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須賀川 松明あかし

              須賀川 松明あかし  2012.11.10~11

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                                    (須賀川観光協会HPより)
11月10日(土)  松明あかし

福島県須賀川市の「松明あかし」は毎年11月10日に行われる。
場所は須賀川市の翠ヶ丘公園・五老山。
伊達政宗が須賀川城を攻め落とした際、城も市中も猛火に包まれた。
その折亡くなった人々を弔う、420年続いてきたといわれる火の伝統行事だ。

しぐれ傘松明あかしに交はし合ふ    河邉幸行子
綿虫も入れて二人や道の奥       浜田はるみ   

下の写真は点火前の夕闇に包まれた松明。 
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この日は毎年、雨、強風、霙、雪などという、荒れた天候に見舞われる、と地元の人たちが口を揃えて言う。
今年も小雨が降り続き、ときに激しい雨になった。
雨に抗するかのように、長さ10メートル、重さ3トンもある大松明をはじめ、姫松明、本松明などが25本、さらに仕掛け松明などが次々に点火された。

小夜時雨松明太鼓の響くなり       河邉幸行子
山茶花や松明太鼓の撥捌き       牧野洋子 

特設ステージでは、力強い松明太鼓が打ち鳴らされる。
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松明は地元の商店街、中学、高校などの団体が、それぞれ競うように作る。
竹で骨組みを作り、阿武隈川でとれた萱を詰める。
昨年は大震災の影響で、全国から萱を集めたそうだ。
今年は厳正な検査を経て、地元の萱を詰めた。
それぞれの団体が松明通りを練り歩き、五老山へ運んでくる。
松明はクレーンで吊り上げられ、地面に立てるだけでも、たっぷり時間がかかる。

時雨るるや大松明の立ちあがる     河邉幸行子
松明も人も棒立ち冬の雨         牧野洋子
松明の一つ一つに冬の雨         牧野洋子
しぐるるや大松明のすくと立ち      武井伸子
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夕闇が次第に濃くなり、すっかり夜になった頃。
白装束の男たちが、竹の棒の先に布を巻き、灯油をしみこませた点火棒を掲げ、松明に立て掛けられた梯子を登っていく。そして、点火。
その光景は、天と地の間を、火の玉をもって統べるようで、ただもう圧倒されて見上げた。

初冬の天へ噴き出す火の柱      岩淵喜代子
松明の火柱となり冬に入る       河邉幸行子
短日や白き袴の影動く          牧野洋子  
松明に立ちて少年凛と冬        浜田はるみ
火に闇に染まず真冬の白袴      浜田はるみ
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火が燃えていく様は実に壮大。戦国の劫火に思いが至る。
燃え盛る松明の火照りが、見物する人の顔を赤々と照らし出した。

地に生えて終の鬼火となりにけり      浜田はるみ
松明の火柱となり冬に入る          河邉幸行子
骨片のごとき火の粉や松明あかし     武井伸子
松明あかし炎ひらりとはぐれゆく      武井伸子
松明の火柱崩れ冬に入る          牧野洋子 
松明あかし火照りの及ぶところまで    岩淵喜代子
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中学生、高校生の応援合戦もこの行事には欠かせない。
高三の応援団が、校歌や応援歌を歌った後に、「燃えろ、松明。松明、燃えろ」と炎への応援をしていた。
その声は卒業をひかえた自分たちへの、さらには震災に見舞われた須賀川の町への応援歌のようだった。

松明あかし影となりたる男たち      武井伸子
火柱の火照りのそばへ懐手        河邉幸行子
松明あかし祈りを空へ舞ひ上げて    浜田はるみ
松明あかし火の梟になれば果つ     岩淵喜代子
 
11月11日 芭蕉の足跡を訪ねて

翌日は、芭蕉が7泊8日滞在した須賀川の町を歩いた。
まずは芭蕉記念館へ。
芭蕉の句碑拓本、年表、「芭蕉翁須賀川に宿るところの図 」(渡辺光徳作)や「芭蕉翁三十六俳人像並双幅」(狩野永耕作)、碧梧桐の掛軸などの作品が展示されていた。
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次いで、おくのほそ道に、「此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有」と記されている、僧可伸の庵跡。
さらに芭蕉の句、「世の人の見つけぬ花や軒の栗」から命名した「軒の栗庭園」へ。ここは小公園になっていて、芭蕉、曾良、等躬の小さな石像があった。
風流の初やおくの田植うた」の句碑がある十念寺、芭蕉が宿をとった相楽等躬の菩提寺である長松院などを訪れた。
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いずれの寺も3・11の被害で本堂などが修復中だという。  
たまたま出会った地元の人は、「修復費に1億円以上もかかる」と、ためいき混じりに語ってくれた。 

町には廃屋もちらほら見受けられた。
営業を停止しているらしい飲食店、美容院などがあった。
そのうちのひとつ、寿司屋だった店の前面を覆っていたヒヨドリジョウゴの赤い実が美しかった。
前日の「松明あかし」のエネルギーを秘めつつ、町は冬日を浴びて静まり返っていた。

みちのくの鵯上戸実となりぬ       岩淵喜代子
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昼食のあとは、町から少し離れた「芹沢の滝」、旧陸羽海道の「一里塚」を廻り、阿武隈川を越えて「乙字ヶ滝」へ。等躬宅を辞した芭蕉が、郡山への途中に立ち寄った滝である。
川を渡るとき、朱塗りの美しい橋が見えた。
「本来はあの橋を行くのですが、震災以後、まだ復旧されていなくて通れないんです」とタクシーの運転手さん。
「風評被害もあるし、保障の対象からは外れた地域なんです」とも、教えてくれた。

乙字ヶ滝は前日の雨で水嵩が増し、白濁しつつ流れていた。
ここにも芭蕉句碑、「さみだれの滝降りうつむ水かさ哉」が建っていた。
芭蕉が見たのも雨のあとの乙字ヶ滝。
眼前に同じ景があると思うと、時空を超えて、ほんのわずか芭蕉に近づけた気がした。

冬の滝白き焔のごと流れ      武井伸子
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芭蕉の足跡を訪ねる1日だけの旅は、はからずも土地が被った震災のあとを目にする旅にもなった。
様々な思いと感慨を抱きつつ、芭蕉が7泊8日滞在した須賀川を立ち去った。

梟が啼く乗り遅れたる駅に        岩淵喜代子 


                     文・写真/武井伸子  
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by basyou-ninin | 2012-11-10 14:00

北川崎虫追い行事

 
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                   2012年7月24日  北川崎虫追い行事

 フーム! 「虫追い」「虫送り」、魅力的な言葉ですねぇ。虫(無視)出来ないですなぁ。それに「実盛送り」などという言葉もある。これは辞書にすぐ出て来る言葉なので調べてみると、実盛のわら人形を作り村中暴れさせて最後に村境で焼き捨てる行事のこと、何かワクワクしますね。
 斎藤 実盛(さいとう さねもり)、保元の乱、平治の乱においては義朝に従い
奮戦する。その後平氏に仕え、木曾義仲追討のため出陣するが、味方が総崩れとなる中、老齢の身を押し白髪を黒く染めて奮戦し、ついに討ち取られた。
 実盛が乗っていた馬が稲の切り株につまずいたところを討ち取られたために、実盛が稲を食い荒らす害虫(稲虫)になったとの言い伝えがある。そのため、稲虫(特にウンカ)は実盛虫とも呼ばれる。

