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カテゴリ:吟行
  • 森鴎外の『雁』の地を訪ねて
    [ 2011-01-05 10:30 ]
  • 府中競馬場吟行
    [ 2008-05-19 10:00 ]
  • 「死者の書」の二上山へ
    [ 2008-04-13 20:49 ]
  • 芭蕉・嵐雪をたずねて
    [ 2007-11-02 20:22 ]
  • 近江吟行
    [ 2007-10-20 16:26 ]
  • 嵯峨野吟行 番外編その二
    [ 2006-10-21 16:03 ]
  • 鹿島吟行
    [ 2006-10-08 09:02 ]
  • 嵯峨野吟行
    [ 2006-06-19 09:00 ]
  • 鬼貫吟行
    [ 2006-06-18 09:00 ]
森鴎外の『雁』の地を訪ねて
                          平成二十二年十二月十八日

 今回からの吟行は小説に描かれた場所を辿ることになった。手始めに選んだのは題名がいまの季節にふさわしい森鴎外の「雁」。まずは文庫本を買って読み直す。冒頭に出てくるのが鉄門の前の岡田の住んでいた下宿屋、玉の住んでいた無縁坂、そして不忍池。この三点はほとんど一直線上にある。この三つをキーワードにして吟行することにした。
 主人公の岡田が東京大学医学部の学生なのでまず東大構内から見ることにした。
 十一時にJR御茶ノ水駅の聖橋口に集合。東大病院行きのバスは普段の日は十分ごとにあるが、土曜日とあって一時間に二本しかない。丁度八名なので二台のタクシーに分乗した。ひとり分の料金はバス代と変わらない。

 病院前で降りるとすぐ脇にエルウン・フォン・べルツとユリウス・カール・スクリバの胸像がある。岡田が通訳としてドイツに赴く時に推薦してくれたのが内科医のベルツである。外科医のスクリバのほうは明治二十四年に大津で襲われたロシア皇太子の治療や明治二十八年の日清戦争の講和会議に出席して狙撃された李鴻章の治療をしている。現実と虚構の世界が交錯して当時の社会情勢がにわかにクローズアップしてくる。

        東大の校内巡視車冬休み    上田 禎子
        本郷三丁目冬青空の真つ四角  芹沢  芹
        銅像の髭に集まる冬日かな  尾崎じゅん木
        霜晴や明治の人の髭の濃き   浜岡 紀子

 病院の横に鉄門があり、ここから無縁坂が始まる。真向かいにあった下宿屋のあたりは何やら建築中であった。
 無縁坂の由来は大火の多かった江戸で身元の分からない遺体を坂の途中の寺に投げ入れたことによるとの説もあるがはっきりしない。暖かな初冬の日差しが降りそそいでいるが、南側の旧岩崎邸の高い煉瓦塀とその上にはみ出している木のせいで坂の半分は日陰になっている。年月を重ね風合いを増した煉瓦塀を描いている人たちがいた。

綿虫や鉄門青く塗られあり  川村研治
枇杷の花岩崎邸の高き塀   辻田 明
坂上の雲輝きぬ枯木立    辻田 明

 坂の北側の玉の住んでいた辺りは昭和四十年頃までは格子戸のある木造の住宅があったそうだが今は赤茶色の化粧タイルが美しいマンションになっていた。
 坂の下のほうにある講安寺は寺には珍しい土蔵作りで、ひっそりとした佇まいだった。門の前の松飾りが瑞瑞しい。 玉の飼っていた紅雀を呑みこんだ蛇を岡田が包丁で二つに切断するところは、この小説の中で最も生々しい場面だが今は冬眠中とはいえこの高い塀と舗装された道路、マンションに囲まれたこの一帯に蛇の出そうな雰囲気は見当たらない。

        無縁坂下りて年を惜しみけり     上田  禎子
        黙礼し霜月の坂行き合へる      尾崎じゅん木
        スカイツリー半分見えて霜日和   尾崎じゅん木
        坂に立ち耳そばだてる雁渡し    浜岡  紀子
        青空と鴨に近づく無縁坂       武井  伸子
        冬木の芽坂の半ばに残る寺     芹沢   芹
        冬の坂下駄の音さえ恋いしかり   芹沢   芹

 坂を下りきるとそこはもう不忍池。江戸時代は今の二倍の広さがあったそうだ。天海僧正の発案で寛永寺が建てられ、琵琶湖に見立てた池に弁天島が設けられた。蓮はこの頃からのものという。池の周りは時代により競馬場が出来たり、博覧会が開かれたりした。野球場構想もあったとか。現在は上野動物園の一部、ボート池、蓮池と三つに分かれている。毎年冬になると数種類の鴨が飛来して散策の目を楽しませてくれる。今日も昼時とあって大勢の人が集まっており、犬を散歩させている人やお弁当をひろげている人など様々だ。雁はいつの頃からか来なくなっている。

        正面に胸のよごれてゐたる鴨   岩淵喜代子
        鴨に生まれ金色の目をたまはりし 川村 研治
        水鳥の歌の光の満ちあふれ    川村 研治
        百合鷗翔てば失念してしまふ   上田 禎子
        百合鷗皆南向く杭の上      辻田  明
        つつき合ふ鴨大勢は楽しいか   芹沢  芹
        空の鳥水にゐる鳥冬ぬくし    浜岡 紀子
        私からわたしがぬけて鴨の群   浜岡 紀子


