平成二十五年七月十五日
フーム! 「念仏踊り」「盆踊り」「盂蘭盆」など辞書を引いてみる。盂蘭盆は梵語で逆さ吊りの苦しみの意、イランの語系で霊魂の意、などとあり興味津々。 七月の佃念仏踊り吟行、地元中央区の住人として自転車にて参加、以下そのレポートです。 七月十五日午後六時 集合場所 佃小橋 (月島駅から徒歩十分)、時間に余裕を持って着いたので少し写真を撮る。この橋の付近の景色は独特の印象があって脳裡にしっかり焼き付いているような感じがある。澱んだ堀の水、朽ちて半分沈んだ木の舟、沈んでも不思議のなさそうな木造船、FRPの白い小さな釣り船などが舫ってある。 隅田川から東に引き入れた水路が住吉神社の裏を越えて直角に南に折れ赤い佃小橋の下を通り少し先で堀留となる。赤いこの佃小橋を渡った回数は二十回を下らないと思う。それにしても岩淵先生と武井伸子さんから話を聞くまでは佃の盆踊りについてまったく知らず実に灯台下暗しであった。 午後六時の空はまだまだ明るく人気も僅か、何時もと変わった様子は見られない。釣り糸を垂れている人、浴衣がけでタバコをくゆらす人子供が二三、さて吟行のメンバーがそろったのは六時十五分過ぎ、蛮愚句会から盆踊り見物にみえるお二人はすでにどこかで一杯やっているようで自然と別行動となった。 ところで佃の盆踊りですが面白い歴史を持ち簡単に紹介しますと、まず佃島の由来は摂津(大阪)佃村の漁師が家康より隅田川河口の干潟を拝領し埋め立てて、同時に佃村の住吉神社(現、田蓑神社)より分霊し佃住吉神社を建立した。摂津佃村の人々は浄土真宗西本願寺派の門徒であったので江戸の西本願寺別院とも縁が深く1657年の大火で消失した別院の替地として与えられた八丁堀海岸を埋め立て(現、築地本願寺の場所)寺院の復興再建に尽力します。 そして盆踊りを試み江戸市中を廻って志を受け本願寺に奉納していましたが1831年町奉行所より市中勧化が禁じられたため佃島の網干場(現在の場所)で7月13日から15日に開かれることとなった。 隅田河畔には川面から訪れる無縁仏迎えるために精霊棚が設けられ礼拝の人が絶えない。 さて盆踊りが始まるまで時間があるので近所をぶらぶらと探索することに。まず波除神社へ、ここには丸い力石があって若い衆が力競べした名残である。 そばのおそろしく狭い路地を入って行くと地蔵尊があり入り口を大銀杏が半分塞ぐように立っている、この銀杏を抱くような形で狭い社が作られていて鮨詰めの住宅の一つ分に相当する大きさで周囲の住宅に溶け込んでしまっている。不思議、シュールな感じかな。それから住吉神社に参拝し、さて句会は席の取れるお店もないので佃小橋脇のベンチで慌ただしく。おにぎりなんぞ食べながら。 すでに子供達の盆踊りが始まっていて何ともかわいらしい。 路地涼し大銀杏抱く地蔵尊 浜田はるみ 盆唄のビルの間に間にはづみけり 河辺行幸子 涼風や高層の灯のうるみをり 村瀬八千代 そろそろ大人の踊りが始まる時刻だ盆唄と大太鼓の音が風に流れて来る。 盆踊り老いも若きもゆかたがけ 宮崎大 上げ潮や更けてふくるる踊の輪 岩淵喜代子 夏太鼓佃の踊りくねくねと 高橋寛治 暮れなづむ小さき島の踊りかな 武井伸子 高橋寛治 (記)
by basyou-ninin
| 2013-07-15 10:00
| 吟行
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