奥吉野吟行会記 2016.2.25〜26
昨日の雨が嘘のように晴れ、寒さも和らいだ2月25日、近鉄・榛原駅に岩淵代表を含め9名の「ににん」会員の顔が揃う。 私を入れて10名が今回の吟行会のメンバーだ。 宿の送迎バスで吉野の紙漉きの里へ国道370号を南下。 約30分程で吉野町に入る。 道の両側の杉は花を付け風が吹けば今にも烟るかのようである。 入野トンネルを抜けると目の前に吉野川が広がる。 U字形に曲がる川の岸に家並みがあり、「紙漉きの里」吉野町・窪垣内である。 バスを下りて集落の小高い所にある「福西和紙本舗」の工房を訪ねる。 爪先上がりの坂の途中の畑には、獣避けのネットが張られ中に案山子が取り残されている。 立ち止まり俳句手帳に句を書き込む姿が。 工房の前庭には既に紙が砦の様に干され、冬日が白く輝いて見える。 工房6代目の福西正行さんの話によると「昔は集落の大半が紙漉きを生業としていたが、戦後は和紙の需要が激減、集落の多くが割り箸に転業、また、最近は過疎化により廃業が進み、今は6軒が伝統の紙漉き技法を受け継いでいる」と、話す。 昔から吉野の和紙は「宇陀紙」として、高級な掛け軸、襖の表装等に重宝されており、現在では、国宝・重文等の修復に利用され注文が増えているとか。 帰路、梅が美しく咲いている家の前を通ると庭の隅に大きな釜が伏せられているのに気づいた。 多分、かつて、楮を煮た釜であろう。 紙漉きを廃業した家だと推測できる。 つぎの吟行地「国栖奏の宮」にバスを進める。 国栖奏の舞台である「浄見原神社」へは、窪垣内から5分ほど、新子の集落の外れを右折して小さいトンネルを抜けると南国栖の集落である。 バスを降りて吉野川沿いの岨路を数分歩くと小さな石の鳥居が見えてくる。 急な石段を登り鳥居を潜ると崖の上は狭いが平地があり、畳3枚程の広さの拝殿の奥の岩壁に抱かれた小さい祠が鎮座している。 これが、国栖奏を奉納される「浄見原神社」で祭神は壬申の乱に勝利し、後に明日香浄見原宮で即位した天武天皇(大海皇子)である。 国栖奏の起源は、応神天皇が吉野の宮(吉野離宮)に行幸した時に国栖人が一夜酒を献上し、歌舞を奏したと「日本書紀」に記されている。 また、壬申の乱(672年)の際、大海皇子を匿い赤腹の魚(ウグイ)赤蛙、粟飯等を捧げ国栖奏を舞ったとも。 今も毎年旧暦の1月14日に国栖奏が奉納されている。 浄見原神社真下の吉野川は、深く瀞んだ淵となり「天皇ケ淵」と呼ばれている。 神社登り口の断崖に藪椿が咲いていたのが印象的であった。 バスに戻り、更に20分、東熊野街道を南に進むと左右の山が急に追ってくる。 吉野も一層深くに入った感じがする。川上村である。 芭蕉が、ここ「蜻蛉の滝(笈の小文ではの滝)」を訪れたのは貞享5年(1688)3月「笈の小文」の旅である。 西河の集落の奥にある「あきつの小野スポーツ公園」の小道を進むと「蜻蛉の滝」に通じる石畳と石段がある。 石段を登ると水音が激しく聞こえ数分で滝口の前に着く。 水量が豊かで轟々と落ちている。冬の滝とは思えない。 芭蕉はここで、 ほろほろと山吹ちるか滝の音 芭蕉 と、この滝を詠んでいる。 滝を正面から仰ぐために螺旋階段と橋が設けられており、階段を降りた橋の袂に其角の句碑が建っている。 三尺の身をにしかうのしぐれかな 其角 元禄7年(1694)9月に其角が先師芭蕉を偲び、ここを訪れた時の句である。 