 夏には生い茂っていた蓮もすっかり枯れて折れ曲がり小さくなっていた。 

 明治のはじめの頃の池の周囲は葦もかなり茂った寂しい場所だったのではないだろうか。十羽余りと記されている雁の一羽に運悪く岡田の投げた石が当たり、それがもとで玉は二度と岡田に会う機会を逸する。

 小春日和の中を行きかう人々の間にあってはそのような情景を思い浮かべるのは難しい。



           蓮枯れてさまざまの人集ひくる     武井 伸子
           枯蓮を鳴らして鴨の通りけり      武井 伸子
           やはらかき黄金となりぬ蓮の骨    武井 伸子
           不忍池の枯野のやうに見えるとき   上田 禎子
           立冬の風や水面を窪ませて     岩淵喜代子
           ゆく船は水を吐きつつ十二月     岩淵喜代子

 一通り吟行をした後で句会場のホテルに行く。落ち着いた雰囲気の一階のイタリアンレストランで食事をしながらの句会。レストランには前もって俳句の会であることを話しておいたのでたっぷりと時間を使わせてもらった。

 時代はいつも光と影を人々の上に投げかけてくる。光と影の織り成す葛藤は岡田や玉をのみ込んで、人口が当時の約二十倍に膨らんだ東京の街では何もかもが見えにくくなっている。

        はにかみは顔に現る冬木の芽    辻田  明
        遠き日の恋や石塀底冷えす    尾崎じゅん木
        玉といふ明治の女浮寝鳥      川村 研治
        待つといふ姿勢は低くゆりかもめ  岩淵喜代子
 
 百年前に書かれた小説を頭の隅に置きながら目の前にある風景を句にするのに少し戸惑いを覚えたのは私一人ではないかもしれない。個人的には本を読み返す機会にもなったし、今まで知らなかった無縁坂を歩くことが出来て感謝している。
                      
                              文・写真       浜岡紀子      



by basyou-ninin | 2011-01-05 10:30 | 吟行
府中競馬場吟行
                                        平成20年5月19日
たまには俳句らしくないところへと競馬場へ吟行することにした。
折りしも五月。京都では「賀茂の競馬」が五月五日に行われる。神事であり、太鼓や鐘が鳴らされたり、勝敗を扇の色で判断したりと、優雅な行事である。

同じ競べ馬でも、現代の競馬はその優雅さとは遠く、射幸の対象としてである。ただ、英国では、女王陛下のスポーツであり、日本も天皇賞をもうけてあり、明治天皇も行幸したことがあるくらいであるから、本来は正統なスポーツであり、娯楽の対象である。ということで行ってみた。案内もなくほとんど競馬場は始めての女性達である。

JR府中本町の改札を抜け、一面に馬の写真が出ているスポーツ新聞を始めて買う。新聞などに印をするための赤と青のボールペンを立ち売りしている。買わなかったが、馬券に使う小さなペンをくれた。西門までの歩道橋には、競馬の浮世絵や名馬の疾走の写真が掛けてある。西門を入るとすぐに鹿児島名物が売られ、さつま揚げも好きなのが買える。一瞬買おうかなと立ち止まるが、恥ずかしくてやめた。そこから出ると、広大な競馬場が目に跳びこんでくる。

左手には巨大な観客席(フジビュースタンド)、右には手前から青々とした芝生、高い柵、芝のトラック、土のトラック。さらに向こうは内馬場。遥か遠くに緑の山々。スタンドの真向かいには、巨大なスクリーン。
早目に着いたので、お弁当でもとスタンドの中に入る。インフォメーションがあり、出走表をもらう。広々としたフード街の京樽でお弁当と漬物を買って再び外に出る。スタンドの席も空いていたのだが、青い芝に誘われてトラックの手前の芝生に日焼けしてはいけないと背を向けて座る。

夏帽を目深に馬場の監視員       彩女
五月光競馬を見ずに芝に寝て     禎子
寝転べば五月の芝生押し返す    恵子
ぎっしりと白詰草が馬場の縁      彩女
桃色の舌や馬くる野の泉         伸子

一時に正門で待ち合わせ、そこから直ぐに投票所(馬券売り場)へ。といっても初体験である。馬券はマークシートで、必要事項は塗りつぶすと聞いてはいた。馬券を置いてあるカウンターの一つに行く。たまたまそこにいた青年に迷惑をかけることになる。なんだ、このおばさんたちは!と思ったかもしれないが、親切に教えてくれる。横からおじさんも口をだす。そこへ案内係りのおねえさんが来て説明してくれ、印をしたシートを機械にお金と共に入れる。選んだ馬は名前がよさそうな感じということしか判断基準はない。シート一枚だけの人、二枚の人といた。そして競馬を見に外へでた。

誘導馬しづしづと去り夏日差し     禎子
騎手の帽浮き並びたる南風      千晶
ファンファーレ薫風起こし馬駆くる  千晶
いっせいにゲート開きぬ青葉風    喜代子
かけぬける馬のたてがみ草の絮    彩女
青芝へ影落しつつ馬駆ける      伸子
日盛りの馬の過ぎたる土けむり     喜代子
蹄鉄のきらりきらりと薄暑光    伸子
喚声に揺れるスタンド青葉風        禎子
青芝に瞬間の過ぐ競馬かな     千晶
五月晴白馬にしめるような艶       恵子
砂煙うしろに残し夏競馬         禎子
勝馬の涼しく水を飲みにけり       千晶
 
