カテゴリ:俳句( 6 )

奥吉野吟行会記

       奥吉野吟行会記   2016.2.25〜26                   

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昨日の雨が嘘のように晴れ、寒さも和らいだ2月25日、近鉄・榛原駅に岩淵代表を含め9名の「ににん」会員の顔が揃う。
私を入れて10名が今回の吟行会のメンバーだ。
宿の送迎バスで吉野の紙漉きの里へ国道370号を南下。
約30分程で吉野町に入る。
道の両側の杉は花を付け風が吹けば今にも烟るかのようである。

入野トンネルを抜けると目の前に吉野川が広がる。
U字形に曲がる川の岸に家並みがあり、「紙漉きの里」吉野町・窪垣内である。
バスを下りて集落の小高い所にある「福西和紙本舗」の工房を訪ねる。
爪先上がりの坂の途中の畑には、獣避けのネットが張られ中に案山子が取り残されている。
立ち止まり俳句手帳に句を書き込む姿が。
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工房の前庭には既に紙が砦の様に干され、冬日が白く輝いて見える。
工房6代目の福西正行さんの話によると「昔は集落の大半が紙漉きを生業としていたが、戦後は和紙の需要が激減、集落の多くが割り箸に転業、また、最近は過疎化により廃業が進み、今は6軒が伝統の紙漉き技法を受け継いでいる」と、話す。
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昔から吉野の和紙は「宇陀紙」として、高級な掛け軸、襖の表装等に重宝されており、現在では、国宝・重文等の修復に利用され注文が増えているとか。
帰路、梅が美しく咲いている家の前を通ると庭の隅に大きな釜が伏せられているのに気づいた。
多分、かつて、楮を煮た釜であろう。
紙漉きを廃業した家だと推測できる。

つぎの吟行地「国栖奏の宮」にバスを進める。
国栖奏の舞台である「浄見原神社」へは、窪垣内から5分ほど、新子の集落の外れを右折して小さいトンネルを抜けると南国栖の集落である。
バスを降りて吉野川沿いの岨路を数分歩くと小さな石の鳥居が見えてくる。
急な石段を登り鳥居を潜ると崖の上は狭いが平地があり、畳3枚程の広さの拝殿の奥の岩壁に抱かれた小さい祠が鎮座している。
これが、国栖奏を奉納される「浄見原神社」で祭神は壬申の乱に勝利し、後に明日香浄見原宮で即位した天武天皇(大海皇子)である。
国栖奏の起源は、応神天皇が吉野の宮(吉野離宮)に行幸した時に国栖人が一夜酒を献上し、歌舞を奏したと「日本書紀」に記されている。
また、壬申の乱(672年)の際、大海皇子を匿い赤腹の魚(ウグイ)赤蛙、粟飯等を捧げ国栖奏を舞ったとも。
今も毎年旧暦の1月14日に国栖奏が奉納されている。
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浄見原神社真下の吉野川は、深く瀞んだ淵となり「天皇ケ淵」と呼ばれている。
神社登り口の断崖に藪椿が咲いていたのが印象的であった。

バスに戻り、更に20分、東熊野街道を南に進むと左右の山が急に追ってくる。
吉野も一層深くに入った感じがする。川上村である。
芭蕉が、ここ「蜻蛉の滝(笈の小文ではの滝)」を訪れたのは貞享5年(1688)3月「笈の小文」の旅である。
西河の集落の奥にある「あきつの小野スポーツ公園」の小道を進むと「蜻蛉の滝」に通じる石畳と石段がある。
石段を登ると水音が激しく聞こえ数分で滝口の前に着く。
水量が豊かで轟々と落ちている。冬の滝とは思えない。
芭蕉はここで、
 ほろほろと山吹ちるか滝の音 芭蕉
と、この滝を詠んでいる。
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滝を正面から仰ぐために螺旋階段と橋が設けられており、階段を降りた橋の袂に其角の句碑が建っている。
三尺の身をにしかうのしぐれかな 其角

元禄7年(1694)9月に其角が先師芭蕉を偲び、ここを訪れた時の句である。
滝道は整備されて吉野山までのハイキングコースとなっているが、厳しい山道には変わりがない。「蜻蛉の滝」命名は雄略天皇を虻から救った蜻蛉伝説から付けられたとか。
芭蕉の句碑は、滝から1キロ程離れた「大滝」バス停前の「大滝茶屋」の広場にひっそりと建っていた。

今日、最後の吟行地「丹生川上神社上社」に向かう。
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大滝ダム建設で神社が集落西方の山の中腹に社殿を新設して移転。
平成10年(1998)の事である。
丹生川上神社は古くから祈雨、止雨の神として崇拝されており、吉野川沿いの川上村に上社、東吉野村に中社、下市町に下社と定め現在も多くの参拝者で賑わっている。
新設された上社の境内、南東の端からダム湖の底に沈んだ元宮を遥拝する事ができる。
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午後5時30分。予定通り一日の旅程が終わり宿へ到着。
夕食には、山国の宿のもてなしの料理と酒がならぶが、食後に開催する俳句会のことは忘れて杯を口に運んだ。
同室の布村さんと露天風呂へ、明日の天気を約束するがごとく星が瞬いていた。