滝道は整備されて吉野山までのハイキングコースとなっているが、厳しい山道には変わりがない。「蜻蛉の滝」命名は雄略天皇を虻から救った蜻蛉伝説から付けられたとか。 芭蕉の句碑は、滝から1キロ程離れた「大滝」バス停前の「大滝茶屋」の広場にひっそりと建っていた。 今日、最後の吟行地「丹生川上神社上社」に向かう。 大滝ダム建設で神社が集落西方の山の中腹に社殿を新設して移転。 平成10年(1998)の事である。 丹生川上神社は古くから祈雨、止雨の神として崇拝されており、吉野川沿いの川上村に上社、東吉野村に中社、下市町に下社と定め現在も多くの参拝者で賑わっている。 新設された上社の境内、南東の端からダム湖の底に沈んだ元宮を遥拝する事ができる。 午後5時30分。予定通り一日の旅程が終わり宿へ到着。 夕食には、山国の宿のもてなしの料理と酒がならぶが、食後に開催する俳句会のことは忘れて杯を口に運んだ。 同室の布村さんと露天風呂へ、明日の天気を約束するがごとく星が瞬いていた。 2月26日、朝日が眩しく湖面に差す。 同室の布村さんとまずは朝風呂へ、朝食の茶粥が旨い。 これも吉野の自慢のひとつである。 予定通り2回目の句会も終わり、宿のバスで帰路に着く。 途中、重要伝統的建造物群保存地区の町大宇陀を散策、この町は宇陀紙ではなく「吉野葛」の生産の町である。各自の手にはお土産の葛製品が。 ここで、室生寺散策と東吉野「石鼎庵」散策組に別れる。 2日間の短い旅であったが、充実した吟行会であったと自画自賛、私の至らない説明にも耳を傾けていただき感謝しています。 また機会があれば吟行会の開催をと思います。 遠方まで参加してくださった皆さんにお礼申し上げます。 かなしさはひともしごろの雪山家 石鼎 奥吉野吟行会俳句 滝水の落つれば透きて春の鹿 岩淵喜代子 紙透いて宇陀人風に隠れけり 国栖人の影ぞろぞろと草萌ゆる 穀撒きの餅は大きく草萌ゆる 国栖奏の終り餅撒く鬨の声 宇陀草子 磐境に国栖奏の笛ぴたと止む 舞ひ終へて国栖奏の長眉白し 国栖奏の果たる宮の磐襖 漉き紙の一枚ごとに春日満つ 河邉幸行子 吉野川深き色もて水温む 漉き紙と洗濯ものと春の雲 春遅々と地酒に酔ひし宇陀郡 雪解風ダム湖の底の故郷かな 篠原明子 しなやかに簾をかへし紙漉ける ふきのたう紙漉く音に子ら育つ 大宇陀の古き家並みや梅白し 啓蟄やダム湖に残る神社跡 武井伸子 佐保姫をのせて蛇行や吉野川 滝音に急かされ芽吹山のぼる 宇陀紙に春日閉ぢ込め寡黙なる 紙漉きや光もろとも屑掬ふ 谷原恵理子 狼は絶え伊勢道の常夜灯 橋渡る奥にまた橋雪解川 木の実植う和紙に混ざりし白き土 谷底に町閉ぢ込めて鳥雲に 辻村麻乃 紙漉きて手の甲にある光かな 春寒し谷戸に楮の匂ひして 洗濯の竿に大きな春椎茸 風光る和紙を日に干す隠れ里 浜田はるみ 犬ふぐりぽつぽつ声の良く通る 紙漉の手元より生れひかりの芽 国栖奏の舞台へ瀬音上りくる 漉き上げし紙が余寒の水落とす 佛川布村 紅梅の近づけば紅あはくなる 川の名の変はりいよいよ杉の花 いぬふぐり皇子の踏みし道の辺に 六代目ぼつたり厚き紙を漉き 牧野洋子 和紙を干す春の光を返しつつ 一言がふたことみこと藪椿 宇陀紙の葉書の角の朧かな 文・写真 宇陀草子
by basyou-ninin
| 2016-02-25 10:00
| 俳句
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