 そんなわけで七月二十四日の北川崎虫追いの行事に「ににん」吟行の一員として参加させていてだきました。当日午後三時、東武伊勢崎線「せんげんだい」駅改札に集合。参加者は私を含め四人。さて四人そろったところで駅前のカフェに入って打ち合わせ。私は新人なので今回の吟行の報告を受け持つことになりましたが、無論、俳文調というわけにはね。タクシーで川崎神社に着いたのは四時過ぎ、まだ人もまばらでのんびり子供たちが太鼓を叩いて遊んでいました。

「虫追い」という行事をどのように捉えるか、大雑把に「エントロピーの解消」を目的とした祭りの一つとして考えてみたいのですが。エントロピーとは日々の生活のなかで溜まってしまうゴミとか澱のようなもので、そのために淀んでしまう暮らしを定期的にクリアする、リセットするための装置としての農耕儀礼、新しい時間を導入し生活を活性化させる農民の知恵。「実盛送り」に観られるようにスケープゴードを仕立てそこに害虫、疫病、さらには村に溜まっている怨念などを背負わせ一気に村の外へ送り出す。さて、お盆の行事などもそうですが、「お迎え」とか「送り」とか言う言葉が象徴するように内と外、その境界である村境、村境への曖昧で特殊な意識のあり方、いわゆる周縁、周縁性の持つ意味が私の頭の中に疑問符付きで浮上してきました。
 
虫追い行事の役員の方に尋ねたところ旧西方村を中心としたここの虫追い行事では、七つの字境に笹の葉の束を供える習慣が残っているとのこと。
 
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さて、しだいに人が集まって参りました。子供たちもたくさん集まりました。まだ空は明るいのですが六時半頃に行事が始まり氏子代表の方が拝礼、簡単な挨拶、紙コップでお神酒が振舞われるといよいよ松明に火が移されて松明の行列がおよそ二キロの道筋をゆっくり進み始めました。麦わらを竹の芯の周りに巻いた長さ一メートルから二メートルほどの松明を掲げた子供たちは楽しそうです。
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子の担ぐ虫追いの火の揺れこぼる     武井伸子

虫追いの火の行列の草に浮き      河邊幸行子




 次第に闇が迫って来て松明の列が生き生きと揺れながら進んで行きます。川崎神社の周辺は道路沿いに住宅が建ち並びしばらくしてやっと田畑が展望出来る道に差掛かりました。
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白鷺は首先き立てて虫送り     岩淵喜代子

虫送り麦藁焼け落ち闇に散る     高橋寛治     


 虫追いの役員の方の話では松明を作るのにおよそ三反の麦畑が必要だがそれもしだいに難しくなりつつあると言うことです。道の両側はすでに田んぼに変わり広々とした闇の中を進む松明の列は火の持つ焼き尽くし浄化する、神聖な力に就いて古代から人が抱いて来た畏敬の念を思い起こすに足る現代ではむしろ稀な機会ではないかなと私の目に写っていました。
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 わらの燃え尽きてポタッ、ポタッ、と地面に落ち煙る道を浄火の行列について行くとやがて松明の燃え残りなど集め火の手が一段と高く上がっている終点に着きました。

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ざっくばらん、淡々とした神事であって私は好感を持ちました。
                      (高橋寛治 写真 文)
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by basyou-ninin | 2012-07-24 11:23

安芸宮島・尾道・鞆の浦

         安芸宮島・尾道・鞆の浦  2011.5.21~23

21日 1日目 宮島

前日までの天気予報は雨だったが、この日は曇り。
西へ西へ、車窓に青田が続き、列車は東京を離れてゆく。
新幹線を広島で降り、在来線で宮島口へ。
フェリーで宮島に渡る。
旅館に落ち着いてから、まずは弥山へロープウェイで上る。
瀬戸内の島々が穏やかな海に点在している。
海風にきたえられているのか、島の揚羽蝶が目にもとまらぬ速さで飛んでいた。

夕方は遊船に乗る。
海から見る大鳥居が島を守っているようだった。
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遊船の隅に神棚共に揺れ    岩淵喜代子

声かけるたび遠ざかる袋角   武井伸子
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22日 2日目 尾道 

朝は厳島神社へ。
朱塗りの回廊がどこから見ても鮮やかだ。
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潮が満ちてきている。
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潮が引いた砂地を平家蟹がいっせいに、影のように動く。
砂穴を出たり入ったり。
回廊から眺めていると、飽きない。
白鷺が、少しずつ満ちてくる潮の中に立ち尽くしていた。
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思いがけず、「蘭陵王」の奉納舞を見ることができた。
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笙、篳篥、笛、太鼓。ときどきうぐいすが合奏する。
向うに大鳥居が見える。
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白鷺のやうに神官ひるがへり   上田禎子

夏うぐひす背筋通つてくるやうな   浜岡紀子
 

午後は尾道へ。
駅前の尾道ラーメンがおいしかった。
尾道は坂と石段の町。
まずはロープウェイで千光寺へ。
山は椎の花盛りだった。

下りはひたすら歩いてゆく。
千光寺山中腹の志賀直哉旧居に立ち寄る。
大正元年、東京を離れた直哉が、約1年間移り住んだ家。
棟割長屋の6畳、3畳、台所という質素な造り。
ここで『暗夜行路』の草稿が練られたという。
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文学記念室にも立ち寄り、寺めぐりをするように石段を降りてゆく。
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緑陰のただ中に、椅子とテーブルを置いた喫茶店を見つけて、ほっと一息つく。
敷地には白い鉄線や蔓薔薇が咲いていた。
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石段のひとつに蝸牛を発見。
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真昼間の殻の硬さよ蝸牛 長嶺千晶

二階井戸など、生活上の工夫の跡が今でも残っている坂道を下る。
途中、猫と出会う。
これはことに人懐っこい猫だった。
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平地に戻ってきて、商店街の入口にある林芙美子像に出会う。
旅鞄と日傘を傍らに、坐りこんでいる芙美子だ。
林芙美子は家族で各地を転々としたのち、大正5年に尾道に移り住んだ。
学業を終え上京するまでを、この坂と石段の町で過ごしたのだ。
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23日 3日目 鞆の浦 

尾道から福山へ出る。
在来線は青葉のなかを抜けてゆく。
バスで鞆の浦へ。
鞆の浦は小さな漁港。常夜燈が見える。
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往時を偲ぶ町並は小雨にしっとりと濡れていた。
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保命酒の元醸造元・太田家へ立ち寄ったり、鯛料理をいただいたり。
坂本龍馬にゆかりの「いろは丸展示館」にも立ち寄り、
鞆の浦という情趣たっぷりの町を堪能した。

鞆の浦をあとにし、バスで福山へ戻る。
福山から新幹線は東へ、東へ。
2泊3日の安芸への旅が終わった。

                 文・写真/武井伸子
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by basyou-ninin | 2011-05-21 10:00