2月26日、朝日が眩しく湖面に差す。
同室の布村さんとまずは朝風呂へ、朝食の茶粥が旨い。
これも吉野の自慢のひとつである。

予定通り2回目の句会も終わり、宿のバスで帰路に着く。
途中、重要伝統的建造物群保存地区の町大宇陀を散策、この町は宇陀紙ではなく「吉野葛」の生産の町である。各自の手にはお土産の葛製品が。
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ここで、室生寺散策と東吉野「石鼎庵」散策組に別れる。
2日間の短い旅であったが、充実した吟行会であったと自画自賛、私の至らない説明にも耳を傾けていただき感謝しています。
また機会があれば吟行会の開催をと思います。
遠方まで参加してくださった皆さんにお礼申し上げます。

かなしさはひともしごろの雪山家 石鼎
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奥吉野吟行会俳句

滝水の落つれば透きて春の鹿       岩淵喜代子
紙透いて宇陀人風に隠れけり
国栖人の影ぞろぞろと草萌ゆる
穀撒きの餅は大きく草萌ゆる

国栖奏の終り餅撒く鬨の声         宇陀草子
磐境に国栖奏の笛ぴたと止む
舞ひ終へて国栖奏の長眉白し
国栖奏の果たる宮の磐襖

漉き紙の一枚ごとに春日満つ         河邉幸行子
吉野川深き色もて水温む
漉き紙と洗濯ものと春の雲
春遅々と地酒に酔ひし宇陀郡

雪解風ダム湖の底の故郷かな        篠原明子
しなやかに簾をかへし紙漉ける
ふきのたう紙漉く音に子ら育つ
大宇陀の古き家並みや梅白し

啓蟄やダム湖に残る神社跡         武井伸子
佐保姫をのせて蛇行や吉野川
滝音に急かされ芽吹山のぼる
宇陀紙に春日閉ぢ込め寡黙なる

紙漉きや光もろとも屑掬ふ         谷原恵理子
狼は絶え伊勢道の常夜灯
橋渡る奥にまた橋雪解川
木の実植う和紙に混ざりし白き土

谷底に町閉ぢ込めて鳥雲に          辻村麻乃
紙漉きて手の甲にある光かな
春寒し谷戸に楮の匂ひして
洗濯の竿に大きな春椎茸

風光る和紙を日に干す隠れ里        浜田はるみ
犬ふぐりぽつぽつ声の良く通る
紙漉の手元より生れひかりの芽
国栖奏の舞台へ瀬音上りくる

漉き上げし紙が余寒の水落とす        佛川布村
紅梅の近づけば紅あはくなる
川の名の変はりいよいよ杉の花
いぬふぐり皇子の踏みし道の辺に

六代目ぼつたり厚き紙を漉き       牧野洋子
和紙を干す春の光を返しつつ
一言がふたことみこと藪椿
宇陀紙の葉書の角の朧かな



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             文・写真 宇陀草子 
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by basyou-ninin | 2016-02-25 10:00 | 俳句

河内音頭盆踊り

         錦糸町・河内音頭盆踊り     2014.8.27

8月も終ろうとしている27日、JR錦糸町駅・南口に降り立った。
2日間にわたる河内音頭盆踊りの初日だ。
雨をふくんだ夕空はまだ持ちこたえていた。
身の回りをうすうすと秋の気配がすり抜けていく。

吟行参加者が揃ったところで、堅川親水公園の特設会場へと動き出す。
その途端、小雨が降り始めた。会場へは徒歩五分の距離。
マルイの脇道を入る。
赤い提灯が点され、それが小雨に濡れている。
提灯が盆踊り開場への道案内だ。

ちようちんに誘はれて行く盆踊り   宮崎晩菊 

首都高速7号線高架下が盆踊り開場だ。
高架が屋根の代わりをしてくれて、雨天決行。
開場に近づくと、河内音頭が聞こえてくる。 
午後5時半開演、終演は9時だという。
すでに踊りの輪ができていて、入口とは反対方向に舞台が組まれている。
ステージの背景には提灯が積み上げられ、遠く小さく見える舞台が、まばゆく輝いている。
そこから河内音頭が拡声器で広がっていく。
盆踊りのためのスペースは、ステージに向って縦方向にぐいと伸びている。
踊りの輪を囲むように様々な屋台が並ぶ。

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立ち喰ひの耳に盆唄錦糸町   高橋寛治

踊る人がいれば、踊らない人もいる。
踊らない人たちは、舞台下で音頭取りの声に聞き入ったり、
立ち食いを楽しんだり、屋台のテーブルに張り付いていたりする。

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音頭取り歌手のごとくに唄ひけり   小関人志

蚊に食はれ眺むるだけの踊りかな     矢野 輝

大男恥ぢて踊りの輪に入らず       佛川布村
 

河内音頭は大阪府八尾市を中心に河内地方で唄われてきた盆踊唄。
8月になると、河内ではあちこちに櫓が立つという。
櫓には音頭取りと伴奏者が上り、太鼓、三味線、エレキギター、ときにはシンセサイダーなども使われる。
かつて農村地帯であった河内では、野趣に富んだ唄と踊りが、大事に伝えられてきた。
唄い継がれてきた音頭には、新たな工夫が取り込まれつつ、芸能の本来の荒々しさが息づいているといわれている。