結果は後でもということで、地下道をくぐり内馬場へ。出たところが豪華なバラ園。家族連れで賑わう遊園地もあり、ポピー、矢車草などのお花畑など心憎い演出である。競馬よりもそちらの方に心を奪われた。

馬たちに瞳のくろぐろとばらの門   喜代子
耳立てて馬立ち止まる大南風      伸子
薔薇の園他人事に聞くファンファーレ  恵子
咲き誇る薔薇の湿りをてのひらに    千晶
白日傘たたみつまらなさうな顔     彩女
馬に馬つづくゆくなりバラ赤く    喜代子
紅の薔薇錆びやすし競馬場       彩女
バラ園のかたわらに止め乳母車     恵子
現れて眼も青き雨蛙         喜代子

二時間半はすぐに経ってしまい、句会をすることにして、再びスタンドの中へ。二階の喫茶室でコーヒーを飲みつつ、夕立を眺めつつ。夕立は帰るころにはやんでいた。

青芝をもえたたせ雨競馬場       恵子

受付のコピー機は馬券しかとってくれず、結局府中本町駅へ出る。近くのスーパーの中で句の用紙をコピー、句会をし吟行は終わった。なお、馬券の結果は・・・・・・。
                                               

                           文・写真上田禎子
by basyou-ninin | 2008-05-19 10:00 | 吟行
「死者の書」の二上山へ

 彼の人の眠りは、徐かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。
 した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。


 
 折口信夫「死者の書」の冒頭はこうして始まる。この小説は歴史と幻想に綾どって創作されている。これを読んだ私の魂は、あたかもこの小説の主人公中将姫(南家郎女)のように、刑死者大津皇子(滋賀津彦)の亡魂に呼ばれて幻想に彷徨い、とうとう二上山に導かれてしまった。

 さて、二上山を最初に訪れたのは、「死者の書」に出会って約1ヶ月後の2008年3月8日である。「死者の書」では彼岸の中日、つまり春分の日がキーデーとなっている。中将姫はある春分の日、二上山の雄岳・雌岳の間に太陽が沈む瞬間に、そこへ眠る大津皇子の幻を見る。春分の日を目前にしたこの旅で、私は、ちょうど夕日が二上山へ沈んでいくところに遭遇した。二上山を訪れる前日、近鉄奈良駅から大和八木へ向かう車窓である。

  

 夕日を見、中将姫の心になりきった私は、翌朝、まず當麻寺へ向かった。ここには當麻曼荼羅にまつわる中将姫伝説がある。中将姫は、藤原四家の中で当時最も力のあった南家の藤原豊成の娘として生まれながら、継母に疎まれ、山へ捨てられるなど大変な苦労をした。16歳になると自ら望んで出家し、17歳のときに當麻曼荼羅を一晩のうちに織り上げ、29歳で西方浄土に召されたという。この姫の存在自体が架空かもしれないというのが歴史の面白さであるが、折口はこの伝説に想を得、全く違った動機で中将姫に曼荼羅を織らせている。恋に恋するお年頃である処女中将姫は、成仏できないでいる大津皇子の魂に導かれ、二上山の麓のこの當麻寺まで奈良から雨の中を徒歩で辿り着く。

   春の山満身創痍の女を抱く あきこ

 翌夜、天若御子と化した大津皇子が中将姫を訪れる・・・。

(十三章)
 つた つた つた。
 又、ひたと止む。
 この狹い廬の中を、何時まで歩く、跫音だらう。
 つた。
 郎女は刹那、思ひ出して帳臺の中で、身を固くした。次にわぢ/\と戦きが出て來た。
 天若御子――。
 ようべ、當麻語部嫗の聞した物語り。あゝ其お方の、來て窺ふ夜なのか。

(中略)
 白い骨、譬へば白玉の竝んだ骨の指、其が何時までも目に殘つて居た。帷帳は元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな氣がする。
 悲しさとも、懷しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、白々とした掌をあげて、姫をさし招いたと覺えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。
 長い渚を歩いて行く。郎女の髮は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ亂れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の中道である。浪は兩方から打つて來る。どこまでも/\、海の道は續く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて來る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と氣がつく。姫は身を屈めて、白玉を拾ふ。拾うても/\、玉は皆、掌に置くと、粉の如く碎けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ續ける。玉は水隠れて、見えぬ樣になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬はうとする。掬んでも/\、水のやうに手股から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶ/\竝んで見える。忙しく拾はうとする姫の俯いた背を越して、流れる浪が泡立つてとほる。
 姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく、裳もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現し身。
 ずん/\とさがつて行く。水底に水漬く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹の白い珊瑚の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、搖れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。


 きわどいシーンが美しい。夢から覚めた中将姫は、中日に二上山に見た俤びと、白玉の指を持つその人を恋慕うようになる。

 其は黄金の髮である。髮の中から匂ひ出た莊嚴な顏。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩・胸・顯はな肌。――冷え/″\とした白い肌。をゝ おいとほしい。(中略)おいとほしい。お寒からうに――。(十五章)

 此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩うてあげたい(十八章)


