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香港吟行記 (2012年11月24-26日)

 東京から皆さんをお迎えし香港での吟行が実現した。昨年十一月下旬のことである。季節感に乏しい香港ではあるが晩秋から初冬といった頃合である。雨が降ったり止んだりするあいにくの空模様となった。
 初日の晩、早速上海蟹を食べに出掛ける。何よりも上海蟹の季節に合わせて香港訪問の日程を組まれた皆さんであった。うまいと評判の店に着き、先ずは十文字に縛られた生きたままの蟹を見せてもらう。青黒く泥のような色をしている。それを調理すると鮮やかな蟹の色に変わる。柿のような色である。赤々と蒸された蟹の味噌を啜り、手足をばらばらにして肉をほじる。

  縛られし上海蟹は青黒く  小塩正子
  円卓や上海蟹を食べつくし  服部さやか
  指先に上海蟹の香が残り  中崎啓祐
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 食後は二階建のオープン・トップ・バスで夜の街へ。目抜き通り(彌敦道、ネーザン・ロード)に張り出した大きな看板をくぐるようにしてバスは街中を進み、路地を抜け、女人街に着く。女性向けを中心に洋服、バッグ、アクセサリーといったファッション用品や日用雑貨の露店が所狭し並ぶ。値段はあってないようなもの。さてどこまで値切れるか、値切りながらの買い物がまた楽しい。

  看板の上に看板冬の街  岡本恵子
  偽時計売る男たつ冬の街  中崎啓祐
  冬の夜の値切れば負かる女人街  新木孝介
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 翌朝は小雨の中、路地裏の粥屋へ連れ立つ。壁にはぺたぺたと手書きのメニュー。中には怪しい日本語に訳されたものもある。各自好みの具を選び大振りの椀でそれぞれの粥をすする。

  朝粥や海を隠くせし冬の霧  岩淵喜代子
  路地裏の粥待つ朝の時雨かな  新木孝介

 
 朝粥で腹拵えの後は午前中は九龍の下町を散策する予定。先ずは花墟街(フラワー・マーケット)を抜け園圃街の雀鳥花園(バード・ガーデン)へ向かう。花墟街では歩道にも車道にもさまざまな花を並べて売る。季節柄、ポインセチアの赤が目を引く。
 
  火の中に火の芯見ゆるポインセチア  岩淵喜代子
 
 雀鳥花園はあいにくの雨でひとはまばら。晴れた日には自慢の鳥を籠に入れ、おじさんたちが鳥談義に熱くなり、時には鳴合せなどもする。奥へ行けば鳥籠を積み上げて目白や鴬を売り、鳥籠や餌入れといった小物を売る店が並ぶ。鳥の餌も売る。生餌として蝗の類がネットに詰められて売られている。そのうごめく光景は人目を引き異様である。

  男らの手には鳥籠秋時雨  服部さやか
  軒下に鳥籠吊す時雨かな  服部さやか
 

 そして通称「金魚街」(通菜街)。金魚や熱帯魚を売る専門店が軒を連ねる一角である。小さな金魚はビニール袋に入れられて店先に並ぶ。中国語では「金魚」と「金余」の発音は同じで、金魚は財運に良いとされる。

  路地裏で金魚売らるる冬ぬくし  新木孝介
  金魚屋の路地に飛び交ふ広東語  服部さやか
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 地下鉄でヴィクトリア・ハーバーをくぐり香港島へ渡る。昼食は香港ならではの飲茶。湯気を立てたワゴンが客席を廻り、好みの蒸篭を選ぶ昔ながらのスタイルの店だ。大きな丸テーブルを囲んでの和やかなひと時となった。

  湯気立てし飲茶のワゴン呼び止めて  小塩正子
  霜月や飲茶の店の湯気まみれ  岩淵喜代子
  飲茶して雨粒の跳ね見つめおり  兄部千達

 
 昼食後、香港島南部の淺水灣(レパルス・ベイ)で海の守り神である天后を祀る天后廟(ティンハウミュウ)を訪れ、赤柱(スタンレー)のマーケットをひやかす。

  天后(ティンハウ)の海図広げむ霧の島  岡本恵子
  赤柱(スタンレー)まで淋しき虻を連れてゆく  岩淵喜代子
  冬雀赤柱(スタンレー)の市の人だかり  岡本恵子