「ええ、さあては一座の皆様へ ちょいと出ましたわたくしは お見掛け通りの若輩で ヨーホーホーイホイ ハァーイヤコラセー ドッコイセー」

音頭取りはまず、一座の皆様へ挨拶をして、それからマクラ。
その後本題に入り、物語を紡いでいく。
最後は「皆々さまの御健勝と久しき幸せを祈りながら、さようなら」となる。

錦糸町にはじめて河内音頭を招いたのは1982年、ダービー通り神社前の「銀星劇場」が初演だったという。
1985年に東京初櫓。今年、2014年は33回になる。

7時を過ぎると、人がどんどん増えてきて、舞台下で音頭に聴き入っている人たちも、隙間なく座り込んでいる。
五月家菊若の「紀ノ国屋文左衛門」、五月家一若の「瞼の母」などを、舞台下に陣取ってじっくりと聴く。
会場が混みあってくると、踊り手同士の距離も近くなってくる。隙間があまりない。
いっせいに音頭に乗って揺れながら、腰を振って踊る。
この独特の腰のひねり、揺れになんともいえない味がある。
河内音頭の踊りは、語義は不明ながら、通称「マメカチ」と言われているそうだ。
身体能力の高い踊り手は上下、前後に思い切り跳ねる。移動の所作がダイナミックだ。

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地を蹴るように跳ねて、生き生きと身体を弾ませている。
踊り手の躍動を見ていると、こちらにまでそのスイング感が伝わってきて、身体のどこかが動いてしまう。
車椅子のお婆さんの手と足が、ほんのすこしだけ動いているのを見て、有無を言わせない河内音頭の力を感じた。
踊りの輪の浮き沈みが大きなうねりとなって、錦糸町高架下をエネルギーの坩堝にする。ここにある熱気はなんだろう。
踊りの輪の大きなうねりに身を任せながら、陶然とたゆたっている気になる。

この日、踊り手の仮装がなんともおもしろかった。
AKB48のようなフリルがいっぱいついたドレスは、年配のご婦人たちがお召しになっていた。頭に光る被り物を載せたり、猫耳をつけていたり、天狗のお面をつけた男性もいた。
中世の風流を思わせる仮装である。

河内より闇連れ来たる盆踊   武井伸子

踊手のひとかたまりの鴉めく    岩淵喜代子


河内音頭に乗って、河内の闇がひたひたと、もうそこまで押し寄せて来ている気がする。
踊の輪はそれを取り込みながら、夜をうねっていく。

踊りのほとぼりの醒めない内に、駅ビルのレストランの一角で、句会。
別行動をなさった方々は、いささかきこしめし、河内音頭の夜を満喫なさったようであった。
 
踊り終へて赤提灯になだれ込む 村松 健


                 文・写真/武井 伸子
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by basyou-ninin | 2014-08-27 18:00 | 俳句

渡良瀬遊水地 野焼き吟行

           渡良瀬遊水地 野焼き吟行   2014.3.17 

渡良瀬に春を告げる行事、葦焼きが3月17日に行われた。
良質の葦を育て、害虫を駆除するために、また希少植物の生態系維持ためにも昭和30年代に始まった渡良瀬遊水地の葦焼きだが、2011年は震災直後で中止となり、2012年は福島第1原子力発電所事故の影響で葦を焼いた後の放射性物質飛散の心配から取り止めとなった。
昨年は国などの放射性物質の検査で安全性に問題ないとされ3年ぶりの葦焼きとなった。

渡良瀬遊水地は栃木・群馬・茨城・埼玉4県に跨っている。遊水地の広さは山手線の内側の南半分とほぼ同じ3300ヘクタールでその半分の1500ヘクタール弱が本州最大級の葦の湿地帯である。
貴重な猛禽類のチョウヒやオオタカを頂点として生態系ピラミットが構成され大変貴重な場所となっている。
平成24年7月ラムサール条約に登録された遊水地である。
しかしながら、この渡良瀬遊水地の建設には、悲惨な歴史がある。
明治10年の頃、足尾銅山からの鉱毒のため渡良瀬川の流域の村々では作物が枯れるという被害がでた。
被害者は抗議行動を起こした。川俣事件である。
また田中正造の直訴事件等も起きている。
明治政府は、この解決のために足尾銅山の操業を止めその代わりに、毒の水を溜める「渡良瀬遊水地」の建設を行うことにしたのである。
その犠牲になったのが、強制立ち退きを余儀なくされた旧谷中村の住民であった。
住民は長年さまざまな苦労を重ねたが、結局大正6年に谷中村は名実共に滅亡したのである。
その村の跡が、「渡良瀬遊水地」なのである。
現在もこの地に谷中村遺跡として雷電神社跡、村役場跡、小学校跡、延命院墓地跡等がある。