 葬られている彼の人は着物も朽ちて寒かろう。彼の人を包む着物を作って差し上げたい、その一心で姫は曼荼羅を織り上げる(注:筆者の独断的解釈)。

 當麻寺の門前通りは、他の観光地の寺ならば土産物屋になっていそうな建物が、今でも普通のしもた屋である。その不思議な時空間をまっすぐ行くと、美しい三重塔を擁する當麻寺に出る。そしてその向こうに二上山を望むことができる。大津皇子はその二上山に眠っている・・・。



  

  うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む 大伯皇女



 大津皇子は、天武天皇の第三皇子で、母は天智天皇の皇女大田皇女である。謀反を密告され24歳で処刑される。自分の生んだ草壁皇子を皇太子にと願う鵜野讃良皇后(持統天皇。大田皇女は同母姉)の意向があったとされている。先に挙げた歌は、仲の良かった姉大伯皇女が、大津皇子の墓移転の際に詠んだものであり、この地区の至るところで紹介されている。「死者の書」では、自分が二上山に葬られていることを、姉が墓の前で詠んだこの歌で知ることになっている。『懐風藻』によると、大津皇子は優れた詩人であるばかりでなく、身体逞しく容姿に優れ、学問を好み、漢籍の知識が深く、武芸を好んだ、人柄も闊達にして謙虚、という抜群の男性とされている。
 「死者の書」においては、処刑される直前に目を合わせた藤原氏の娘、耳面刀自に未練を残し、その後裔である中将姫を招き寄せてしまう大津皇子だが、妻である山辺皇女が後を追って自刃している。また、万葉集には石川郎女との素敵な相聞歌が残されている。

  あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに     大津皇子 
  吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを  石川郎女

 この世に様々な未練を残したまま処刑された大津皇子・・・。私は大津皇子の魂を慰めるべく、山道を歩いている。横を流れるせせらぎの音が心地よい。水のある山道はいいものだ。大津皇子に想いを馳せ、ここが二上山だと言い聞かせながら、この山道を歩く。
ふっと尾根に出た。そこは馬ノ背と呼ばれるところで、道が二手に分かれている。左が雌岳、右が雄岳へ向かう道である。一瞬迷ったが、まず低い方の雌岳(474m)へ登ることにする。
 雌岳の山頂はきれいに整備された公園である。日時計があり、老夫婦や子供連れ、仲間で来ている人たちもいる。登ってきたままの向きの先には葛城山、その先が金剛山。後ろは信貴山。東は大和盆地、西は河内の平野を見下ろす。大和盆地は霞みの中にあり、その向こうに笠置山地の山々が浮かんでいる。


   下萌えやふはりふはりと人の恋  あきこ
   
 さあ、大津皇子に逢いに行かねば。眺望のある雌岳で、持参のパンとりんごを食べ、雄岳(517m)との鞍部へ下りる。雄岳は眺望がなく、閑散としていた。神社があり、その横に樹で囲まれた小さいがひんやりとした異様な空間もあり、長居したい所ではない。木々の間から、金剛山を眺められるのがわずかな救いとなっている。
 大津皇子の墓は頂上にはなく、ほんの少し下にある。鳥居があり、墓石があり、門が閉じられ、宮内庁管轄であることを示す看板がある。鳥居の向こうは鬱蒼とした樹々で小山のようになっており、小さな古墳のようでもある。
 ここは河内と大和を見下ろせる場所。「死者の書」では、大津皇子の墓を二上山へ移すにあたり、鵜野讃良皇后に「罪人よ。吾子よ。吾子の為了せなんだ荒らび心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に來向ふのを、待ち押へ、塞へ防いで居ろ。」と言わせている。
 両手を合わせた。縁あってここに来たことを想った。今では多くの人が二上山を訪れる。大津皇子ももう寂しくはないだろう。その御霊も慰められていることだろう。安心して成仏してください。と祈った。

   満たされし恋も悲恋も山笑ふ  あきこ

 最初の訪問から5週間あまり後の4月13日。私は再び二上山を訪れた。そこは満開の桜で春が満ち溢れていた。きっと大津皇子も、心安らかに眠っているに違いない。



   春満ちて死者も眠たくなりしとや あきこ


                          文・写真 四宮暁子

by basyou-ninin | 2008-04-13 20:49 | 吟行
芭蕉・嵐雪をたずねて
洞雲寺・本教寺吟行(池袋界隈吟行)               平成19年10月3日
旧暦の10月12日は芭蕉忌、13日は嵐雪忌である。新暦では11月21日、22日なので、早くはあったが、二人に縁のある寺を訪ねることにした。
先ずは芭蕉ゆかりの洞雲寺をめざし、地下鉄有楽町線要町駅から祥雲寺坂を上って行く。総勢13人である。

鳥渡る雲の字のある寺ばかり          健二

洞雲寺の手前にある祥雲寺に寄ってみる。

色鳥やお稲荷さんの小さきこと         洋子

祥雲寺から洞雲寺へ廻った。

洞雲寺には木造の芭蕉像があるということだった。入口から本堂まで30メートルもないような小さなお寺である。

深秋の梅花仏とも呼ばれたる          喜代子

芭蕉を真ん中に左に梅花仏、右に玄武仏とある。これは後に見る位牌と同じである。芭蕉像を見るために来たので、岩淵代表が頼むと、作務衣の僧がお堂の戸を開けてくれた。本堂は暗くて仏様のお顔は分からない。