小野竹喬展と北の丸公園桜吟行

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芭蕉にちなむ吟行燦燦の今回は、東京国立近代美術館の、小野竹喬展の鑑賞である。お目あては、竹喬の「奥の細道抄絵」と題した作品群である。最晩年である八七歳の折の作品で、芭蕉に深く傾倒していた竹喬の真髄が伝わってくる。
小野竹喬(1889~1979)は日本画家として風景画に新しい表現を模索したことで知られている。竹内栖鳳に師事し、この「奥の細道抄絵」を描きあげた昭和五一年には文化勲章を受章している。もともと一七歳のころから俳句に親しみ、松瀬青々のもとで句作に励んでいたという。竹喬が芭蕉について述べたつぎの言葉が印象深い。これが「奥の細道抄絵」を描く動機でもあった。
「私は若い頃から、芭蕉の文章なり、句から感受するものはまっとうな人間性であった。
芭蕉の真剣さは、私の心の奥深く沁み入るようにはいって来るのであった。私はいつかこの真剣さに取り組んでみたいと思うようになっていた。」
 『奥の細道』は、オリジナルな自然から芭蕉というフィルターを通して作りあげられたフィクションであり、さらにその『奥の細道』を踏まえ、現場に足を運んではいるものの、「奥の細道抄絵」は、竹喬の創作である。さらに、その絵から啓発されて、俳句を作ると一体どういうことになるのだろうか。

目玉焼きのやうな太陽夏隣   上田禎子
これは竹喬の「奥の細道抄絵・暑き日を海に入れたり最上川」から詠まれた。他にも、竹喬の風景画の中へ没入して、皆さまざまに句作したが、それぞれに一句として独立した景色を持つことに目を瞠る。

耕して空へ至れる隠岐の国  尾崎じゅん木
青空へ畑積み上げて鳥の恋    武井伸子
木の根開くわづかに水の動く音 尾崎じゅん木
ぽつかりと木の根開きたる春の雪  武井伸子

 前二句は竹喬の「南島四季のうち春秋」からの作であろうか。後二句は「宿雪」よりと思われる。絵を離れても風景が立ちあがってくる。

一木を春夕焼けの揺らしをり  岩淵喜代子
もの売りの婆に被さる花の山   武井伸子
潮風に黒牛引かれゆく遅日  尾崎じゅん木
はつなつの風や白帆の躍りだす  長嶺千晶

さらに、画面から、一歩距離を置いたアプローチで詠まれた句もある。

蝌蚪生まれては竹喬の茜雲   岩淵喜代子
竹喬の空と雲あり花万朶     上田禎子
セザンヌの絵に似て島の冬の丘  牧野洋子
画面より立ち上がる波鳥雲に   芹沢 芹

 直接自然からではなく、絵画作品などの二次的、三次的なものから想を得て句作するのは、季感をどこに求めるかが難しい。
おだやかな竹喬の画風に癒されて、花の千鳥ケ淵へと吟行の歩を進める。
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鳥騒ぐ千鳥ケ淵のさくら冷え   牧野洋子
ひと揺すりして花冷の紙袋    芹沢 芹
シスターの足首ほそき絮蒲公英 岩淵喜代子
花に逢ふ硝子のビルを抜けだして 長嶺千晶
花の下時計持たねば時忘る    上田禎子

 折しも桜は満開となり、蘇枋や海棠も競うように花をつけていた。北の丸公園内の武道館では、日大の入学式があるという。新入生の父兄が会場の前で二時間並ばされて待たされていた。今どきは、一人の新入生に対して、二人以上の父兄が入学式に出席するという。お濠端でもたくさんの新入生が桜を背景に父母に写真を撮られていた。人も花も、あふれんばかりにごったがえしている。その昔、若者の自由の象徴だった、ビートルズが来日した記念の武道館も、変わらないのは、屋根の上の金の宝珠の飾りだけなのだろうか。

突つき合ふひとかたまりの新入生 武井伸子
鴨ばかり数へて春を惜しみけり  芹沢 芹
足早に九段の坂の花の冷え    牧野洋子
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 四月八日はお釈迦様の生誕、花祭だったので、帰りがけに文京区の護国寺まで足を伸ばして、甘茶仏を拝もうということになった。

あかがねの身の濡れ通し甘茶仏  芹沢 芹
大寺や黄花の中の甘茶仏     牧野洋子

 護国寺は、徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって建立された、真言宗の格式の高い寺である。明治以降は、墓地の半分は皇族墓地とされ本堂をはじめ数々の重要文化財がある。
 句会を終えて、四時ごろ寺につくと、山門の前に花御堂が飾ってあり、中に小さな誕生仏が祀られ、甘茶をかけられるようになっていた。しかし、花御堂の花がすべて造花だったのは興ざめである。これは閉門間近なので山門の外に置かれる、簡便なものだったらしい。本堂まで上がっていくと、本物の花で作られた花御堂が片づけられた跡があった。
都会の、それも格式の高い寺には、閉門の時間が厳然とあるのである。境内の枝垂れ桜が花吹雪となって一斉に散りかかってきたのは桜吟行の終わりにふさわしいものだった。

花みちて花散りて身ひとつかな 尾崎じゅん木

(長嶺千晶 記)
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by basyou-ninin | 2010-04-08 00:07

「芭蕉 <奥の細道>からの贈りもの」展と日比谷公園吟行

 「芭蕉 <奥の細道>からの贈りもの」展と日比谷公園吟行   2009.10.17

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昨年秋の吟行は、東京・丸の内の出光美術館で開催された「芭蕉 <奥の細道>からの贈りもの」展を鑑賞、その後、近くの日比谷公園を歩いた。
松尾芭蕉(1644~94)が、生涯のうちに残した懐紙や短冊、弟子たちへの書状などを一堂に展示。
出光コレクションから真跡26点のほか、山形県内の各所蔵先、早稲田大学図書館、大垣市立図書館などから50余点の作品が集められた。
俳句は勿論、書においても、傑出した美しい書跡を見せていた芭蕉。
芭蕉の書風は、俳風の変化に呼応するかのように三段階に変化していったという。

第1期は「深川草庵の芭蕉」の頃で、延宝末・天和期から貞享前期(1680~85年頃)。
漢詩文調の超俗的な俳諧を書き記すのに、装飾的な書風を用い、華やかな印象を与える。
第2期は「漂白の詩人」として旅を続けた貞享後期から元禄4年前後(1687~91年頃)。
まるで「古筆」のようだと賞される書風で、平明な内容の句にふさわしい筆致と連綿の美しいバランスが見られる。
第3期は「軽み」を志向した元禄4年以降、元禄7年の没年まで(1691~94年)。
連綿がより軽快に、枯淡・洒脱な味わいを見せる。

左は「野をよこに」発句切入画 芭蕉筆 許六画

墨文字のときどき濃くて霜日和        岩淵喜代子
秋扇大師流てふ線と撥ね           辻田 明
火焔のごと撥ねる書ありて冬隣       武井伸子
芭蕉句のはるかなりけり秋の風       五十嵐孝子
芭蕉展色なき風にたたずみて        五十嵐孝子
秋一日お濠のもとの芭蕉展         小塩正子
行く秋や芭蕉を求め人の群れ        前田可寿子
堂々と書をしたためて冬支度         四宮暁子
美しき字を書く人を恋ふる秋         四宮暁子
 