この日は天候に恵まれ、予定の時間に葦焼きが始まった。
私たちが現地に着いたときは第1回目の火入れが既に行われ、遠方の葦原は、勢いよく炎を上げていた。
それにも増して黒煙の立ち上がる姿は、怪獣を思わせる様である。思わず、唾をのみ込んだ。
こんな大規模な野焼を見るのは、初めてなのである。

草焼きの煙の中に人走る    宮本郁江

はるばると来て葭焼の煙の中    武井伸子
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2回目の火入れは、私たちが見ている大土手に近い所で、野焼守りが一抱えの葦に種火を点け火入れをした。
乾いた葦はパチパチと音を立て燃え上がり、大きな火柱となった。
風に煽られ、あっという間に炎は20メートル位嘗め尽くした。
声も出ず、ただただ炎の先を、見詰めるばかりである。

腰に鎌を差して野火守走りけり      佐々木靖子

石垣に草焼きの火の躓きぬ          牧野洋子

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大土手には溢れるばかりの人である。
カメラマンの姿も多く見られ、それぞれがシャッターチャンスを狙っていた。
カメラマンも興奮していたのでしょうか。結構荒だった言葉を周りの人に、投げかけていたカメラマンも居たようだ。
少し下火になり、子供の何か叫ぶ声が土手の下で聞こえた。
私たちも土手から下へ降りた。
少し遅れて来た友の姿が土手の上に見えた。
手を振ると、友も土手から下へ降りてきた。これで全員揃った。
葦の燃えた跡は蒼黒い色と化し、白い煙がところどころに立ち上り、末黒野となっていた。
煙に紛れて雲雀の声がした。目の前の柳には、既に緑色の芽がではじめていた。
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末黒野の立木にとまる烏二羽     中島外男

消防自動車が数台来ている。
葦焼きの火の消える最後まで見届けるのであろう。
葦簀農家の男衆が手に鎌を持って安堵した表情で歩いている姿にも出合った。
今年は葦焼きの面積を、例年の4割程度少なくしたが、風が強く予定した葦原より少し多く焼いたようだ。
まだ、葦原の先の方は、煙が立ち、赤い炎は見えていたが、眼前は大半が末黒野と化したので、私たちは帰る事にした。
周りに居た人達も何事もなかったような素振りで三々五々帰り始めていた。

揚雲雀野火の終わりを告げにけり    高田まさ江

野火終りさみしき顔となりてゐし    あべあつこ
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足元に黒い虫が這っているのかと思い、足を止めた。腰を屈めそれを見ると動かない。虫ではないとホッとした。
が土手にも道にも、黒い羽のような燃え滓が散らばっていたのである。少し気味が悪かった。
土手を挟んで、遊水地の反対側は住宅街である。よく見ると、それぞれの住宅の窓はきちっと閉ざされていた。放射性物質の飛散を少しでもシャットアウトしたい住民の気持ちの現れかも知れないと、思った。
何だか体中の力が抜け、お昼も過ぎているのに空腹であることも、気にならず、タクシーに乗り込んだ。

栃木駅に着くとまず昼食をとった。
相談したわけでもないのに、全員ハンバーグ定食と甘いデザート。とても美味しかった。
昼食後、蔵の街まで足を伸ばした。
巴波川の船着き場から都賀舟に乗りこんだ。
それぞれが菅傘を被り舟の客となる。
そう長くない川の距離を往復した。
船頭は長い棹を持ち慣れた手つきで舟を操る。
その都度、川の名前や例幣使街道のことや、川の側の蔵づくりの屋敷の話等分りやすく語ってくれた。
巴波川の片側には大きな蔵屋敷が立ち並び、それを見ながらの舟遊びは、江戸時代に遡った錯覚に襲われた。なんとも風情な気分である。

巴波川野焼の芥流れ着く        及川希子

羽のごと遠き野焼の灰が降る     岩淵喜代子
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川の行く手には、残り鴨が数羽、羽繕いをしている。
川を覗き込むと、たくさんの大きな鯉が泳ぎ、人懐こく舟に寄ってきた。
船頭から鯉の餌を買い、鯉に餌を撒いた。
その川面をよく見ていると黒い滓のようなものが浮いていた、船頭は葦焼きの燃え滓だと言う。びっくりした。こんな所まで風に乗って飛んできたのである。

葦の燃え滓は川ばかりでなく、道路の至る所にも落ちていた。
足元にふわふわと寄る黒い葦の滓を目で追いながら、駅舎に急いだ。

            
           文/牧野洋子 写真/あべあつこ・武井伸子
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by basyou-ninin | 2014-03-17 10:00 | 俳句