手をつきし畳の冷えや阿弥陀仏         千晶

芭蕉像を見たいと頼むと、どこからか取り出してきて、座っている目の前に置いてくれた。

芭蕉像軽し茸のなほ軽し             喜代子
露けしや耳も目もある芭蕉像           昌子
やや寒の胸に入れたき芭蕉像          遥

お位牌もあるはずで拝見したいと頼む。少し分からないような様子であったが、奥に行って持ってきて、芭蕉像の隣に置いた。この池袋にある洞雲寺は、もとは関口芭蕉庵の近くにあり、明治になってここに移されたとのこと。関東大震災にも無傷で、この大戦中に焼夷弾が寺の前に落ちたときも焼けずにすんだそうである。どこかひなびた懐かしいl感じを残しているのはそのせいなのだろう。

寺を出てさらなる寺へひやひやと        昌子
廃屋にシャツ干されたる雁渡し          伸子

洞雲寺を出て、一旦、要町駅に戻り、嵐雪のお墓のある本教寺の東池袋まで地下鉄に乗る。東池袋駅から本教寺の裏門まで2-3分である。

裏門のそばの家の2階で雀がさわがしい。どうやら雀の昼餉時で、餌台のあたりを飛び交っている。境内の水道とポンプ井戸は江戸時代からの湧き水で、職人さんが昼食のために手を洗っていた。

乱れ萩手押しポンプのきしきしと        和代

蕉門十哲の一人、服部嵐雪のお墓をたずねて本堂の脇から表門の方へ行く。門の手前に見つかった。遅い萩が茂っている。さっぱりと大小のお墓が並んでいる。芭蕉の死後に江戸の俳諧を其角と二分した人のお墓だが、供花もなく持ってくればよかったと思った。それでも残っているだけでもいいのかもしれない。

路地奥に嵐雪の墓鳥渡る            伸子
嵐雪やうすむらさきの秋の水          遥
戒名に雪の一文字秋の蝶            健二
雪中庵嵐雪の墓帰り花              昌子
嵐雪の墓の秋蚊に喰われけり         喜代子
嵐雪の花筒の水澄みにけり           八雪
箒目にかからぬほどの萩の花         かぐや
嵐雪に言の葉かける秋の蝶           洋子
嵐雪の墓へ踏み石草の花            禎子
しじみ蝶二頭の去らぬ嵐雪碑          美智子
嵐雪の辞世のうたや萩さかり          絹子

嵐雪の墓石の後ろ側に下記の辞世の句が刻まれている。

一葉散る 咄一葉散る風の上          嵐雪


お墓近くには青い木瓜の実がたわわに生っていた。

表門をでると、その前がまたお寺である。歩いて行くと姉様かぶりの老女が行商の荷を並べて、近所の人も来ていた。葉唐辛子の佃煮を買い。おむすびなどの昼食にそえた。辛くなく丁度いい味だった。老女は千葉から2時間以上かかって来るそうでる。

担ぎ女や白粉花の辺に下ろし          美智子
行商の秋刀魚の煮付け負けさせて       八雪

帰り道には豆腐屋もあった。

店番も昼寝なりしか新豆腐            かぐや

以上が大体1時間半ほどの吟行であった。

秋風のひとりが戻りみな揃ふ           喜代子

                               写真・文・上田禎子
by basyou-ninin | 2007-11-02 20:22 | 吟行
近江吟行
近江といえば芭蕉である。三井寺、石山寺、幻住庵、岩間寺、義仲寺と芭蕉ゆかりの寺を訪ね歩いた。

6月25日(月曜日)
今回の一番の目的は三井寺(園城寺)の拝観である。京阪三井寺駅から琵琶湖疏水に沿って歩く。

古い町らしい家並みへ曲がり、大津絵の店で掛け軸、団扇、風呂敷、一筆箋などに鬼、藤娘などの絵を楽しむ。

三井寺ご出身の、柿本多映さんが待っている仁王門を探して、しばらく万緑の生垣に沿って歩く。反対側には団地などがあり窓に傘を干している。
片蔭をひろい大津絵の鬼に会ふ          恭子
枇杷の実を落ちるにまかせゐる真昼       喜代子
仁王門に着きようやくお会いできる。三井寺でお育ちになった柿本さんによると、昔は狸や鼬がいたそうである。森林浴している気分になる。
三井寺の門くぐらばや青葉風           竹野子
遥かより来て親しさや夏蓬             千晶
普通では見ることのできない国宝の光浄院客殿へ案内してくださり、甥御さまの説明を聞く。ときどき蛙の声が混じる。

涼しさや香炉ひとつが違ひ棚           千晶
襖絵の墨の流るる兜虫              喜代子
黴もまた史蹟に生きて武者隠し          恭子
お庭は高い夏の木々に囲まれていて、あちらこちらに今にも落ちそうな泡の塊が池の水面へたれさがっている。お庭も池が広縁の真下まできていて客殿と一体化した構成。

古池や森青蛙卵生む                竹野子
光浄院から境内を案内してくださる、すたすたとゆく柿本さんの足について行くのが結構大変であった。下の写真は閼伽井屋でぼこぼこと千年以上前から湧き続けている。