 
 そして思い切って西貢(サイクン)へ足を延ばす。少々遠いのだが、ぜひ皆さんに新鮮な海鮮料理を楽しんでいただきたい。海岸沿いの海鮮街には生簀や水槽が並び、好みの食材を選び、好みの調理法で料理してもらうのだ。大きな蝦蛄をにんにく風味に揚げたものが人気あったようだ。

  甲乙もなくて海鼠は桶の中  岩淵喜代子
  海鮮をいさましく食う冬港  兄部千達
  冬めきて大きな蝦蛄を分け合へり  新木孝介
  秋燈の外で皿拭く嫗かな  岡本恵子
 
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 夕食を終え、とっぷりと日が暮れた。さて、ヴィクトリア・ピークへ行こう。摩天楼の立ち並ぶ香港自慢の夜景を堪能しよう。しかし、その日は一日雨であった。ピークに着けば霧も深い。時折あたり一面まっ白となり何も見えなくなる。それでも雨が小降りとなった折、霧の切れ間に夜景を垣間見る。いつもとちがい妖しげに幻想的ともいえる夜景が滲んでいた。

  冬霧は香港島をすべて消し 兄部千達
  鉛筆の如きビル群霧流る  小塩正子
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 夜が深まり、天星小輪(スター・フェリー)で家路に着く。百年以上も庶民の足として香港島と九龍を往来してきたフェリーである。十分足らずの船旅であるが、海抜ゼロから見上げる夜景もまた乙なものである。潮風が疲れた体に心地良い。

  秋風やスター・フェリーの灯が揺れる  新木孝介
  海沿いを歩いて宿へ暮の秋  服部さやか
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新木孝介記
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by basyou-ninin | 2012-11-24 10:00 | 吟行

須賀川 松明あかし

              須賀川 松明あかし  2012.11.10~11

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                                    (須賀川観光協会HPより)
11月10日(土)  松明あかし

福島県須賀川市の「松明あかし」は毎年11月10日に行われる。
場所は須賀川市の翠ヶ丘公園・五老山。
伊達政宗が須賀川城を攻め落とした際、城も市中も猛火に包まれた。
その折亡くなった人々を弔う、420年続いてきたといわれる火の伝統行事だ。

しぐれ傘松明あかしに交はし合ふ    河邉幸行子
綿虫も入れて二人や道の奥       浜田はるみ   

下の写真は点火前の夕闇に包まれた松明。 
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この日は毎年、雨、強風、霙、雪などという、荒れた天候に見舞われる、と地元の人たちが口を揃えて言う。
今年も小雨が降り続き、ときに激しい雨になった。
雨に抗するかのように、長さ10メートル、重さ3トンもある大松明をはじめ、姫松明、本松明などが25本、さらに仕掛け松明などが次々に点火された。

小夜時雨松明太鼓の響くなり       河邉幸行子
山茶花や松明太鼓の撥捌き       牧野洋子 

特設ステージでは、力強い松明太鼓が打ち鳴らされる。
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松明は地元の商店街、中学、高校などの団体が、それぞれ競うように作る。
竹で骨組みを作り、阿武隈川でとれた萱を詰める。
昨年は大震災の影響で、全国から萱を集めたそうだ。
今年は厳正な検査を経て、地元の萱を詰めた。
それぞれの団体が松明通りを練り歩き、五老山へ運んでくる。
松明はクレーンで吊り上げられ、地面に立てるだけでも、たっぷり時間がかかる。

時雨るるや大松明の立ちあがる     河邉幸行子
松明も人も棒立ち冬の雨         牧野洋子
松明の一つ一つに冬の雨         牧野洋子
しぐるるや大松明のすくと立ち      武井伸子
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夕闇が次第に濃くなり、すっかり夜になった頃。
白装束の男たちが、竹の棒の先に布を巻き、灯油をしみこませた点火棒を掲げ、松明に立て掛けられた梯子を登っていく。そして、点火。
その光景は、天と地の間を、火の玉をもって統べるようで、ただもう圧倒されて見上げた。