出羽三山の旅


平成22年10月2日ー4日
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1日目(10月2日)
10月2日の朝、東京駅を発ち、新潟で羽越本線に乗り換えてから吟行が始まった。12時過ぎに、JRの鶴岡駅に着きワゴン車に迎えられた。目的は第52回奥の細道羽黒山全国俳句大会に選者として出られる岩淵代表について参加すること、それにもう1日余分に泊まり、少しでも山岳信仰の出羽三山に詣でることだった。もっとも私達が訪ねたのは、羽黒山、湯殿山で、月山は眺めただけであったが。出羽三山は言うまでもなく「奥の細道」の中に書かれている。芭蕉は3句ほど句を詠んでいる。俳人としては知らない人はいないと思うので説明は省略。
藤沢周平記念館に先ず寄る。記念館には周平の作品が展示され、手書きの題名が多いのに気がつく。本人のものかどうかなと、そばの原稿用紙と見くらべてみたけれど分からない。映像で鶴岡や庄内の景色を見せているのが周平の世界を近寄せる。周平の作品に救われたという八王子から来た男性に、周平のお墓の写真を見せてもらう。墓石には小菅家とある。本名は小菅留治で周平のお墓はこの庄内ではなく、この男性の住んでいる八王子にあることを知った。そういえば、周平は北多摩の療養所にいたことがあり、その縁だろうか。周平の句集も置いてあり1冊買う。

机上にはペンと文鎮つばきの実武井 伸子
周平の文字やはらかし秋灯し  望月 遥
秋の蚊を連れ文豪の四畳半  浜田はるみ
灯下親し刀の鍔を文鎮に    長嶺千晶
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庄内神社にお詣りし、「涼しさやほの三か月の羽黒山」と芭蕉が詠んだ羽黒山へ向かう。刈田、稔田の混じる庄内平野を抜けていでは文化記念館へ

掛け稲架の海坂藩はこのあたり 上田禎子
ななかまど今日月山のよく見えて芹沢 芹
月山の宙を燕の帰るらむ   岩淵喜代子
月山も鳥海山も澄む日なり   長嶺千晶
花芒神の山へと靡くなり    長嶺千晶
棒掛けの人影に似る曼珠沙華  望月 遥

記念館から五重塔へ鳥居をくぐり石段を降り始める。周囲は350年から500年の杉木立。祓川の瀬音を聞きつつ五重塔へ向かう。ひっきりなしに通る人々の間で石段を修理している。修理し終わったしるしに小さな苗木?を立てておく。これだけの参拝者がいるのだから階段もさぞ傷むことであろう。石段には文様が33あり薄れているが、盃、瓢箪、天狗、山、瓜などを見つけた。爺杉に感嘆し、失われてしまった婆杉を思う。五重塔でばったを捕まえる。雪の中の塔も大変美しいそうである。

石段の絵文字をさがす雁のころ 望月 遥
石段に人湧くごとし秋日和   上田禎子
五重塔秋の翳りの中に立つ   望月 遥
かりんの実五重の塔にひと転げ 芹沢 芹
神杉の六百本に雁渡る     牧野洋子
神杉のただ中に覚め露けしや 武井 伸子
山がけの道に這ひ出す蝸牛  武井 伸子 

いでは会館に戻り、羽黒山三山神社へ。三神合祭殿の茅葺屋根の厚さに驚く。中に入ると天狗の面などが掛けてある。三神合祭殿の中に案内され、「金併の拝戴」を受けて厳かな気持になる。

初鴨を眠らせ水の昏れんとす  長嶺千晶
ふいに背を鈴に祓わる菊日和  上田禎子
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巫女さんに付き添われ宿舎である斎館へ。部屋からは遥かに鶴岡市街、庄内平野、島海山が見え、夕日が木の間に透けている。
夕食は山菜ばかりでなくて、かれいの塩焼きやはたはたのしょっつる鍋もある。あけびの実や種、もってのほかの酢のもの、いたどりの胡麻和えなどと普段食べられないものをいただく。満腹してこの後の前夜祭が心配になる。

枝豆を禰宜と食べゐる羽黒山 岩淵喜代子
色鳥や斎館にある勅使の間  岩淵喜代子
宿坊の刻ゆるやかにつづれさせ 芹沢 芹
鳥海山やもつてのほかの菊なます望月 遥

夕食のあと、斎館で行われる前夜祭の大会に参加。嘱目の2句を出す。ににんから入選者続出。会場にはトリカブトや姥百合の実などが生けられていた。
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終わってから部屋へ。同宿の地元の女性からいろいろと羽黒山の話を聞く。1度は泊まりたかったのだが、近くで泊まる機会がなく、ようやくとのこと。同年輩か少し年上かもしれない。とてももの知り。鶴岡に嫁して50年とか。羽黒山のことから湯の浜温泉のどこに泊まるか、女将さんはどんな人とか、勇壮な炎の八朔祭りの様子、歴史博物館、冬の気候、道路、防雪柵、陸松島、方言など、秋の夜長に飽きずに聞いた。お殿さまの、維新の時の開墾のことも。地元に住んでいるお殿さまは少ないそうで、そのお1人だそうである。鶴岡は言葉使いで士族生まれということがすぐ分かるそうだ。話す言葉の語尾がなう?のう?と優しくひびく。

2日目(10月3日)
朝食は精料理。いんげんの胡麻和えなどとても美味しかった。朝食後、急遽、歴史博物館へ。廃仏棄釈にあった沢山の仏像、芭蕉の書状、山伏関連のもの、とても見きれず、いつかまた訪ねなくてはと思った。