堆き時の音する涌井かな               紀子
地の声となりて噴きつぐ岩清水            和代
閼伽井屋の真清水が音胸を打つ          恵子
突然孔雀の声が聞こえた。境内で飼っているとのこと。
緑陰に愛を求める孔雀かな            竹野子
有名な三井寺の晩鐘を誰かが撞いてみたけれど、弱い音だったので、柿本さんがお手本を示してくださった。みんな一打ずつ撞いたがそれぞれに強弱があった。名鐘だけあって音色は良かった?ようである。
三井寺の鐘つく夏帽小さく折り            恭子
湖を来て三井晩鐘の深みどり           喜代子

鐘楼から大師堂、三重塔、そして深い木立の中を鶯や三光鳥など鳥の声を聞きつつ観音堂まで行き、そこから琵琶湖を眺める。ただ、口惜しいことに湖畔にマンションがたち、景観を妨げている。

涼しさや天地をとほす杉木立            千晶

鳴き声は眼抜きの竜か青葉闇          竹野子
青梅雨や千年回す摩尼車              和代
男梅雨晴れて女坂を降りにけり         竹野子
観音の目つむりて聞く三光鳥            恭子
手ぬぐいに三井の染め抜き五月雨るる      和代
三井寺を出づればこの世沙羅の花         紀子
三光鳥座れば風が顔にくる            喜代子
山門に虫食いの跡青時雨             禎子
下の写真の観月の舞台からは比良、鈴鹿連峰が望めるそうである。

入口近くの売店まで戻り、しばらく休憩をする。飴氷を飲んだりする。
柿本さんとこちらでお別れをする。尊い仏様などを拝まさせていただき、有り難き午後であった。別所駅まで車を手配してくださり、すっかりお世話になってしまった。

柿本多映さんは「俳句研究」7月号に「現代俳人の貌4」として特集されている方である。代表句の一つは
馬を見よ炎暑の馬の影を見よ          柿本多映
宿泊の石山寺で下車をした。瀬田川に面している宿であった。

瀬田川の一の唐橋夏の雨            恵子
唐橋を遥かに梅雨の傘ひらく          竹野子
夕飯は近江牛、鮎の塩焼き、湯葉のあえものなど地のものが用意され、お腹一杯いただいた。そして句会、寝たのは11時過ぎだったろう。早朝の新幹線からの長い一日であった。
鮎の宿淡海の風を通しけり            恭子
鮎の腸苦きも楽し淡海かな            禎子
一夜さの一幕かべを這ふ百足          竹野子

6月26日(火曜日)
早朝の瀬田川ではボートの練習をしていた。
宿から石山寺へ7-8分の距離である。途中、菩提樹の花が満開であった。

菩提樹の花仏は剣手に持ちて           禎子
石山の石である。周囲の木々の緑が映えて美しい。どこか神秘的な感じもする。天延記念物。

工事中の山門から緑ゆたかな境内に入る。石山寺は紫式部が源氏物語の想を得たところとしても有名である。紫式部展が開かれてをり、見るのを楽しみにしてきたのであった。九時前の境内では夏落葉などを掃いている清掃の人たちに出会う。梅雨茸があちこちに生えている。

本堂、鐘楼、芭蕉庵、式部の像を見て、10時前には展覧会場に着く。早かったが入れてもらう。源氏物語絵巻、屏風、貝合わせ、芭蕉の自画賛などが展示されていた。芭蕉は石山寺に2-3回来ている。写真は芭蕉庵と月見亭でる。

常の目を離れし石山寺涼し            恭子
石山のこれはとばかり青蜥蜴          竹野子
涼やかに胎内仏の佇みぬ             禎子
紫式部見舞ふ蛍が火灯窓             恵子

未央柳反り屋根美しき多宝塔          千晶
夏うぐいす一字写経に切を書く          紀子
梅雨茸の朱の散らばれる恋の道       禎子
極楽のとなり地獄や蜘蛛の糸           竹野子
もとのやうに御籤を畳む濃紫陽花        喜代子
石山寺駅へ戻り、電車で石山へ。こちらになじみのないものには駅の名がややっこしい。バスで幻住庵へ。芭蕉が滞在して「幻住庵記」を書いたところである。小さい鳥居をくぐり、上り道の子供達の短冊を読みつつ庵の下までゆく。幻住庵記の陶板があった。庵まで可愛らしい階段をのぼり、庵へゆくと、訪れている人もいて、庵主は忙しくしていた。庵は二間ほどであった。

老鶯や幻住庵記読み耽り             竹野子
とほきこゑ幻住庵の青葉闇           紀子
幻住庵趾茂りにまかす木立かな         禎子
幻住庵から芭蕉の汲んだ泉へ下りる。道のところどころに俳句が電灯に書かれていて、泉は今でも湧いている。
とくとくの泉に冷やす石工鑿            恵子
もてなしの蚊にあづかりし指の先      紀子
折角来たのだからと幻住庵からタクシーで岩間の寺へ。青田を遠近に見ながら山を上っていく。家々の軒先には玉ねぎが吊るされている。寺は紫陽花が迎えてくれ、芭蕉の「古池の」の句が生まれたという池があった。背景は夏山である。山奥なので人が来ないと思ったが、意外にも来ている。バス停から40分もあるところである。

国分山その奥岩間ほととぎす          竹野子
あぢさゐの鞠の上なる岩間寺          紀子
鳴き切って老鶯消ゆる岩間寺           恭子
岩間寺から唐橋へ向かう。タクシーに待っててもらい、下車して唐橋を眺める。