翌日が最終日とあってか、かなりの賑わいを見せていた会場。
誰もが知っている句を、作者である芭蕉の筆跡で読むのだから、魅入られたように熱い視線を注ぐ人が多かった。
ことに出羽三山発句短冊の前には人だかりがして、肩越しの鑑賞。
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                 出羽三山発句短冊 松尾芭蕉

涼風やほの三か月の羽黒山      桃青
雲の峯いくつ崩れて月の山       桃青
かたられぬゆどのにぬらす袂かな   桃青

併設展は「仙崖」で、その句と絵はユーモアたっぷりの洒脱な味わいだった。

仙崖の座禅の蛙柳散る          辻田 明
仙崖に恋の句ありぬ秋の蘭        芹沢 芹
恋をする僧もありけり色鳥来        武井伸子

出光美術館を出て、近くの日比谷公園へ。
有楽門から入ろうとしたら、入口の交番近くに、思いがけず十月桜が咲いていた。

楽器置く十月桜咲く下に          岩淵喜代子
真中より切株朽ちる神の留守       岩淵喜代子
交番を横目に十月桜かな         望月 遥
冬近し石垣割りて木の根出づ       望月 遥
考える猫に秋風心字池          上田禎子
十月桜仰ぐ唇しんとして           芹沢 芹
 
江戸時代の日比谷見附跡、野面積みの石垣を見て、石垣の周囲にあったという壕を残した心字池へ。
そこからは皆、てんでに公園内の散策を楽しんだ。
ペリカン噴水のある花壇には、薔薇が咲きはじめていた。
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このあたりには猫が多く生息しているようで、日溜りに次々と姿を現した。
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青い実をたわわに実らせた鈴懸の大木や、咲きこぼれる金木犀、黄葉には少し早い銀杏並木など、都心の真ん中の見事な樹木に秋の気配。
樹木の外側には、日比谷のビル群がぐるりと取り巻いている。
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石垣に佇む鳩や秋深し           新木孝介
銀杏のほのかに匂ふ木陰かな        新木孝介
曇天の噴水かなし秋深し          新木孝介
水匂ふ遠くのバラを思ふ時         上田禎子
からつぽの野外ステージ銀杏の実      上田禎子
すずかけの青実や耳に飾りたし        望月 遥
落葉踏む音して猫のちりぢりに        武井伸子
小鳥来るむかし陸軍連兵場          前田可寿子
秋深し素通りしたる見附跡          前田可寿子
銀杏を拾ふ彼方を水流れ          芹沢 芹
散らばつて秋の雀や秋の庭         山田紗也
大木に寄りかかりたる秋思かな       山田紗也
コスモスの風を忘れし真昼かな       山田紗也
黄落や渇きし雀足許に            青木華子
金木犀どこにあるのと問いかけて      五十嵐孝子
紅葉狩集いし公園の騒音や         小塩正子
道の端金木犀のこぼれをり         小塩正子
ハロウインのかぼちやの中のがらんどう   四宮暁子

園内には南太平洋の島でお金として使われていた石の貨幣や南極の石などが置かれていた。

石貨てふ石の穴から覗く秋        前田可寿子
鳥渡る大きな石貨据えられて       青木華子
南極の石に手を触れ秋惜しむ       青木華子
神無月遊んでみたき壺の中        辻田 明
 
芭蕉の筆蹟にはじまり、秋の公園をめぐる吟行の句会場は、巣鴨のレトロな喫茶店。
いかにも昭和っぽい雰囲気の喫茶店で、この日の句会は終えた。
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                   文・写真/武井 伸子


 
    
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by basyou-ninin | 2009-10-17 10:00

飛島・酒田・象潟吟行

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 7月3日から5日にかけて、ジェイアールの「大人の休日」の定額乗り放題のチケットを使って、青葉木菟の声を聞きにゆこうと、女五人の二泊三日の風狂の旅が始まった。まずは、飛島という山形県沖に浮かぶ島へ向かう。新幹線で新潟へ出て、乗り継いで酒田へ。酒田の港から船でおよそ一時間半の行程である。
     梅 雨晴や割引切符握りしめ   上田禎子
 車中が長いので、帳面回しをしながら、ウォーミングアップをする。前の人の五七五の句に、その心を汲みながら、五七五の句を付けて、歌仙のように巻いてゆく。折しも、車窓には、米どころ新潟平野の、一面の青田波が美しく、平野にすぐ山が迫っている風景に心を奪われる。さらに沖には、うっすらと、佐渡が横たわり、炎天の波のきらめきの中に、奇岩がそびえたつ珍しい風景が続く。

  婆ひとり腰に手をあて青田風   武井伸子
   夏草や鉄路の錆にしがみつき   牧野洋子
  立葵海見るときは山を背に   岩淵喜代子

 飛島へ渡る定期船は平日は一日一便である。トビシマカンゾウなどの珍しい植物の宝庫で、 沖合には海猫の塒になっている小島がある。 海猫の数の方が島民より多いかもしれない。  
     
    定期船海猫の高鳴き嗤ふごと   長嶺千晶 
    花となるパセリや飛島診療所  岩淵喜代子
   海猫や島に一つの理髪店     上田禎子

 ここは、齋藤慎爾氏の故郷で、船着き場の公園に氏の「梟や闇のはじめは白に似て」の句碑が建っている。船着き場は飛魚を焼く匂いがあふれ、これをだしの素にするという。夫が釣ってきた飛魚を捌いて焼くのは妻の仕事である。沖には、鳥海山が浮かびあがり、この平家の落人の裔の漁業の島を、見守っているようだ。

     敷網の飛魚外し妻へ投ぐ       上田禎子
     飛魚を焼く七輪に女の輪       長嶺千晶
     運ばれてきたる鮑の月色に    岩淵喜代子
     消灯は九時なり島の立葵     岩淵喜代子
     落人の島は眠りに夏の月       武井伸子
     一島の眠りこけたる青葉木菟    武井伸子

 食べきれないほどの、鮑、荒布等々の海の幸を夕食にいただき、句会をどうしようか、などと言っているうちに、宴会は九時までに終わらせてくださいと島内放送が流れる。旅の疲れもあって、みな早々と九時に寝てしまう。青葉木菟の声は定かではなかった。

      たぶの木に椨の闇あり青葉木菟  岩淵喜代子
       椨の森浅黄斑蝶の透きとほる    長嶺千晶
      桜の実踏みつつ一山巡りたる     武井伸子
      昼顔の伸びゆく飛島小学校      武井伸子

 翌朝は五時起床。港へ漁を終えた舟が帰ってくるのを見てから朝食後、椨の原生林を散策する。海岸のすぐ後ろは切り立った崖になり、その上には野菜畑が広がって、青菜の色がみずみずしい。入江には臨海学校の生徒たちが、水着姿で点呼されていた。今、島の人口は二七〇名ほどだという。自転車組と徒歩組に分かれて、ほぼ島を半周したのち、句会。さらに定期船を待って酒田へ。酒田の宿の食事が、また見事で、圧巻は岩牡蠣だった。これは夏季が旬という生牡蠣で、一口では食べきれない大きさと、味のまろやかさは、滋養そのものである。結局、三日の旅行で二キロも太ってしまった。後悔先に立たずである。 