初冬の天へ噴き出す火の柱      岩淵喜代子
松明の火柱となり冬に入る       河邉幸行子
短日や白き袴の影動く          牧野洋子  
松明に立ちて少年凛と冬        浜田はるみ
火に闇に染まず真冬の白袴      浜田はるみ
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火が燃えていく様は実に壮大。戦国の劫火に思いが至る。
燃え盛る松明の火照りが、見物する人の顔を赤々と照らし出した。

地に生えて終の鬼火となりにけり      浜田はるみ
松明の火柱となり冬に入る          河邉幸行子
骨片のごとき火の粉や松明あかし     武井伸子
松明あかし炎ひらりとはぐれゆく      武井伸子
松明の火柱崩れ冬に入る          牧野洋子 
松明あかし火照りの及ぶところまで    岩淵喜代子
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中学生、高校生の応援合戦もこの行事には欠かせない。
高三の応援団が、校歌や応援歌を歌った後に、「燃えろ、松明。松明、燃えろ」と炎への応援をしていた。
その声は卒業をひかえた自分たちへの、さらには震災に見舞われた須賀川の町への応援歌のようだった。

松明あかし影となりたる男たち      武井伸子
火柱の火照りのそばへ懐手        河邉幸行子
松明あかし祈りを空へ舞ひ上げて    浜田はるみ
松明あかし火の梟になれば果つ     岩淵喜代子
 
11月11日 芭蕉の足跡を訪ねて

翌日は、芭蕉が7泊8日滞在した須賀川の町を歩いた。
まずは芭蕉記念館へ。
芭蕉の句碑拓本、年表、「芭蕉翁須賀川に宿るところの図 」(渡辺光徳作)や「芭蕉翁三十六俳人像並双幅」(狩野永耕作)、碧梧桐の掛軸などの作品が展示されていた。
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次いで、おくのほそ道に、「此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有」と記されている、僧可伸の庵跡。
さらに芭蕉の句、「世の人の見つけぬ花や軒の栗」から命名した「軒の栗庭園」へ。ここは小公園になっていて、芭蕉、曾良、等躬の小さな石像があった。
風流の初やおくの田植うた」の句碑がある十念寺、芭蕉が宿をとった相楽等躬の菩提寺である長松院などを訪れた。
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いずれの寺も3・11の被害で本堂などが修復中だという。  
たまたま出会った地元の人は、「修復費に1億円以上もかかる」と、ためいき混じりに語ってくれた。 

町には廃屋もちらほら見受けられた。
営業を停止しているらしい飲食店、美容院などがあった。
そのうちのひとつ、寿司屋だった店の前面を覆っていたヒヨドリジョウゴの赤い実が美しかった。
前日の「松明あかし」のエネルギーを秘めつつ、町は冬日を浴びて静まり返っていた。

みちのくの鵯上戸実となりぬ       岩淵喜代子
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昼食のあとは、町から少し離れた「芹沢の滝」、旧陸羽海道の「一里塚」を廻り、阿武隈川を越えて「乙字ヶ滝」へ。等躬宅を辞した芭蕉が、郡山への途中に立ち寄った滝である。
川を渡るとき、朱塗りの美しい橋が見えた。
「本来はあの橋を行くのですが、震災以後、まだ復旧されていなくて通れないんです」とタクシーの運転手さん。
「風評被害もあるし、保障の対象からは外れた地域なんです」とも、教えてくれた。

乙字ヶ滝は前日の雨で水嵩が増し、白濁しつつ流れていた。
ここにも芭蕉句碑、「さみだれの滝降りうつむ水かさ哉」が建っていた。
芭蕉が見たのも雨のあとの乙字ヶ滝。
眼前に同じ景があると思うと、時空を超えて、ほんのわずか芭蕉に近づけた気がした。

冬の滝白き焔のごと流れ      武井伸子
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芭蕉の足跡を訪ねる1日だけの旅は、はからずも土地が被った震災のあとを目にする旅にもなった。
様々な思いと感慨を抱きつつ、芭蕉が7泊8日滞在した須賀川を立ち去った。

梟が啼く乗り遅れたる駅に        岩淵喜代子 


                     文・写真/武井伸子  
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by basyou-ninin | 2012-11-10 14:00