平成22年10月2日ー4日 1日目(10月2日) 10月2日の朝、東京駅を発ち、新潟で羽越本線に乗り換えてから吟行が始まった。12時過ぎに、JRの鶴岡駅に着きワゴン車に迎えられた。目的は第52回奥の細道羽黒山全国俳句大会に選者として出られる岩淵代表について参加すること、それにもう1日余分に泊まり、少しでも山岳信仰の出羽三山に詣でることだった。もっとも私達が訪ねたのは、羽黒山、湯殿山で、月山は眺めただけであったが。出羽三山は言うまでもなく「奥の細道」の中に書かれている。芭蕉は3句ほど句を詠んでいる。俳人としては知らない人はいないと思うので説明は省略。 藤沢周平記念館に先ず寄る。記念館には周平の作品が展示され、手書きの題名が多いのに気がつく。本人のものかどうかなと、そばの原稿用紙と見くらべてみたけれど分からない。映像で鶴岡や庄内の景色を見せているのが周平の世界を近寄せる。周平の作品に救われたという八王子から来た男性に、周平のお墓の写真を見せてもらう。墓石には小菅家とある。本名は小菅留治で周平のお墓はこの庄内ではなく、この男性の住んでいる八王子にあることを知った。そういえば、周平は北多摩の療養所にいたことがあり、その縁だろうか。周平の句集も置いてあり1冊買う。 机上にはペンと文鎮つばきの実武井 伸子 周平の文字やはらかし秋灯し 望月 遥 秋の蚊を連れ文豪の四畳半 浜田はるみ 灯下親し刀の鍔を文鎮に 長嶺千晶 庄内神社にお詣りし、「涼しさやほの三か月の羽黒山」と芭蕉が詠んだ羽黒山へ向かう。刈田、稔田の混じる庄内平野を抜けていでは文化記念館へ 掛け稲架の海坂藩はこのあたり 上田禎子 ななかまど今日月山のよく見えて芹沢 芹 月山の宙を燕の帰るらむ 岩淵喜代子 月山も鳥海山も澄む日なり 長嶺千晶 花芒神の山へと靡くなり 長嶺千晶 棒掛けの人影に似る曼珠沙華 望月 遥 記念館から五重塔へ鳥居をくぐり石段を降り始める。周囲は350年から500年の杉木立。祓川の瀬音を聞きつつ五重塔へ向かう。ひっきりなしに通る人々の間で石段を修理している。修理し終わったしるしに小さな苗木?を立てておく。これだけの参拝者がいるのだから階段もさぞ傷むことであろう。石段には文様が33あり薄れているが、盃、瓢箪、天狗、山、瓜などを見つけた。爺杉に感嘆し、失われてしまった婆杉を思う。五重塔でばったを捕まえる。雪の中の塔も大変美しいそうである。 石段の絵文字をさがす雁のころ 望月 遥 石段に人湧くごとし秋日和 上田禎子 五重塔秋の翳りの中に立つ 望月 遥 かりんの実五重の塔にひと転げ 芹沢 芹 神杉の六百本に雁渡る 牧野洋子 神杉のただ中に覚め露けしや 武井 伸子 山がけの道に這ひ出す蝸牛 武井 伸子 いでは会館に戻り、羽黒山三山神社へ。三神合祭殿の茅葺屋根の厚さに驚く。中に入ると天狗の面などが掛けてある。三神合祭殿の中に案内され、「金併の拝戴」を受けて厳かな気持になる。 初鴨を眠らせ水の昏れんとす 長嶺千晶 ふいに背を鈴に祓わる菊日和 上田禎子 巫女さんに付き添われ宿舎である斎館へ。部屋からは遥かに鶴岡市街、庄内平野、島海山が見え、夕日が木の間に透けている。 夕食は山菜ばかりでなくて、かれいの塩焼きやはたはたのしょっつる鍋もある。あけびの実や種、もってのほかの酢のもの、いたどりの胡麻和えなどと普段食べられないものをいただく。満腹してこの後の前夜祭が心配になる。 枝豆を禰宜と食べゐる羽黒山 岩淵喜代子 色鳥や斎館にある勅使の間 岩淵喜代子 宿坊の刻ゆるやかにつづれさせ 芹沢 芹 鳥海山やもつてのほかの菊なます望月 遥 夕食のあと、斎館で行われる前夜祭の大会に参加。嘱目の2句を出す。ににんから入選者続出。会場にはトリカブトや姥百合の実などが生けられていた。 終わってから部屋へ。同宿の地元の女性からいろいろと羽黒山の話を聞く。1度は泊まりたかったのだが、近くで泊まる機会がなく、ようやくとのこと。同年輩か少し年上かもしれない。とてももの知り。鶴岡に嫁して50年とか。羽黒山のことから湯の浜温泉のどこに泊まるか、女将さんはどんな人とか、勇壮な炎の八朔祭りの様子、歴史博物館、冬の気候、道路、防雪柵、陸松島、方言など、秋の夜長に飽きずに聞いた。