   鐙屋の帳場に家訓蚊遣香    上田禎子
   柿の花蔵の扉の半開き      牧野洋子
   おばしまに青水無月の風吹けり 牧野洋子

 酒田には、西鶴の『日本永代蔵』にも記述がある鐙屋という昔の廻船問屋や、「本間様にはおよびはせが、せめてなりたや殿様に」と唄われ、殿様に貸し付けをするほど財力のあった豪商として名高い、本間家の旧居が保存されている。今は美術館ととなっている本間家の別荘も見学した。別荘は宮様もお泊りになったとか、庭園を吹いてくる涼風も心地よい。美術館には、伝芭蕉筆という書きつけや、肖像画があり、酒田が、芭蕉の「おくの細道」の旧跡であったことが偲ばれる。長山重行という武士の家と淵庵不玉という医者の家に芭蕉は泊まっているので、そこを尋ねようと、汗を拭きつつ歩いたが、長山家の跡は、焼き肉のファミリーレストランに、不玉の家の跡は、酒田市役所になっていて、「ここ」と矢印をした棒グイが立っていただけだった。
暑き日を海に入れたり最上川  芭蕉
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 せめて、最上川を見ようと日和山公園にむかう。ここは文学の散歩道として、たくさんの句碑が並ぶ。隣には映画「おくりびと」のロケに使われた建物もあり、今、酒田はちょっとした観光ブームである。公園から俯瞰した、最上川の河川敷には、造船所がひろがり、殺伐とした風景になっている。
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  象潟や雨に西施がねぶの花    芭蕉
 西施の面影を求めて、象潟に降り立つ。折から、一面に空は晴れわたり、 観光の為に植えられた合歓の若木 がところどころに花をつけている。芭蕉が泊まった蚶満寺へ。芭蕉像もまた新しいものである。象潟は地震によって隆起してしまい、九十九島と名付けられた。潟に浮かぶはずの小島は、青田の上の小山になってしまっていた。「象潟はうらむがごとし」とは、美女にたとえた芭蕉の弁だが、この変わりようは、まさに「うらむがごとし」であった。風狂の女五人旅は、ここに極まったのであった。

    花合歓や象潟の島数へをり     牧野洋子
    振り返る舟繋ぐ石に蟋蟀       牧野洋子
    象潟は松籟響く青田かな       長嶺千晶
                                   (長嶺千晶記)

 
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by basyou-ninin | 2009-07-03 16:41

田遊び吟行

                     田遊び吟行       2009.2.11

2月11日、板橋区の徳丸北野神社に出かけた。
毎年、同日に行われる北野神社の田遊びは、五穀豊穣、子孫繁栄を祈願する行事。
国の重要無形文化財に指定されている。新年の季語だ。
同社に伝わる縁起『武蔵国豊嶋郡徳丸郷天神宮紀』によると、995年に、京都の北野神社から天満宮を勧請した際に、その奉祝行事として「田阿曽美之祭(たあそびのまつり)」を行ったことが始まりと伝えられている。
神社本殿前に「もがり」と呼ばれる聖域を設け、中央に置かれた太鼓の皮を田んぼにみたてる。一年間の稲作作業を物真似の所作で演じ、今年の豊作を予祝し、子孫繁栄を願う。
 
開始時間の午後6時よりも早めに神社に到着。
境内の紅梅が満開だった。
別殿をのぞいてみると、田遊びに使う餅で作った鍬や小道具などが用意されていた。
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日が暮れるにつれて、舞台となる「もがり」が裸電球の灯りに浮き上がる。
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拝殿で行われていた祭典式がすむと、もがりには、田遊びを主導する大稲本、補佐役の小稲本、それに鍬取りが次々と上ってくる。十数人がもがりの上に勢ぞろい。
もがり下には演者の履物がびっしりと。
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静かにゆるやかに唱え言葉と所作がはじまる。
 よう、よなんぞうどの、よう
 町々をかぞえ候、かぞえ候、
 東の方に 一万町 一万町
 南の方に 一万町 一万町
と東西南北に中の町を加えて、五万町の田んぼが広がっている様を歌い上げる。
 
唱導の始め静かに春灯              芹沢 芹
かがり火の爆ぜて田遊び始まりぬ       芹沢 芹
田遊びのもがりの注連の少し揺れ       上田禎子
田遊びに聴く遠き世の節回し           上田禎子
夜焚火に口承の唄つづきをり           四宮暁子
田遊びや注連をゆらして神来たる        武井伸子
田遊びややる気なさげな人もおり        上河内岳夫
田遊びに江戸の時間の流れこみ        上河内岳夫

境内で焚かれているドラム缶の篝火が、炎を夜空へ舞い上げる。
この火はどんど火でもある。
境内には二本の大欅がたっていて、もがりを見下ろしている。

田遊びの山場となりて火を囃す         青木華子
田遊びを見下ろす欅大樹あり           大河内岳夫
どんど火にあほられてゐる夜の大樹      武井伸子
田遊びの闇焼くための火を造り         岩淵喜代子
田遊びや餅でつくりし鍬負ひて          岩淵喜代子
田遊びのもがりの後ろ火屑とぶ         上田禎子

もがりでは、餅で作った鍬を担いで、田んぼの土をおこし、また田をならす所作を行う。
そのとき舞台上の田んぼは、中央にでんと据えられた太鼓である。
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牛の面をつけた牛役も登場。
大稲本と小稲本にひかれて田をならす所作を行う。
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ゆったりとした調子の歌が途絶えることなく続く。歌いながら、種がまかれる。
もがりを照らす照明に、蒔かれた種がきらきらと零れ落ちる。

田遊びを囲いて闇のきりもなし          岩淵喜代子
天地に田遊びの闇生まれそむ          岩淵喜代子
田の神を称ふ黒足袋床うちて          芹沢 芹
東京に残す田遊びささら鳴る           芹沢 芹
田遊びの扇子ふる手のごつごつと       上田禎子
牛役も着膨れもみな民と民            四宮暁子
着ぶくれの伸ばさるる手に酒わたる       四宮暁子
光りつつ田遊びの種飛びきたる         武井伸子
田遊びや闇に天地の潤みたる          武井伸子
田遊びの夜空に実る稲穂かな          武井伸子
田遊びや振舞い酒の舌に滲み         大河内岳夫

中休みには振舞い酒も出て、馥郁とした酒の香がもがりの周辺に漂った。
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途中、冷たい小雨が降ってきたが、いつの間にかそれも止んでいる。
舞台では、ふたたび田を起こしたのち、早乙女役の男児を太鼓の上に乗せ、夜空へ高く放り投げる。
稲の生育と子供の成長を祈願する所作である。
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田遊びや男の子を高く差し上げて       岩淵喜代子
五月女の頬つるつるに出番待つ        上田禎子
放り上げられし子どもの春たしか        四宮暁子

