんのうじ)という寺にありました。

                         
高山伝衛門繁文、俳号麋塒は、谷村藩秋元家の国家老であり、芭蕉の門人。
諸説あるようですが、1682年(天和2年)師走、「八百屋お七」の振袖火事が江戸の町をおおったとき、芭蕉庵は消失。江戸を逃れた芭蕉は、甲斐の国谷村の門人、麋塒のもとにたどり着いたとされています。麋塒の屋敷の離れで、一冬を過ごし、その逗留は5ヶ月に及んだと。

麋塒の作品を以下にあげました。
これらの句は「武蔵曲」「虚栗」「続虚栗」「白根嶽」「一字幽蘭集」などに収められています。

人は寝て心ぞ夜を秋の昏
夜ル國の夢ぬ寝覚めや郭公
けふ花のかゝしと出ぬちぎれ雲
賣ルとうる山ノ路か夜ルの栗折竃
人消えて胡馬雪を鳴山路哉
胡草垣穂に木瓜もむ家かな
面洗ふ瀧の鏡などとては
雨花ヲ咲て枳穀の怒ル心あり
花を心地狸に酔る雪のくれ

山門をくぐって左手に、季節の花を供えた麋塒の墓がありました。
       
棕櫚の花無縁の墓は塔をなす       望月遥
緑陰に麋塒といふ字をなぞりをる      武井伸子
初夏や鴟尾の金跳ぶ麋塒の寺       平林恵子
柿若葉風をたどれば麋塒の墓       岩淵喜代子
薔薇咲けば薔薇の芭蕉と薔薇の麋塒   岩淵喜代子
網戸して芭蕉と麋塒の世が赤し      岩淵喜代子
若葉風子を連れ祈る母の背に       上田禎子
麋塒の墓たづねたづねて夏木立      松浦健

初大師やだるま市で名高い喜多院へも足を伸ばしました。
境内の五百羅漢はさまざまな表情を見せ、人の喜怒哀楽を思わせ壮観でした。

眉に蟻のせて羅漢の笑ふなり     長嶺千晶
五百羅漢拝す半ばの夕薄暑      平林恵子
羅の僧がひかりのやうに過ぐ     岩淵喜代子
踏むたびに沈む畳や南風       尾崎じゅん木
将軍の雪隠広し夏の鳥        上田禎子
竹の皮春日の局の化粧の間     尾崎じゅん木 
長持ちの黒光りして目借時      尾崎じゅん木

駄菓子屋が軒を並べる菓子屋横丁。
薔薇の盛りで、裏通りにも薔薇が咲き乱れていました。

おほどかにひらめく蔵の夏暖簾             草深昌子 
雪の下少し戦げる芋菓子屋                草深昌子         
川越の火消装束夏燕                    武井伸子
紅ばらに白ばら咲ける小江戸かな            武井伸子
ボンネットバス曲がりゆく白つつじ            尾崎じゅん木
蔵町の裏の通りのバラの花               上田禎子
せりだして薄暑の町の小商ひ               望月遥 
せりだして薄暑の町の小商ひ               望月遥
芋菓子の亀屋にぎはふ更衣                松浦健
夕焼けや並べ売らるる蜻蛉玉               松浦健



                    文・写真/武井伸子
# by basyou-ninin | 2007-05-16 11:00
愛宕神社 七草吟行
         愛宕神社 七草火焚き神事吟行   2007.1.7(日)

1月7日に七草粥を食べる風習は、現在の家庭にも残っているように思われます。
今年はじめての吟行は、港区愛宕神社での七草火焚き神事でした。


神事が始まる前の境内には、こんなかわいい巫女さんがとことこと歩いていました。


黄梅や八百八町の火伏神    禎子

あらたまの鯉の口より光りの泡    伸子


神前では祝詞に続き、その年の吉凶を占うという、国見の舞が披露されました。

七草神事祝詞にまじる犬の声    健

ゆらゆらと国見の舞や初山河    健

神楽鈴振るや春立つ潮の香    恵子

国見する巫女の扇や冬木の芽    伸子


続いて、古くから民間に伝わるという「七草叩き」が行われました。
「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に、なずな七草ストトントン」
という言葉を唱えながらの早乙女の神事です。
俎板の上に七草をのせ、すりこぎとしゃもじでストトントンと叩きます。

薺打ち音のはじめは固かりし    喜代子

七草神事小さき椅子に座りをり    禎子

薺打つ千年の刻なきごとし    禎子

七草神事波のごとくに大太鼓    紀子


屋内での神事が終わると中庭には、正月飾り、願木、古いお札、だるまなどが小山をなして積まれ、お焚き上げが行われました。

七草火焚き唐土の鳥は近づくな    健

お火焚の炎に隠れ老神主    伸子

七種や刃で祓ふ四海無事    恵子


最後に、参詣者には七草粥が振る舞われました。

割箸に両手を使ふ事始    喜代子

幸先や愛宕詣でのなづな粥   恵子

塩をふる七草粥のうすみどり   紀子




白猫の爪研いでゐる椿東風    紀子

晴天や七種粥の少し冷め    喜代子
                 
                      

                     写真・文/武井伸子
# by basyou-ninin | 2007-01-07 11:00
水を張る漬け物桶や冬支度
昨日、谷川岳が初冠雪、近くの山も雪が降りました。
冷たい風に当たりながら、朝散歩しました。
こちらは、とても寒いです。
なのに小さなショウリョウバッタは青いです。
「おいおい」と思わず声掛けてしまいました。
いよいよ冬将軍の到来です。



                    文・写真/牧野 洋子
# by basyou-ninin | 2006-11-14 21:14
< 前のページ 次のページ >