お殿さまの、維新の時の開墾のことも。地元に住んでいるお殿さまは少ないそうで、そのお1人だそうである。鶴岡は言葉使いで士族生まれということがすぐ分かるそうだ。話す言葉の語尾がなう?のう?と優しくひびく。 2日目(10月3日) 朝食は精料理。いんげんの胡麻和えなどとても美味しかった。朝食後、急遽、歴史博物館へ。廃仏棄釈にあった沢山の仏像、芭蕉の書状、山伏関連のもの、とても見きれず、いつかまた訪ねなくてはと思った。 いよいよ奥の細道羽黒山全国俳句大会へ。 会場はいでは文化会館。兼題と題詠のここでもににんは好成績を納めた。兼題2句は当季雑詠、当日の出句は2句で、題は鶺鴒、新米、そして嘱目句。 子供の部もあり、表彰を受けた小学生や中学生は、選者の岩淵喜代子氏と細谷亮々氏と握手し壇上を降りていった。 大会終了後、湯の浜温泉へ。修行者は出羽三山での後ここで憩うのだそうだ。日本海に面し、夕日の名所だ。夜は海の幸の夕食に女将の湯の浜音頭と踊り、地酒のどぶろくも飲み楽しい宴であった。 流木の影となるまで茶立虫 岩淵喜代子 鳥は目で追へぬ速さや秋の浜 岩淵喜代子 3日目(10月4日) 翌朝は曇り。旅館の外には朝市。朝食の後に、海月で人気の加茂水族館へ出かける。朝早いのにもう団体とぶつかる。先に地下の海月を見に。不思議な世界である。もう見とれるほか仕方がなかった。係の方が水槽の中へホースを入れて塵のような糞などをとっている。夢のようではあるが、やはり生きものと妙に感心。儚い夢のような海月の後に、1階に戻ると巨大な章魚が水槽の壁に張り付いていて、1匹ならず2匹も。あまり動かず。でも、ある人が寄ると動いた。きっと好かれているにちがいないとみんなに笑われる。 芭蕉が「かたられぬ湯殿にぬらす袂かな」と詠んだ湯殿山へ向かう。途中から雨になり、湯殿山の参籠所で傘を借りてから神社へ。ご神体へお参りする前に裸足になり、ご神湯が流れるご神体を上って御滝の上に詣でまた同じ道を帰ってきた。ご神湯は触れるた足をひっこめるような熱さのところもあり、飲んでみたら、少し塩からかった。思わず塩守りを買ってしまった。周囲の山々は紅葉が始まりつつあり、10日もすれば初雪もありそうだとのこと。昼食は参籠所で精進料理をいただく。 緑色のお蕎麦が食べるのにもったいないほど美しい。山菜料理にいろいろと説明を伺いながら舌鼓を打った。 大雨の中、湯殿山注連寺へ向かう。途中土砂崩れのあったところを通る。即身仏のお寺として知られている。森敦の「月山」の舞台でもあるが、正直にいえば、人間であるのでとても怖い。天井の絵がよかった。 見えざるが故の神の座木の実降る芹沢 芹 湯殿山霧に沈みて語らざる 浜田はるみ 沢駆けの行者に山の霧すさぶ 芹沢 芹 なお、大会のににんの仲間たちの結果は次のようである。 第52回羽黒山全国俳句大会前夜祭 選者 岩淵喜代子選 特選 神杉の底まで秋の澄みにけり 長嶺千晶 佳作 案内する巫女の袴に秋夕焼け 牧野洋子 松浦俊介選 秀逸 案内する巫女の袴に秋夕焼け 牧野洋子 細谷喨々選 佳作 どの道も山へとつづく稲の波 武井伸子 阿部月山子選 秀逸 神杉の底まで秋の澄みにけり 長嶺千晶 三井量光選 秀逸 金秋の垂直に落つ須賀の滝 望月 遥 全国大会 席題 新米、鶺鴒、嘱目 岩淵喜代子選 特選 せきれいや陸松島を遥かより 望月 遥 秀逸 橡の実の落ちしところで光りけり 武井伸子 細谷喨々選 秀逸 ふしくれの手の中にある今年米 牧野洋子 佳作 鶺鴒の一閃夕日こぼしけり 武井伸子 本大会 岩淵喜代子選 佳作 雀らに野の末枯れの始まりぬ 長嶺千晶 濡れながら生れし仔牛や星流る 武井伸子 今回の旅は奥の細道羽黒山全国俳句大会に選者になられた岩淵代表のもとに七名のものが参加し、お山の霊気を浴びて素晴らしい時を過ごすことができた。過去を抜け出て生まれ変わったような清々しさを得て帰った感じである。そして大会の主催者の出羽三山神社のならびに、いでは文化会館の方々に大変温かいもてなしを受けた。 (上田禎子記)
by basyou-ninin
| 2011-01-03 15:04
| 俳句
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