松明に導かれつつ現れたのは、「ひるまもち」と滑稽な人形の「よねぼう」。
よねぼうはどうやら巨大な男根を付けている模様。
人垣が二手に分かれ、もがりまでの道を踊りながらやってくる。
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その後、「獅子」、「駒」、「太郎次」と「安女」の夫婦、「破魔矢」と続く。
安女は妊婦姿。太郎次と抱き合う仕草をして、腰を振って五穀豊穣を祈る。
これらの演目は、男女の交合が稲の豊作を促すという、古代の感染呪術的な信仰の名残だという。
観客は大喝采。演者と観客との即興のやりとりも楽しい。
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舞台がもがりに戻ると、田の草をとり、田廻り、稲刈りと歌につれて所作が続く。
最後は田遊びの道具一式を太鼓の上に積み上げて、豊作を言祝ぐ。
手打ちをして、終了となる。
 よう、よなんぞうどの、よう
 稲むらつませたもう つみ候 (中略)
 徳丸おとな若い衆は、稲むらにかきをして、
 ねまつて目出度候
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田遊びが終り、駅へと向かう道で、今年は満月に近い月が夜空に出ていた。
昨年は三日月。どちらも美しい月である。
「よう よなんぞうどの よう」という呼びかけの声がいつまでも耳の底に残った。

田遊びやデジカメで追う暴れ馬          上河内岳夫
田遊びの獅子に噛まれてゐたるかな       青木華子
獅子役は校長先生かも知れず           四宮暁子
三日月は空の果(はたて)に御田祭        青木華子
田遊びの終りし冷えののぼり来る         青木華子
田遊びを終へて大きな月仰ぐ            芹沢 芹

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                     文・写真/武井 伸子
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by basyou-ninin | 2009-02-11 18:00

青梅吟行

吟行燦燦 第十回

  青梅吟行                     

        九月二十日
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 台風一過の一日、青梅吟行の行く先は
釜の淵公園である。岩淵喜代子先生以下、武井伸子、上田禎子、そして案内役の長嶺千晶が、青梅駅改札に十一時に集合した。
 まずは腹ごしらえを兼ねて、青梅市立美術館の喫茶店に立ち寄る。青梅駅からだらだらと道を曲がりながら下ってゆくと、千ヶ瀬バイパスに面して美術館が建っている。小島善太郎の油絵と、現代版画作品を中心としたコレクションで、池田満寿夫の版画などがあり、すでに懐かしい感じがする。建物はたいそう立派である。また、喫茶店は別棟になっているので、外から直接入ることができる。
 道々酔芙蓉の大きな木があり、白い花が野分晴れの青空に映ってとても美しかった。

   隆々と雲のゆくなり白芙蓉    伸子 

 ビーフシチューセット(1,260円)、カレーライスなどでお腹を満たして、いざ出発。この美術館の裏手にはすでに多摩川が流れており、釜の淵公園はその一角にある。
 もともと釜の淵とは、水底が深く、流れがゆるやかなところの意で、ここで多摩川が大きく、ほぼ90度、湾曲している。昨日、台風が過ぎたのにもかかわらず水の色は翠を帯びて美しい。

   秋光に架橋のはがね鮎の竿    禎子
   釣人の腰をあをあを秋の水     伸子
   釣糸を水さらひゆく天高し      千晶

 鋼鉄製の柳淵橋を渡ると、「河原にて白桃剥けば水過ぎゆく 森澄雄」の名句を思い起こさせるような、河原の風情である。河原へ降りてゆくと、鮎釣りの人が七、八名ほど、竿を立てたまま微動だにしない。今は落ち鮎のシーズンで、竿を下ろしておけば、日に十匹は釣れるという。写真のように三十センチにも及ぶ、まるで、ニジマスのような鮎が釣れていた。昔は大岩の影に雌鮎が集まるので、それを追って雄鮎が群れをなし、五十匹以上も集まったものだという。

   錆鮎の目の美しと少女言ふ     禎子
   落鮎の掌にひくひくと脈搏てり    伸子
   落鮎のざらざらとして掌にはねる  禎子

 釣り上げた落ち鮎を触らせてもらった実感の句である。そこここで、鮎を焼く煙が立ち上り、石を積み上げて炉にしては、バーベキューを楽しんでいる家族もあった。

  男きて火熾す河原いわし雲      伸子 
  石三つ寄せて炉となす新酒かな   喜代子

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 河原を楽しんでるのは人間ばかりではない。

  柴犬の浅瀬蹴散らす鱗雲     伸子
  流木を咥えし犬や出水川      千晶

 飼い主のご夫婦に連れられてきた犬が、ご主人が投げた流木を受け止めようと、水にはいっては、咥えてきて、また投げてもらっては、水を蹴散らして、と遊んでもらっていた。最後に流木を流れの中に見つけられずに、しょんぼりと岸へあがってきたのは、見ていてかわいそうなくらいだった。

真ん中に犬坐す夫婦秋深し    千晶                                  子らの声間遠になりて法師蝉   伸子
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 大気の爽やかさは、水辺にまさるものはない。河原から上がって、深い木立の中をはいってゆくと、水引草の紅、曼珠沙華の赤が暗い森の闇に、発光するようだ。

  曼珠沙華川音の中川流れ      喜代子
  ゆっくりと歩めば無音曼珠沙華   喜代子
  曼珠沙華過ぎゆく水をまなうらに  千晶

 木立の中には宮崎家住宅という移築した古民家をがあり、そこは藁屋根のために、毎日、囲炉裏をたいているという。縁先で休ませてもらうのにちょうど良い場所である。その眼下を多摩川が流れてゆくのである。そこには、鮎美橋という鋼鉄製の真白な吊り橋がかかっているのも景観を作っている。古民家の隣には、郷土博物館が建っている。すべて無料で見学できる。


  掌中に石文ぬくむ素秋かな     喜代子

 柳淵橋のたもとには、亜陶(あど)という喫茶店がある。あらかじめ頼んでおいたので、
2階のギャラリーになっている部屋を使わせてくれた。ケーキセット(650円)を皆で取る。ここが、今日の句会場である。お店のご厚意で、ファックスのコピーを使わせていただいたので、十句出しの吟行句と、五句出しの題詠句の二回の句会がほぼ、二時間でできた。題詠の題は次のとおりである。
「時・白・がたがた・落・離」

  離れては寄り合ふカヌーの黄と赤と    喜代子
  野分晴れカヌー落ちゆく水迅し       千晶
  落鮎の顎尖りたる真昼かな         伸子
  流木になるまでの時鳥渡る         禎子
  月射すや水離れたる流木に        千晶
  がたがたの木の椅子に降る水木の実   禎子
  どんぐりの踏みしだかるる白さかな    千晶
  川音の時浸しゆく曼珠沙華         伸子

 折から、カヌーの練習も始まって、川音にも活気がみなぎってきた。四時頃、川を後にして、坂を上りきった、「大柳」のバス停で、二駅ほどバスにのり、青梅駅に到着した。自然に触れ合えた、心やすらぐ吟行会であった。           (長嶺千晶記)
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by basyou-ninin | 2008-09-20 16:19