いよいよ奥の細道羽黒山全国俳句大会へ。
会場はいでは文化会館。兼題と題詠のここでもににんは好成績を納めた。兼題2句は当季雑詠、当日の出句は2句で、題は鶺鴒、新米、そして嘱目句。
子供の部もあり、表彰を受けた小学生や中学生は、選者の岩淵喜代子氏と細谷亮々氏と握手し壇上を降りていった。
大会終了後、湯の浜温泉へ。修行者は出羽三山での後ここで憩うのだそうだ。日本海に面し、夕日の名所だ。夜は海の幸の夕食に女将の湯の浜音頭と踊り、地酒のどぶろくも飲み楽しい宴であった。

流木の影となるまで茶立虫  岩淵喜代子
鳥は目で追へぬ速さや秋の浜 岩淵喜代子

3日目(10月4日)
翌朝は曇り。旅館の外には朝市。朝食の後に、海月で人気の加茂水族館へ出かける。朝早いのにもう団体とぶつかる。先に地下の海月を見に。不思議な世界である。もう見とれるほか仕方がなかった。係の方が水槽の中へホースを入れて塵のような糞などをとっている。夢のようではあるが、やはり生きものと妙に感心。儚い夢のような海月の後に、1階に戻ると巨大な章魚が水槽の壁に張り付いていて、1匹ならず2匹も。あまり動かず。でも、ある人が寄ると動いた。きっと好かれているにちがいないとみんなに笑われる。
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芭蕉が「かたられぬ湯殿にぬらす袂かな」と詠んだ湯殿山へ向かう。途中から雨になり、湯殿山の参籠所で傘を借りてから神社へ。ご神体へお参りする前に裸足になり、ご神湯が流れるご神体を上って御滝の上に詣でまた同じ道を帰ってきた。ご神湯は触れるた足をひっこめるような熱さのところもあり、飲んでみたら、少し塩からかった。思わず塩守りを買ってしまった。周囲の山々は紅葉が始まりつつあり、10日もすれば初雪もありそうだとのこと。昼食は参籠所で精進料理をいただく。
緑色のお蕎麦が食べるのにもったいないほど美しい。山菜料理にいろいろと説明を伺いながら舌鼓を打った。
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大雨の中、湯殿山注連寺へ向かう。途中土砂崩れのあったところを通る。即身仏のお寺として知られている。森敦の「月山」の舞台でもあるが、正直にいえば、人間であるのでとても怖い。天井の絵がよかった。

見えざるが故の神の座木の実降る芹沢 芹
湯殿山霧に沈みて語らざる  浜田はるみ
沢駆けの行者に山の霧すさぶ  芹沢 芹

なお、大会のににんの仲間たちの結果は次のようである。
第52回羽黒山全国俳句大会前夜祭
選者 岩淵喜代子選 
特選
神杉の底まで秋の澄みにけり  長嶺千晶
佳作
案内する巫女の袴に秋夕焼け  牧野洋子
松浦俊介選
秀逸
案内する巫女の袴に秋夕焼け  牧野洋子
細谷喨々選
佳作
どの道も山へとつづく稲の波  武井伸子
阿部月山子選
秀逸
神杉の底まで秋の澄みにけり  長嶺千晶
三井量光選
秀逸
金秋の垂直に落つ須賀の滝   望月 遥

全国大会 
席題 新米、鶺鴒、嘱目
岩淵喜代子選
特選
せきれいや陸松島を遥かより  望月 遥
秀逸
橡の実の落ちしところで光りけり 武井伸子
細谷喨々選
秀逸
ふしくれの手の中にある今年米 牧野洋子
佳作
鶺鴒の一閃夕日こぼしけり   武井伸子
本大会
岩淵喜代子選
佳作
雀らに野の末枯れの始まりぬ  長嶺千晶
濡れながら生れし仔牛や星流る 武井伸子

今回の旅は奥の細道羽黒山全国俳句大会に選者になられた岩淵代表のもとに七名のものが参加し、お山の霊気を浴びて素晴らしい時を過ごすことができた。過去を抜け出て生まれ変わったような清々しさを得て帰った感じである。そして大会の主催者の出羽三山神社のならびに、いでは文化会館の方々に大変温かいもてなしを受けた。
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(上田禎子記)
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by basyou-ninin | 2011-01-03 15:04 | 俳句

深川吟行

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第十二回の関口芭蕉庵に続いて、再び芭蕉を訪ねることにした。俳人にとっては深川は一度は訪れなければならない聖地である。ここに芭蕉は庵を結び、三十一歳(一六七四)から五十一歳(一六九四)で亡くなるまで住んだ。三回ほど庵は建て替えられたが、その間に俳諧が完成された。
今回は芭蕉庵界隈を巡ったが、現代の深川に江戸の面影はあまり見ることができない。深川の町よりも清澄庭園の方へ気持ちが傾いてしまった。ともかくも地下鉄の森下駅で待ち合わせて、行きやすい道順で巡る。朝は怪しかったお天気も次第によくなってきていた。

まずは要津寺を訪れたが、住宅街の分かりにくい場所にあり、少し探し廻る。入口のすぐ右手に雪中庵関係の石碑群が並んでいる。天明期に雪中庵三世、大島蓼太が、この寺の門前に芭蕉庵を再興した。