唐橋から義仲庵へ。実は前日に立ち寄ったのだが、月曜日とて門が閉まっていた。今日は開いていて中はこじんまりとして芭蕉の葉があおあおと靡いている。

義仲寺に名前呼ばれてゐたりけり        喜代子
芭蕉塚蛙の交る真昼かな             千晶
木下闇翁安んじ眠りをり              禎子
蕉翁の文字の傾く半夏生             紀子

義仲庵の受付で其角の「終焉記」を買い、膳所の駅まで徒歩で戻った。
膳所の僧白緒白足袋白日傘           恵子
膳所の駅へ出て吟行は終わった。分かれたあとに唐崎へ回った方もいた。
青梅雨支ふ唐崎の松三代目           恵子
大津をめぐりきて
汗にじむ大津に多し翁の跡            恵子
以上がににんの二日間の吟行であった。念願の近江に来ることができて幸せな時間であった。
夏落葉過去つみ重ねつみ重ね          恭子
                
                         写真・文・上田禎子
 
by basyou-ninin | 2007-10-20 16:26 | 吟行
嵯峨野吟行 番外編その二
嵯峨野吟行   落柿舎投句

「落柿舎」 秋季号182号が送られてきました。その中の「落柿舎(全国)投句箱」に掲載されました。

五月雨や一夜に柿の落つ咄     伊丹竹野子

竹野子さんの句は特選20句の中のです。

老鶯の鳴き終わるまで息とめて   上田禎子

記念に載せておきます。上田禎子
by basyou-ninin | 2006-10-21 16:03 | 吟行
鹿島吟行
鹿島吟行       10月8日(日)―9日(月)

鹿島神宮駅に立待月の11時ごろに着く。快晴の秋の日であった。


根本寺へ行く道すがらの蜂の巣にみんな興味深々。
    

根本寺はこじんまりしたお寺であった。

月の出づ方角を見る根本寺     禎子
   
月はちょうど本堂の裏山から上る。

有名な芭蕉の句碑
月はやし梢は雨を待ながら     桃青
   

根本寺を出て鹿島神宮へ向かう。

鹿島アントラーズの本拠地らしい風景。
     

途中の昼食を摂ったお店

              
神宮の参道にある蕎麦屋さんで、たっぷりと盛られた常陸蕎麦に、そして添えてある小さなフライパンほどの掻き揚げを食べる。このお店は山下清の鹿島神宮の絵がかけてある。

鹿島神宮は古代からの木々の森があり、いかにも神が住みたもうという宮だった。


玉砂利に足沈むなり神の留守     幸行子    

娘さんと母親がながながと祈っていたのが印象的だった。

「鹿島」の由来の鹿の園があり、鳴き声は、想像していたよりきれいではないのでちょっと幻滅。でも、仔鹿はやはり可愛い。

鹿の鼻ぬれて鹿島の要石     喜代子


    

境内の茶店で、黍団子を食べつつ霊泉で淹れたコーヒーを飲み民宿へ。

鹿島灘に面する民宿に着く。宿の真ん前に荒波がうねっている。

浜駆ける犬の足跡秋夕日      伸子    


立待月は六時近くに鹿島灘の海面から昇りだした。


月の出を待つ人の影動きだし     洋子

月光を水に貼りたる漁師町     喜代子

灘の月ぐぐと上りて大きけれ     うさぎ

月の波上りつめては崩れては     雅子

月を載せ瓦の威風保ちけり     舞

波間には銀の蛇ゐる立待月      伸子
   

夜更けの波頭が月光を反射して輝いていた。沖は霧か靄かが壁のように立っていた。

海鳴って十七夜の光ゲ揉みしだく     恵子

ひと眠りふた眠りては月仰ぐ     幸行子

こうして立待月の一夜が過ぎた。

9日(月)

明け方から沈む月を見るために起きだした。


月が沈んだのは日の出よりずっと後であった。



遅い朝食の後、宿の主人のワゴンで鹿島漁港へ行く。

車の中で、朝起きたハプニングの、

蛤と化して汀へ濡れ伏しぬ     うさぎ

というアンハッピーなことに関わらず、話に盛り上がり、

旅半ば笑ひを隠す秋日和     雅子

と。

秋天や風車の向きのそれぞれに      紀子

風車の立つコンビナートを抜けて漁港へ。



そして低気圧で前々日に貨物船が座礁した神栖へ行くことになる。神栖公園には鹿島灘を見渡す展望塔があった。船は見えなかったが、360度の展望。

貨物船ゆるりと入る秋の昼     洋子


公園は

海荒れてまてば椎の実吹き溜る     恵子

鹿島は

コンビナートも貝も真白き秋思かな     喜代子

そして、常陸野は

電線の空へ背高泡立草     雅子        

という鹿島吟行であった。

                       文・写真 上田禎子
by basyou-ninin | 2006-10-08 09:02 | 吟行
嵯峨野吟行
          嵯峨野吟行    2006年6月19日(月)

阪急嵐山駅から小さな橋を越えて、中の島へ。

                  鄙びた感じの中ノ島橋を渡る


この角度から渡月橋を見るのははじめてです。川原に光りが溢れていました。
強い日差しを浴びながら、しばらくは燕が何度も橋桁をくぐったり、白鷺が羽をひろげていたり、釣り人が竿をしならせるのを眺めていました。それから、渡月橋を渡りました。