阿仏「うたゝね」を詠む

  阿仏「うたゝね」を詠む        木津直人


彼のこころが冷めてゆく。
  ものおもふ月に階段にじみつつ

あんなに愛しあったのに。
  夢うつゝとも朝礼の鰯雲

西山の紅葉を見てきました。私は十九です。
  あくがるゝ心を止めて遠紅葉

久しぶりの彼の手紙、彼の訪問!
  帰りても秋の戦ぎのしとねかな

彼の奥様が亡くなり、もういちど彼に会う。そして、それきり。
  かのところ進入禁止秋遍路

心がこわれてゆく。
  師走にもなりぬ灯りし駅見えぬ

ある夜、私は髪をきりおとす。
  春の床のどやかなるに鋏置く

深夜、私は西の山をめざし、ひそかに門を出る。
  たゞ今も出でぬべきかは春の闇

雨が激しく降りだす。泥にまみれて、夢と現実の区別もつかない。めざす尼寺は見つからない。
  ほのぼのと春のボタンが落ちてゐて

夜明け、私は桂の里人たちに見つけられる。
「どうしたの、あなたは! 誰かから逃げて来たの? 口論をして来たの? いったいどうしてこんな雨のなかを、この山の中にやって来たの! どこから来て、どこに行こうとしているの。ああひどい姿で!」
私は答える。
「諍いも口論もしていません。ただ思うことあって深夜に出て来たのですが、雨もひどくなり山道にも迷って、来た方もわからず行く先も見えず、死ぬような気持ちがして、ここにたどりついたばかりです。どうか私を法華山寺へ連れていってください」
彼女たちは私の手を引いて歩きだす。
  松風のあらあらしきも柳絮らと

私は出家する。尼君たちは皆親切だ。朝夕の勤めを欠かさず、生きることの罪をきよめ、仏の道を歩むことを、今の私は喜びとする。それにしても私はなんと思いきったことをしたことだろう。
  男子整列もの狂をしき春の爪

それでも私の心は迷いつづける。なつかしい彼のことで――。私はこれまでのこと、つまりこの日記をひそかに書きはじめる。
  ものをのみ思ふ機械か夕霞む

何気ない用事をよそおい、彼に手紙を出してみる。やがて返ってきたのは、冷ややかな社交辞令だけ。
  十字架が雨のなごりに目借時

私は病に伏し、東山の五条に移される。そのとき偶然彼の車とすれ違う。そしてそれが最後となった。
  春服や命あやうきものに風

夏。私は恢復し、自邸に戻される。そして秋。
  十六夜の光を待てる登山小屋

私の心は虚ろ。
  棹売りのはかなく過ぎて秋の虹

私は養父のすすめに従い、遠江にむけて旅立つことになった。涙があふれる。
  くだるべき日に紅葉の鼓笛隊

洲俣(すのまた)という所。長良川の渡しで男たちが言い争っている。誰かが川に落ちる。水しぶき。何と恐ろしい、だが何とわくわくする体験だろう!
  野も山もはるばると行け秋の旅

鳴海の浦の干潟にならぶ、塩煮の釜のおもしろさ。浜名の浦のひろがり。私の心は癒されてゆく。
  大きなる川より秋の和音かな

養父の家での暮らしがはじまる。でも私の心は京の空にある。気まぐれで、そのくせ思いこむと後先もわからず飛びだして、失敗ばかりしている、こんな私のことを彼はどう思っているのだろう。
  こゝかしこ初霜おりて点眼す

乳母が重病とのしらせに、私は帰り支度をはじめる。春まで待つようにと、周囲の者たちは諭すのだが、私の決心は変わらない。やがて供の者が集められる。それにしても、私のこの厄介な性格はどうにかならないものだろうか。
  霜月や現在地なぜ表示せぬ

不破の関守が怖い目をして見ている。だがここから京は、もう遠くはないのだ。
  このたびは耳すましけり軒氷柱

比叡山の雲になつかしさがこみあげる。私は乳母のもとに駆けつける。
  燻製に雨ふりいでゝ枯野めく

私のこの日記を、いつか誰かが読むことがあるだろうか。
  そのゝちは身を朝礼の冬空に


(笠間書院版・次田香澄・渡辺静子校注『うたゝね・竹むきが記』を用い、各二十四節の冒頭か、それに近い言葉を句のなかに折りこみました。たとえば第一節は「ものおもふ事のなぐさむにはあらねども、」と始まる、その「ものおもふ」を。)

                  * * *

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「うたゝね」の作者、のちの「十六夜日記」の作者である阿仏(あぶつ・阿仏尼・安嘉門院四条)は下級貴族の娘で、女房として仕えるうちに高位の男性と関係をもち、失恋します。このとき阿仏十八~九歳(一説では三十歳前後)、鎌倉時代中期、西暦1243年前後の出来事と考えられます。

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阿仏の一族は衣笠一帯に住み、出仕先もその域内にあったと考えられます。彼女が尼寺へ向かった経路は定かではありませんが、西へ進んで嵐山で桂川を渡り、法輪寺の前を過ぎて南下、そこで桂の里人に助けられたようです。その後たどり着いた尼寺も、法華山寺、善妙寺など諸説ありますが、現在の松尾大社のあたりの寺の一つであったようです。
 とくに桂の里人との出会いはこの作品の白眉ともいえるので、原文を紹介してみます。
『これや桂の里の人ならんと見ゆるに、ただ歩みに歩みよりて、「これはなに人ぞ。あな心憂(う)。御前(まへ)は人の手をにげ出で給ふか。また口論(くちろん)などをし給ひたりけるにか。なにゆへかゝる大雨にふられて、この山なかへは出で給ひぬるぞ。いづくよりいづくをさしておはするぞ。あやし、あやし」とさへづる。なにといふ心にか、舌をたびたび鳴らして、「あないとほし、あないとほし」とくりかへし言ふぞうれしかりける。しきりに身の有様をたづぬれば、「これは人を恨むるにもあらず。また口論とかやをもせず。たゞ思ふことありて、この山の奥にたづぬべきことありて、夜ぶかく出でつれど、雨もおびたゝたしく、山路さへまどひて、来しかたもおぼえず行くさきもえしらず、死ぬべき心地さへすれば、こゝに寄りゐたる也。おなじくはそのあたりまでみち引き給ひてんや」といへば、いよいよいとほしがりて、手を引(ひ)かへてみちびく情のふかさぞ、仏の御しるべにやとまで嬉しくありがたかりける。』
「うたゝね」は源氏物語や伊勢物語などを手本とした、実験的な物語作品でもあるようですが、虚構では描きにくい、いきいきした部分が含まれるために、仮に阿仏本人による再構成があったとしても、彼女の青春の実体験が元になっていると考えられています。

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                 (地図:新詳高等地図 帝国書院1972年)
 