嵐雪の寺の空なる花石榴    長嶺千晶
玄関に目高の泳ぐ鉢のあり   上田禎子

a0090198_9354183.jpg要津寺から十五分ほど歩いて芭蕉記念館へ。深川は平らなところとつくづく思った。自転車が家々の前に置かれている。坂の多い街に住んでいるとこんなところが珍しい。道々さまざまな草花が植えられ、5,6寸にも伸びた稲がそよいでいるプランターがいくつも並べられ、さながらミニ植田だ。
江東区芭蕉記念館は隅田川からその「笠」の屋根を見ることができる。館には芭蕉の短冊、書簡、蕪村や杉風が描いた芭蕉の像などが展示され、また、当時の歩くときに身に付けていた、衣服、笠、脚絆、手甲なども見本としてあり、当時の旅の様子を偲ぶこともできる。蛸壺も置いてある。

夏帽子ぞろぞろ芭蕉記念館   山田紗也
青芭蕉記念館とは暗きもの  岩淵喜代子
冷房を知らぬ芭蕉の茶人帽   芹沢 芹
蛸壺で人と逢いきし昼寝覚    上田禎子

記念館を出て分館である上記の写真の芭蕉庵史跡展望庭園へ。清州橋から新大橋まで眺められる。庭園の小さな池に金魚がいて、日差しをさけ暗い穴に潜み、人声に一匹でてきたら次々にでてきて八匹くらい。また、すぐに隠れてしまふ。たまに出てくる。しばらくみんな覗き込んでいた。

江東は橋多き町心太       辻田 明
端坐する翁の像や夏燕     望月 遥
橋一つ二つと数へ夏の雲    芹沢 芹
炎帝に仕へ航跡真白なる    長嶺千晶

展望庭園の石段を降りると、その前の家に木賊があおあおと横一列に並んでいた。たしか季語は冬でなかったかなとみんなで言い合う。そばに小さな正木稲荷神社があり、賽銭箱の前に江戸名所図会が飾られていた。それからすぐに芭蕉庵跡といわれている芭蕉稲荷神社がり、三坪ほどで狭い。「古池や」の句やこの庵の由来の説明書きがある。その中に箱庭があり、年配の人が説明する。

三十年経し箱庭に坐りこむ   松浦 健
箱庭の中の日月水の音     芹沢 芹
鴨足草芭蕉稲荷の石蛙     望月 遥
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萬年橋のたもとに大きな欅が緑陰を作っている。もう、この頃は日差しが強くなり暑い。そういえば、今日は夏至と思いだす。

満潮の紫陽花色の小名木川  岩淵喜代子 
芭蕉が禅を学んだ仏頂和尚の寄寓していた臨川寺へ。入口の左手には「芭蕉墨直しの碑」「芭蕉由緒の碑」「玄武仏碑」などあり。いづれも復元されたものである。深川は関東大震災、東京大空襲などで多くのものが失われた。ちょうどお昼時となり、句会場所の清澄庭園に行く。句会までばらばらになり池を眺めたりして昼食をとる。

紫陽花の奥に答のあるごとし   松浦 健 
蛇眠る人はこの世を過ぎゆくも  松浦 健
手を伸べて亀と遊べる黒日傘   長嶺千晶
青鷺の喉に揺れゐる水かげろふ 武井伸子
梅雨蝶の水の面より湧き出づる  武井伸子
四阿は風の交はる夏燕      辻田 明
一瞬にさざ波光る通し鴨     辻田 明
菖蒲田の畦をくづせる水の嵩   望月 遥
水鶏笛悼みの音を秘めゐたり   望月 遥
飛石の少し濡れをり花くちなし  山田紗也
青鷺を眺む男の耳飾り      上田禎子
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涼亭で一時から句会である。人数の割には広々とそして本当に涼風が通る。

釣殿の水陽炎に酔ふごとし    松浦 健
背水の陣のごとくに泉殿    岩淵喜代子
釣殿に極楽よりの風きたる    芹沢 芹
水かげろふ軒に宿して泉殿    武井伸子
釣殿にぐるりと青き風のあり   山田紗也
涼亭のガラス障子の透きとおり  上田禎子
芥さへ波のきらめき泉殿     長嶺千晶
三方を水寄せてくる夏座敷    武井伸子
こころとは体の何処に水羊羹   辻田 明

まだまだ見るところがあったのだが、またの機会になった。 
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                         文・写真上田禎子

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by basyou-ninin | 2009-06-20 08:55 | 俳句