暑き日を承知の助の嵯峨詣    伊丹竹野子
                     
                    中の島から渡月橋を見る

                  渡月橋を横断する幼稚園生たち

美しい緑の竹林を左右に見て、野宮へ。

竹皮を脱ぎてヒスイの色になり    上田禎子


面影に似て石仏竹落葉    西田もとつぐ

黒木の鳥居、小柴垣の野宮は、こじんまりと清らかな感じのする神社です。
                     
                     境内の赤い鳥居と苔

常寂光寺では鐘の音が聞けました。ギンヤンマが鐘のひびきに釣られたように、鐘撞堂に向かって、ホーバリングを繰り返していました。

落柿舎では投句箱がもうけてあり、皆、一句を投げ入れた様子でした。

花南天日まみれの虫まとひつき    武井伸子

去来の墓、まるで結界のように、蜘蛛の糸が張り巡らされていました。

大日如来、平清盛、祇王、祇女、仏御前などの木造像が安置されている祇王寺。ここの猫はたいへんな美形でした。

祇王寺のまつ白な猫涼しかり    浅見優子

光りの加減が美しい吉野窓。

梅雨明けの山風通す吉野窓    平林恵子

檀林寺前に止まっていた人力車。嵯峨野散策のあちこちで出会いました。


鱧食べてゐる父母が居るやうに    岩淵喜代子

遅い昼食をとりながら句を作り、嵯峨野吟行を終えました。


                   文・写真/武井伸子

   
     *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*


                    番外編 蛍の夜
                
                  哲学の道から夕焼けをのぞむ

蛍は飛ぶのを見るのが最上ですが、また、蛍の出るのを待つのも楽しいことと経験しました。特に京都の、哲学の道にですから、東女にとってはめったにないことで、わくわくしました。結果は飛んだのを見たのは数えるほどでしたが、木や疎水の草に無数にとまって、きらきらと宝石のように輝いていました。いっせいに飛び立って乱舞する風情を想像しながらの帰り道でした。
                    
                   文・上田禎子/写真・武井伸子


「吟行燦燦」以前のににん吟行は、こちらのページに掲載しています。



by basyou-ninin | 2006-06-19 09:00 | 吟行
鬼貫吟行
              鬼貫吟行    2006.6.18(日)

「吟行燦燦」第1回目は、上嶋鬼貫を訪ねて、兵庫県伊丹市へ飛びました(この吟行は俳誌「ににん」24号より誌上掲載されます)。
まずは柿衞文庫で、伊丹の俳人「上嶋鬼貫」に関するレクチャーを学芸員の岡田麗氏から受けました。
柿衞文庫は鬼貫研究でも知られる俳文学者、岡田利兵衞(雅号 柿衞)の蒐集品からなり、俳書を中心に書籍、約3500点、さらに軸物、短冊などの真蹟類約6000点を蔵しています。
またここでは、鬼貫の時代、宗旦がひらいた俳諧塾にちなみ、平成5年から也雲軒(塾頭 坪内稔典氏)の俳句塾が活動しています。

膝だいてゐる鬼貫の夕涼み    岩淵喜代子
                        
                        柿衞文庫

旧岡田家住宅・酒造などを見学して、岡田麗氏のご案内で、伊丹の町へ。寛文以後、70軒以上の酒造家が軒を連ねていたという伊丹。富裕層はその経済力にものをいわせて、あらゆる学芸に親しんでいたといいます。俳諧もそのひとつ。寛文から元文にかけて、100名をこえる俳人が活躍していたというから、まさに俳諧の町だったわけです。鬼貫の家も油屋という酒造家でした。

酒蔵に芒種の月のあがりけり    西田もとつぐ

鬼貫もくぐりし酒蔵夏暖簾      武井伸子
            
                       旧岡田家酒造


万治4年(1661)に生をうけ、元文3年(1738)に78歳で亡くなった鬼貫は、大阪鳳林寺に葬られていますが、ここ墨染寺にも長男永太郎との親子墓があります。

鬼貫の墓あり西日真正面    平林恵子

                      墨染寺 鬼貫親子墓


猪名野神社にある鬼貫の句碑。剥落がはじまっているようで、少し土台が心元ない感じでした。足元の地面には春蝉の穴らしき穴がいくつか。敷地内には亀の池や珍しい土俵がありました。

              鬼貫句碑 鳥はまだ口もほどけず初桜


整然とならんだ、神社の掃除道具。


伊丹の町で、立ち止まっては岡田麗氏(右から2人目)のレクチャーにメモをとる「ににん」メンバー。


最後の訪問は荒村寺。ここにも鬼貫の句碑がありました。
これは出迎えてくれた、犬。

薄西日犬の留守番荒村寺    浅見優子
               
                  
               鬼貫句碑 古城や茨くろなるきりぎりす


夏帽子鬼貫の句碑めぐりけり     上田禎子

昆陽池のほとりの宿り明け易し    伊丹竹野子

ここを出る頃には、路面に西日があたり、旅の空は暮れはじめていました。
明日は嵯峨野吟行。楽しみです。


                     
                     写真・文/武井伸子


「吟行燦燦」以前のににん吟行は、こちらのページに掲載しています。
            



by basyou-ninin | 2006-06-18 09:00 | 吟行