後半は旅のなかで阿仏が次第に元気をとりもどしてゆく様が描かれます。
「洲俣(すのまた)の渡し」は長良川を越える交通の要衝で、現在の墨俣町。本来の東海道は南の鈴鹿越えを取りますが、鎌倉中期のこの頃はこの美濃路のルートが東海道の本道に指定されていました。
 浜名湖の湖口は砂州でつながっており、阿仏はその風景を「おもしろき所なりける」と楽しんでいます。のちに戦国時代の地震と津波でこの砂州は切られ、浜名湖は海とつながります。
 彼女の目的地である養父の任地が、遠江のどこであったかは不明ですが、浜名湖を越えたあたりですから、現在の浜松市かも知れません。
 阿仏はその後還俗と再出家をし、奈良や、京都の松尾周辺の寺とかかわりを持ちながら、出会った男性との間の子を困窮のなかに育て、のち藤原為家の妻となってからは歌名をあげます。
 阿仏の墓とされるものは鎌倉と京都にあります。

(参考:田渕句美子「阿仏尼とその時代」臨川書店)
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by basyou-ninin | 2008-09-01 10:00

夏季合宿 会津吟行

             夏季合宿 会津吟行     2008.6.19~21

 1日目 
東京駅から1時間余り、東北新幹線の新白河駅で下車。ここから送迎バスで30分。山道を幾曲がりもして、緑滴る山中に分け入り、バスは福島羽鳥湖高原、レジーナの森に着く。
総勢6名、ににん合宿のはじまりだ。

宿泊施設とおぼしき方向に、半球体のドームが現れた。橅の森の中に建つコテージだ。たった今、宇宙船が不時着したかのようにも見える。
コテージに入り、ほっと一息。ベッドに寝転ぶと、天窓の硝子に木々の葉が揺れているのが見える。
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早速、敷地内の湖畔やハーブ園を散策。曇天ではあったが、空は夕刻まで持ちこたえた。
夕食までに、嘱目十句、席題十句。
 
コテージに番号ふられ落し文            岩淵喜代子
河童忌や部屋のひとりは茶を淹れる        岩淵喜代子
雨音をかたしと思ふパリー祭            岩淵喜代子
白川の関さみだれを分かつかな          長嶺千晶
覗くたび谷底揺るる緑雨かな            長嶺千晶
夏の森抜け来て髪を梳る               長嶺千晶
コテージの丸き天窓緑雨打つ            平林恵子
地より湧く森の匂ひよ六月よ             平林恵子
赤松の幹まで濡れず明易し             平林恵子
駅弁の鮭の厚切り信長忌              芹沢 芹
しんとして岩場の鎖夏つばめ            芹沢 芹
水無月の大樹何かを落しつつ            芹沢 芹
蜻蛉に白磁のやうな一ところ            上田禎子
ぐみの火色みづうみ冷んやりと           上田禎子
百合揺れて老眼鏡にかけ替える          上田禎子
夏ぐみの透きとほりゆく雨の午後          武井伸子
まくなぎや頭を傾けてやりすごす          武井伸子
横顔のほぐれてきたる青鬼灯            武井伸子
 
夕食前に句会。夕食後、降り出した小雨の中、湖の噴水レーザーショーや温泉を楽しむ。
夜は嘱目十句。
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2日目 
明け方、鳥の声が天窓から降ってくる。郭公、時鳥、老鶯などの声。
朝食後に句会。

郭公や櫛通りよき朝の髪                平林恵子
灯を消して森の奥処の地虫聞く            平林恵子
ほととぎす旅の枕に頭を馴らす            岩淵喜代子
眠れない夜は噴水の丈を見て            岩淵喜代子
静けさは涼しさに似て山の宿             芹沢 芹
噴水に真昼の高さありにけり             芹沢 芹
高原に朝のはじまる夏薊                長嶺千晶
そこからは闇溜りなり立葵               武井伸子
分け入れば六月の森沈みこむ            武井伸子
夏つばめ夕べの空に紛れけり            上田禎子
蛇苺雨を呼ぶ風匂ひけり               上田禎子

午後からは、「大内宿・塔のへつり」バスツアーに参加。
バスは山を越え、緑の谷に沿い、青田へと降りてゆく。
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途中、羽鳥湖、大内湖などダム湖を巡る。ダム湖で記念写真。
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前日とはうって変わって、光線はすでに真夏。入道雲も湧き出している。  
茅葺屋根の宿場町、大内宿に着く。
江戸時代の街道の面影を残す一本道は、炎天下、花々を咲かせ、水路を巡らせていた。しきりに夏燕が飛び交う。
宿場が尽きたところから山道となる。少し登って、街道を見下ろすあたりで、思いがけず蜩をきく。
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ルピナスの馬の尾のごと揺れにけり        上田禎子
集落の忽と現れカンナの緋              平林恵子
梅雨蜩大内宿を一望す                平林恵子
古町や軒端に薪を積んで夏             平林恵子   
白く乾き炎昼の旧街道                 芹沢 芹
万緑の底に村あり暮しあり              芹沢 芹
黒南風や山の農協鮭を売り              武井伸子
一村を水音めぐる蝸牛                 武井伸子
湖の大きな無音虫送り                 岩淵喜代子
蜂飼ひて大内宿の大通り               岩淵喜代子
  
 「塔のへつり」の「へつり」とは、川が歳月をかけて、浸食を繰り返してできあがった崖のこと。
崖下のまみどりの淵は、白い花びらを浮かべ、とろりと静まっていた。
歩くと、吊橋がぎしぎし揺れた。
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鮎の串塔のへつりへ川隔て               上田禎子
またたびの花の会津路喉かわく            上田禎子
洞窟の菩薩や夏の灯の涼し               芹沢 芹
手に取りて買ひそびれたるさくらんぼ         長嶺千晶
またたびの白葉ひらひら炎暑くる            長嶺千晶
白南風や眼下に展け宿場町               長嶺千晶
黒揚羽羽音あるとも思へけり              岩淵喜代子
 
突然の真夏日となったツアー。
嘱目二十句。夕食ののち、句会。
夜はぐったりとなって眠る。

3日目 
明け方、ドーム型の屋根にぱらぱらと音がする。夜の間に降った雨が木々の葉に溜り、風が来ると雨雫を降らせる。青時雨。

朝食のあと、全員で敷地内の湿原へ行ってみる。
木道をたどると、野菖蒲、野萓草、夏薊、山法師、睡蓮、河骨などがつぎつぎに現れた。
睡蓮の水面は、光の水泡を散らしている。
東屋に腰を下ろし、湿原を見渡す。
水面に緑の木々と夏雲が映り、気持のいい風が吹き渡っていく。
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河骨に平らな水のめぐりたる               武井伸子
避暑たのし白樺に触れ橅にふれ             芹沢 芹              
河鹿笛別れの時刻来てゐたり               平林恵子
湖岸の灯鎖のやうに夏の夜                上田禎子
首伸べて黄菅の群るる風の中               長嶺千晶
睡蓮の白ばかりなる目覚かな               長嶺千晶
よしきりの声に溺れて帰り来し               岩淵喜代子
湖へゆく道染める桜の実                  岩淵喜代子

数えてみると、いつの間にか六十五句を作っていた。一仕事なした後の充実感がある。 
帰りの新幹線の中、クーラーの涼しさが身に沁みた。         

                     文・写真/武井伸子
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by basyou-ninin | 2008-06-19 10:00