関口芭蕉庵

関口芭蕉庵吟行           2009年4月18日
今回は関口芭蕉庵とその界隈である。芭蕉が延宝五年(三十四歳)から同八年(三十七歳)まで神田上水の改修工事に携わり、この地にある竜隠庵(りゅうげあん)に住んだので、関口芭蕉庵と呼んで大正十五年に東京府の指定史蹟に編入された。現在は神田上水はなく、江戸川のみである。
関口芭蕉庵は、神田川(江戸川)沿いにあり、江戸川橋から西へ約一キロの新江戸川公園との間にある。コースは江戸川橋から歩き、水神社、新江戸川公園とまわり最後に芭蕉庵へ。普通は順序だてて辿ったコースどおりに書くのだが、ここでは、目的の関口芭蕉庵から書こうと思う。以下芭蕉庵とよぶことにする。
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芭蕉庵の正門は桜祭り以外は閉ぢてをり、この日は屋根に猫が眠っていた。句会の後に、四時間後だったが、まだそこにいたのと驚いた。庵には横の胸突坂の通用門から入ることになっている。芭蕉庵は「目白崖下にあり」と「江戸名所図絵」に記されているように、崖を背にしてをり、門の中すぐに芭蕉庵という建物があり、庭には句碑、芭蕉塚、芭蕉堂、瓢箪池などが木々や草花とともにうまく配置されている。吟行の材料には事欠かない。和室が句会場で、この芭蕉像がある。障子の光が柔らかい。
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春惜しむ座して小さき芭蕉像    芹沢 芹
聞こゆるは水音ばかり著我の花   芹沢 芹
明るさの中の静けさ著我咲けり   芹沢 芹
牡丹や水音のして芭蕉庵      上田禎子
白山吹ひょうたん池に小さき橋   上田禎子

芭蕉の「古池の」句碑のそばを抜け、さみだれ塚へ。碑の表面には「芭蕉翁之墓」とあり、芭蕉の句「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の真蹟を埋めている。翁はさみだれの松を背景とする、一面の青々とした早稲田田圃を琵琶湖に見立て、その風光を愛したために、後の俳人たちが墓とした。芭蕉翁関東七墓の一つ。
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句碑までのプロムナードや蕗の風  牧野洋子
木洩れ日やさみだれ塚へ春帽子   上田禎子

地獄の釜の蓋という名前に似合わないスミレのような薄紫の草花にみんな足を止める。

磴ごとに地獄の釜の蓋ふさぐ    松浦 健
聞きてよりいよよ地獄の釜の蓋  岩淵喜代子
立ちどまる地獄の釜の蓋の前    望月 遥

さみだれ塚の上の芭蕉堂へ。そばに古木の大銀杏があり、幹から太い気根、「垂乳根」が文字通りさがり、その奇妙さに目をみはる。そして竹林へ。竹の下一面に著我が咲いていた。

竹皮を脱ぐと叫びてゐたりけり   松浦 健
竹落葉芭蕉の頃の空の青      芹沢 芹
筍の獣のごとき皮光る       辻田 明
垂乳根の一つは太し囀れり     牧野洋子
雲流れ筍のごぼと突き出して    牧野洋子
筍の伸びきってゐる鬼門かな    望月 遥

神田川に沿って
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有楽町線の江戸川橋から歩く。川沿いは公園で桜が植えられてをり、お花見でも有名だ。

さくらしべ降るたび水のうごきけり岩淵喜代子
桜蕊ふるふる街の音が降る    岩淵喜代子
葉桜の空があそび場雀たち     松浦 健
おほかたは風の吹くまま花は葉に  山田紗也
葉桜の彩の深まる神田川      辻田 明

行く道は若葉若葉である。途中には「芭蕉が詠んだ植物たち」の案内板があり、それには梅、椿、桜、藤、竹、芭蕉、椎、萩、木槿、楓、茶、柿、と十二種が地図つきで書かれてている。さまざまな人々とすれ違う。同じように句帳を持った人たちも。なんとなくお互いに目をそらしたり。犬や猫をよく見かけた。
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花は葉に杖つくたびに鈴が鳴る 上田禎子
貴婦人のやうな犬行き風光る  辻田 明
春眠の猫梁にをり時計塔     武井伸子
春風にくるりくるりと猫の首    武井伸子
猫のゐるベンチに春の落葉かな 山田紗也

ふと誰かが立ち止まる。蚊母樹(いすのき)という珍しい名前に。茶色い瓢の実に。青い葉に膨れた部分があり、それを虫瘤(虫癭)といい、秋になると瓢の実になる。あおあおとした実を手に取ったり、また、乾いた実を吹く人もいてしばらく、そのまわりで大騒ぎをする。

ひょんの実の青葉のかげに膨らめる 松浦 健
戯れにひょんの笛吹く花の頃    山田紗也

神田上水取り入口に使用されていたものが復元された大洗堰跡に着く。周辺は、細長い石組の池になっていて、座るのにちょうどいい形に石が配置されているので、しばし休憩。
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蝌蚪はみな尾のあるかぎり尾を振れり 岩淵喜代子
それらしき手足みゆるか蝌蚪の水  望月 遥
重ねたる波紋の中のあめんぼう   望月 遥
おたまじゃくし大洗堰にみな屈む  上田禎子

椿山荘の中のおそばを食べに寄った人も。結婚式も多かったようである。足をのばして新江戸川公園で春の日を眩しみつつ昼食をとる。

山桜より淡き色五穀米       牧野洋子
花嫁のベールはためく鳥曇     武井伸子
シスターの帽子目深くチューリップ 武井伸子
窓際のプリムラ午後の喫茶店    山田紗也
春深し鳴かぬ亀の子捕えたる    辻田 明
椿落ち赤き波紋の広がりぬ     辻田 明
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                      文・写真上田禎子
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by basyou-ninin | 2009-04-18 07:33 | 俳句